小説「蜘蛛男」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。江戸川乱歩が生み出した数々の名作の中でも、ひときわ異彩を放つ本作は、名探偵・明智小五郎が登場する長編シリーズの一つとして知られています。しかし、その内容は猟奇的で怪奇趣味に満ちており、一度読んだら忘れられない強烈な印象を残します。

物語は、世間を震撼させる連続美女バラバラ殺人事件から幕を開けます。犯人は神出鬼没で、その手口は残忍極まりなく、人々は得体の知れない怪人を「蜘蛛男」と呼び恐れます。事件の捜査には、義足の犯罪学者・畔柳(くろやなぎ)博士が協力しますが、捜査は難航。次々と魔の手にかかる美女たち、そして深まる謎。物語が進むにつれて、読者は乱歩独特の倒錯した世界へと引きずり込まれていくでしょう。

この記事では、そんな「蜘蛛男」の物語の核心に触れながら、その詳しい筋道を追っていきます。さらに、物語の結末や犯人の正体にも言及しますので、未読の方はご注意ください。そして、後半では、この作品が持つ独特の魅力や、現代の視点から見たときの面白さ、あるいは疑問点などを、たっぷりと語っていきたいと思います。乱歩ファンはもちろん、猟奇ミステリに興味がある方にも、ぜひ読んでいただきたい内容です。

果たして「蜘蛛男」の正体とは? そして、名探偵・明智小五郎は、この恐るべき怪人を捕らえることができるのでしょうか? 息をもつかせぬ展開と、乱歩ならではの妖しい雰囲気に満ちた「蜘蛛男」の世界へ、ご案内いたしましょう。ネタバレを避けたい方は、ここでお引き返しくださいね。それでは、始めます。

小説「蜘蛛男」のあらすじ

東京に突如現れた美術商・稲垣平造。彼は新聞広告で事務員の女性を募集し、面接に来た里見芳枝を言葉巧みに自宅へ連れ込み殺害します。さらに男性従業員を募集し、彼らに人間の頭部や手足などを模した石膏像をサンプルとして配らせますが、その石膏像の一つが、実は殺害された芳枝のバラバラ死体を固めたものだったのです。この猟奇的な手口はやがて世間の知るところとなります。

事件の異様さに気づいた義足の探偵・畔柳博士は、助手の野崎三郎と共に調査を開始。芳枝の姉・絹枝から妹の捜索依頼を受け、稲垣の周辺を探るうちに、石膏像の秘密を突き止めます。しかし、その矢先、石膏像を売ってしまった元従業員の平田東一が姿を消し、さらに芳枝に瓜二つだった姉の絹枝までもが畔柳博士を騙る偽の手紙で呼び出され、殺害されてしまいます。絹枝の遺体は水族館の水槽で発見され、事件はますます混迷を深めていきます。

犯人は「蜘蛛男」と名乗り、大胆にも次のターゲットとして、絹枝姉妹に似た容貌を持つ人気女優・富士洋子を狙うと予告状を送りつけてきます。畔柳博士と警察の波越警部は洋子の厳重な警護にあたりますが、蜘蛛男は撮影所のロケ中やスタジオでの撮影中に、巧妙な手口で洋子を襲撃。一度は畔柳博士の機転(?)で難を逃れるものの、あと一歩のところで取り逃がしてしまいます。

度重なる襲撃と犯行予告。警察と畔柳博士は洋子を映画監督の自宅にかくまい、厳重な監視体制を敷きます。しかし、油断した一瞬の隙をつかれ、ベッドに寝ていたはずの洋子は人形とすり替えられ、誘拐されてしまいます。この失態に畔柳博士は持病の足を痛め倒れてしまいます。一方、監督宅周辺を見張っていた助手の野崎は、洋子を連れ去った犯人の車を発見し、後を追ってアジトを突き止めます。アジトに潜入した野崎が見たのは、行方不明だった平田の姿でした。野崎は捕らえられ、地下室に監禁されてしまいます。

