小説「エンドゲーム 常野物語」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。恩田陸さんが紡ぎ出す、不思議な力を持つ〈常野〉一族の物語、その第三弾にあたる作品です。第一弾『光の帝国』、第二弾『蒲公英草紙』とは少し趣が異なり、じんわりとした温かさや懐かしさよりも、ひりつくような緊迫感や得体のしれない恐怖が色濃く漂っているのが特徴でしょうか。
物語の中心となるのは、『光の帝国』にも登場した拝島時子。大学生になった彼女が、母・暎子とともに、〈あれ〉と呼ばれる謎の存在との宿命的な戦いに巻き込まれていく様子が描かれます。なぜ戦わなければならないのか、〈あれ〉とは一体何なのか。謎が謎を呼ぶ展開に、ページをめくる手が止まらなくなることでしょう。
この記事では、そんな「エンドゲーム 常野物語」の物語の筋道と、読み終えて感じたことを、物語の核心にも触れながら詳しくお話ししていきたいと思います。独特の世界観を持つ常野物語シリーズの中でも、特に異彩を放つ本作の魅力に、少しでも触れていただけたら嬉しいです。未読の方は、物語の結末に関する情報も含まれますので、その点をご留意の上、読み進めてくださいね。
読み進めるうちに、あなたもきっと時子と共に、先の見えない戦いの渦中へと引き込まれていくはずです。オセロゲームにも例えられる、白と黒が入り乱れる世界の行方、そして拝島家が迎える結末とは。どうぞ、最後までお付き合いください。
小説「エンドゲーム 常野物語」のあらすじ
物語は、大学生になった拝島時子が、年末のゼミ旅行から帰宅するところから始まります。母・暎子の秘書から連絡が入り、暎子が慰安旅行先の岐阜で倒れたことを知らされます。病院に駆けつけた時子が見たのは、ただ深く眠っているかのような母の姿。しかし、時子には確信に近い予感がありました。冷蔵庫に貼ってあったはずの、緊急連絡先を書いたメモがなくなっていたのです。これは、母が〈あれ〉に「裏返された」のではないか、という恐怖を時子に抱かせます。
〈裏返す〉〈裏返される〉。それは、時子と暎子が持つ特殊な能力であり、同時に、遥か昔から続く〈あれ〉との戦いの根幹を成す現象でした。相手を、あるいは自分自身を「裏返す」。まるでオセロゲームのように、白が黒に、黒が白に変わる。しかし、その実態も、戦いの意味も、時子にはよく分かりません。ただ、母が「裏返された」かもしれないという事実だけが、重くのしかかります。
父は遠い昔に失踪し、母までもが倒れた今、時子は完全に一人きりになってしまいます。いつ終わるとも知れない戦いへの絶望と、見えない敵への恐怖。そんな中、時子はかすかな希望を託し、母が遺したメモにあった連絡先へ電話をかけます。そこは、表向きは普通の薬局でしたが、陰で常野一族を支援する拠点でした。
電話に出た女性は、時子に、一族の中でも特に優秀とされる若い男、火浦に会うよう指示します。言われるがまま待ち合わせ場所へ向かった時子は、飄々とした雰囲気の火浦と出会います。彼は〈洗濯屋〉と呼ばれ、〈裏返された〉人間を「洗い」、元の状態に近い形に戻すことができる能力を持っていると語ります。
火浦は、時子の知らない家族の過去についても詳しいようでした。時子の両親は、一族の掟を破って結婚したために、他の常野一族とは疎遠になっていたのです。そして火浦は、現在の戦いの状況は常に変化しており、時子の両親を取り戻し、一家が戦いから離脱できるような計画を進めていると明かします。そのためには、時子自身のルーツ、〈あれ〉との戦いの始まりにまで遡って「洗う」必要があるというのです。
火浦は味方なのか、それとも敵なのか。疑念を抱きつつも、他に頼るあてのない時子は、火浦と共に自らの過去と向き合い、戦いの真相を探る旅に出ます。盤面の駒が次々と「裏返っていく」ような緊迫した状況の中、時子たちは少しずつ真実に近づいていきます。父の失踪に隠された意味、そして現在の戦局。そこには、時子の想像をはるかに超えた驚くべき事実が待っているのでした。
小説「エンドゲーム 常野物語」の長文感想(ネタバレあり)
常野物語シリーズの第三弾となる「エンドゲーム 常野物語」。読み終えてまず感じたのは、これまでの二作、『光の帝国』や『蒲公英草紙』とは明らかに異なる手触りでした。どこか懐かしく、心温まるエピソードが多かった前二作に対して、本作は終始、不穏な空気と得体の知れない恐怖感に包まれています。例えるなら、陽だまりのような暖色系の世界から、一気に深紅や漆黒を思わせる、冷たく張り詰めた世界へと足を踏み入れたような感覚でした。