その頃、海外から帰国した名探偵・明智小五郎が事件の噂を聞きつけ、独自に調査を開始します。明智は、一連の事件の捜査状況を聞いただけで、驚くべき真相にたどり着きます。蜘蛛男の正体、それは事件解決に尽力していたはずの畔柳博士その人だったのです。明智は野崎に協力を依頼し、畔柳博士に睡眠薬を飲ませて逮捕しようとしますが、寸前で仲間の平田に助け出され、畔柳は逃亡します。

逃亡した畔柳博士(蜘蛛男)は、自分に似た人物の死体を使って自殺を偽装。ほとぼりが冷めるのを待ちます。そして、田舎に隠れ住んでいた富士洋子を再び狙いますが、これも明智の罠でした。捕らえられた畔柳博士でしたが、なぜか洋子は彼に同情して縄を解いてしまい、逆に誘拐されてしまいます。その後、畔柳博士と洋子の心中死体(と見られるもの)が発見され、事件は解決したかのように思われました。しかし、これは蜘蛛男の更なる計画の序章に過ぎなかったのです。彼は名前を変え、49人の女性を誘拐して生きたまま人形のように飾る「人間パノラマ館」の建設を目論んでいたのでした。開館当日、毒ガスで女性たちを皆殺しにしようとしますが、またしても明智小五郎が立ちはだかります。人形になりすまして潜入していた明智は、毒ガスを無害なガスにすり替え、女性たちを救出。追い詰められた畔柳博士は、自らパノラマ館のセットである剣山に身を投じ、壮絶な最期を遂げるのでした。

小説「蜘蛛男」の長文感想(ネタバレあり)

久しぶりに江戸川乱歩の「蜘蛛男」を手に取り、ページをめくり始めると、その独特な世界観に再び引き込まれました。筋書きは知っているはずなのに、やはり面白いと感じさせるのは、乱歩作品ならではの魔力でしょうか。冒頭、美術商・稲垣平造として登場する蜘蛛男の不気味な描写から、もう物語の世界にどっぷりと浸かってしまいます。この尋常ではない面白さの源泉は、一体どこにあるのでしょう。

よく言われるのは、乱歩独特の文体ですね。まるで調子の良い噺家が語るように、物語が展開していきます。最初の犠牲者、里見芳枝を誘い込む場面の蜘蛛男のセリフ、「すてきっ。君はやっぱり利口な方ですね」とか「私の名前はなんというのでしょう。誰も知らないのですよ。稲垣ですか。ハハハハハ、稲垣って一体誰のことでしょう」。この言い回し、なんとも言えない気持ち悪さが漂っていて、読んでいるこちらの背筋がぞくぞくします。こんな気味の悪い人物を、大衆向けの雑誌に登場させてしまう乱歩の感覚も、ある意味で常軌を逸しているのかもしれません。

そして改めて感じたのは、この作品がいわゆる「通俗長編」でありながら、後の「少年探偵団」や「怪人二十面相」シリーズと地続きの雰囲気を持っているということです。もちろん、言葉遣いは大人向けになっていますが、物語を語る上での基本的なリズムやノリは共通しているように思います。読者を怖がらせ、驚かせ、そして楽しませようというサービス精神が旺盛というか、乱歩自身がこういう語り口で物語を紡ぐのが好きだったのでしょうね。決して、大人の読者を子供扱いしているわけではないのでしょうけれど。

ただ、ミステリとしての構成に目を向けると、発表当時からあまり高い評価は得ていなかったようです。乱歩自身も、本格的な探偵小説を期待する読者には物足りないかもしれない、といった旨の発言をしています。ですから、現代のミステリファンに「精緻なトリックが素晴らしいですよ」と勧めるのは、少し違うかもしれません。しかし、当時の新興出版社からの熱心な依頼に応えて書かれた長編ですから、乱歩なりに様々な趣向を凝らして書き上げたのだろうと推察します。

この「蜘蛛男」は、名探偵・明智小五郎が登場するシリーズの一つであり、基本的な構造は「怪人対名探偵」という対決ものです。これは「少年探偵団」シリーズと同じ構図ですね。怪人二十面相ならぬ蜘蛛男が、明智小五郎に対して奇怪な犯罪計画で挑戦状を叩きつける。こうした「決闘小説」のスタイルは、もともと乱歩が好んでいたもので、初期の短編にもその傾向は見られます。デビュー作の「二銭銅貨」からして、犯人と探偵の知恵比べが描かれていますから、これは乱歩の作家としての根源的な嗜好なのかもしれません。

しかし、「蜘蛛男」が少し変わっているのは、名探偵・明智小五郎が登場するのが物語も終盤に差し掛かってからだという点です。それまでは、義足の犯罪学者である畔柳勇助が探偵役を務めます。この二段構えの構成は、イーデン・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』に似ているとも言われますが、乱歩が同作を読んだのは「蜘蛛男」執筆後らしいので、これは偶然の一致だったようです。そして、「蜘蛛男」における最大の仕掛けは、前半の探偵役である畔柳博士こそが、実は真犯人の蜘蛛男だった、という点にあります。

つまり、物語の大部分は、畔柳博士(蜘蛛男)が自分で引き起こした事件を、自分で捜査するという、奇妙な一人芝居が繰り広げられているわけです。作中で捜査陣の一人が「では、あの人は自分が犯した罪を自分で、探偵していた。自分を自分が追っかけていたというのですね」と驚く場面がありますが、まさにこの倒錯した状況こそが、「蜘蛛男」という物語の異様な面白さの中核を成していると言えるでしょう。このセリフを書きたいために、わざわざこんなプロットにしたのではないか、とさえ思えてきます。乱歩自身が語っているように、黒岩涙香やモーリス・ルブランの作品、特に『813』あたりから着想を得たのかもしれません。

この「探偵=犯人」という基本設定の上に、乱歩は得意とする「不可能状況からの犯行」というトリックをいくつも盛り込んでいます。物語前半では、里見姉妹の猟奇的な殺害方法――バラバラ死体を石膏で固めて人目に晒したり、水族館の水槽に死体を遺棄したり――で蜘蛛男の異常性を際立たせます。そして後半、人気女優・富士洋子を狙う段になると、いよいよミステリとしての見せ場である不可能犯罪が連続します。

具体的には、厳重な警備下の畔柳博士の書斎に蜘蛛男からの予告状が突如出現する謎、洋子を誘拐した蜘蛛男が疾走する自動車から忽然と姿を消す人間消失の謎、そして畔柳博士と波越警部が寝ずの番をする密室状態の部屋から洋子が連れ去られる謎。現代の目から見れば、やや古典的というか、手品めいたトリックではありますが、当時は読者を大いに驚かせたことでしょう。特に自動車からの消失トリックでは、怪しい農夫を登場させて読者の注意をそらしつつ、実はその農夫に重要な証言をさせるなど、単なるトリック披露に終わらない工夫も見られます。

そして、この物語で注目したいもう一つの点が、実質的なヒロインとも言える富士洋子の扱いです。彼女は、何度も蜘蛛男の魔の手から逃れ、時には反撃して蜘蛛男を窮地に陥れるなど、非常に逞しい女性として描かれています。終盤では、明智と格闘する蜘蛛男の足を撃ち抜いて、名探偵の危機を救うという大活躍まで見せます。これだけ活躍すれば、当然、最後まで生き残り、事件解決の喜びを分かち合う…と思いきや、事態は意外な方向へ進みます。

なんと洋子は、捕らえられた蜘蛛男(畔柳博士)に同情したのか、彼の縄を解いてしまうのです。そして、その結果、蜘蛛男に再び連れ去られ、最終的には殺害されてしまった(かのように見える)遺体として発見されます。あれだけ危機を乗り越えてきたヒロインが、こんなにあっけなく退場してしまうとは、正直驚きです。最後に蜘蛛男が滅びた後、実は洋子は生きていた、という展開を期待していたのですが、どうやら本当に亡くなってしまったようです。これは、娯楽小説としてはかなり異例の展開ではないでしょうか。乱歩自身、あまり女性キャラクターを描き込むのが得意ではなかったのかもしれませんが、それにしてもこの扱いは少々ぞんざいな気もします。あるいは、予想を裏切る展開を狙った結果なのかもしれませんが、少し後味が悪い結末とも言えます。

この富士洋子の結末に対する反省があったのかどうかは分かりませんが、次作の『魔術師』では、最後に明智小五郎とヒロインが結ばれるという、ハッピーエンドを迎えています。名探偵のロマンスを積極的に描いたのは、『蜘蛛男』でのヒロインの悲劇的な結末を踏まえてのことだったのかもしれない、などと想像してしまいますね。

さて、物語の終盤に颯爽と登場する明智小五郎ですが、一部の読者からは「少し切れ味が鈍いのでは?」という声も聞かれます。確かに、畔柳博士が犯人であることを見抜くのは見事ですが、その後の捕り物劇では、蜘蛛男に出し抜かれる場面も少なくありません。富士洋子が最終的に殺されてしまったのも、明智の詰めの甘さがあったのではないか、とも考えられます。しかし、最後のパノラマ館での対決では、人形になりすまして潜入し、毒ガス計画を阻止するという離れ業を見せてくれます。このあたりは、まさに名探偵・明智小五郎の真骨頂と言えるでしょう。

全体として、「蜘蛛男」は現代の本格ミステリの基準で見ると、トリックの整合性や犯人の意外性という点では物足りなさを感じるかもしれません。畔柳博士が登場した時点で、怪しいと感じる読者は少なくないでしょう。しかし、この作品の魅力は、そうしたロジックの部分だけにあるのではありません。むしろ、猟奇的な事件、グロテスクな描写、倒錯した人物像、そして独特の語り口が渾然一体となった、言いようのない妖しい雰囲気こそが、「蜘蛛男」を今なお多くの読者を引きつける理由なのだと思います。古典として、その時代の空気感や、乱歩という作家の持つ特異な才能を感じ取る上で、非常に価値のある一作であることは間違いありません。

まとめ

江戸川乱歩の「蜘蛛男」、そのあらすじ、ネタバレ、そして詳細な感想をお届けしました。本作は、猟奇的な連続殺人事件を軸に、怪人・蜘蛛男と探偵たちの対決を描いた、乱歩ならではの魅力に満ちた長編小説です。物語の前半を探偵役として活躍する畔柳博士が、実は真犯人の蜘蛛男であったという大胆な仕掛けは、読者に大きな衝撃を与えます。

自分で起こした事件を自分で捜査するという倒錯した構図、バラバラ死体を石膏で固めるなどのグロテスクな描写、そして自動車からの消失や密室からの誘拐といった不可能犯罪の数々。これらが、乱歩独特の語り口によって紡がれ、読者を妖しくも引き込まれる世界へと誘います。後半に登場する名探偵・明智小五郎の活躍や、最後のパノラマ館での対決も見どころです。

一方で、現代のミステリと比較すると、トリックの古さや、比較的早い段階で犯人の見当がついてしまう可能性は否めません。また、ヒロインである富士洋子の悲劇的な結末は、やや後味の悪さを残すかもしれません。しかし、そうした点を差し引いても、本作が放つ異様な熱気と、昭和初期の時代が持つ独特の雰囲気は、他の作品では味わえない魅力を持っています。

「蜘蛛男」は、単なる推理小説としてだけでなく、江戸川乱歩という作家の持つ怪奇趣味やエンターテインメント性が凝縮された、日本ミステリ史における重要な一作と言えるでしょう。未読の方は、ぜひ一度、この恐ろしくも魅力的な物語に触れてみてはいかがでしょうか。ただし、ネタバレを含む内容でしたので、これから読もうと思っていた方には申し訳ありませんでした。