物語は、主人公・時子が直面する過酷な状況から始まります。唯一の肉親である母・暎子が倒れ、しかもそれはただの病気ではなく、〈あれ〉と呼ばれる存在によって「裏返された」可能性があるというのです。この「裏返す」「裏返される」という現象自体が、非常に曖昧で掴みどころがありません。それは精神的な変容なのか、あるいはもっと根源的な存在の変化なのか。作中でも明確には語られず、その不確かさが、読み手の不安を静かに、しかし確実に煽ってきます。
『光の帝国』収録の短編「オセロ・ゲーム」で描かれた暎子の恐怖も印象的でしたが、本作で時子が感じる恐怖は、それをはるかに凌駕するものがあります。何しろ、彼女は一族の歴史や戦いの詳細について、ほとんど何も知らないのです。頼れるはずの母は意識不明、父は行方不明。広大な盤面の上で、自分以外の駒が全て敵の色に変わってしまったのではないか、という孤独感と絶望感。この、寄る辺ない心細さの描写は、読んでいて胸が締め付けられるようでした。常野一族という、本来ならば強力な繋がりを持つはずの存在から切り離されていることが、これほどまでに恐ろしいことなのかと痛感させられます。
物語を読み解く上で重要な概念となるのが、「オセロ・ゲーム」です。暎子は、自分たちの世界を、白と黒の駒が貼り合わされた紙のオセロ・ゲームに例えます。ある日突然、「裏返し」たり、「裏返され」たりする。盤面が今どうなっているのか、白が優勢なのか黒が優勢なのか、自分たちはどちらに属しているのかさえ分からない。自分たちの存在意義や、戦いの意味そのものに対する根源的な問いかけを含んでいます。もしかしたら、自分たちが「裏返され」たら、世界は終わってしまうのかもしれない。そんな壮大で、しかし漠然とした不安が、常に彼女たちに付きまとっているのです。
こうした極限状況の中で登場するのが、〈洗濯屋〉火浦です。彼は、「裏返された」人間を「洗う」ことで、元の状態に近づけると言います。しかし、彼の存在もまた、単純な救世主ではありません。彼の言う「洗う」とは、一体どういうことなのか。「白黒一体だった駒を、中央で剥がしてしまうようなもの」という暎子の想像は、どこかアイデンティティの喪失をも予感させます。何も感じない、恐怖のない平凡な日常への憧れと、自分自身でなくなることへの抵抗。このアンビバレントな感情は、非常に人間的で共感を覚えます。火浦の真意が見えないことも相まって、物語のサスペンス性は一層高まっていきます。
恩田陸さんの筆致は、三人称で書かれているにも関わらず、特定の登場人物の視点に深く入り込み、その内面を克明に描き出します。時子の恐怖や焦り、暎子の疲労感や諦念、そして火浦の掴みどころのない言動の裏にあるかもしれない何か。それぞれの感情が、読者自身の心にも流れ込んでくるようです。特に、時折挿入される、鏡の中の自分に見知らぬ誰かを見るような描写や、物の表裏が分からなくなるという暎子の変化は、じわりとした恐怖を感じさせ、彼女たちの精神が静かに侵食されている様を暗示しているかのようです。
物語は、火浦の導きによって、時子が自身のルーツ、そして〈あれ〉との戦いの起源へと遡っていく過程を描いていきます。過去の記憶を探る場面は、どこか夢の中を彷徨っているような、あるいは仮想現実に入り込んでいるような、非常に幻想的な雰囲気に満ちています。何が現実で、何が作られた記憶なのか。その境界線は曖昧になり、読者もまた、時子と共に迷宮へと誘われます。この、現実と非現実が交錯する独特の感覚は、恩田陸作品の大きな魅力の一つと言えるでしょう。
そして、物語の終盤で明かされる「エンド・ゲーム」の真実。これは、多くの読者にとって、予想を裏切る衝撃的なものだったのではないでしょうか。「終わっていた?」「『裏返す』だの、『裏返される』だの、そういったことさ」「そういうものがもう意味を為さなくなっていた。長年そういったことを繰り返しているうちに、どちらも均質化して、ほとんど変わらない特質を持つようになってしまっていたのさ」。肇(火浦の本名)のこの言葉は、これまでの戦いが、ある意味では不毛なものであった可能性を示唆します。
白と黒が互いを裏返し続けた結果、もはや両者に明確な差異はなくなり、盤面そのものが意味を失っていた。戦いだと思っていたものは、とっくに終わっていたのかもしれない。この結末は、ある種の虚無感や徒労感を伴いますが、同時に、長きにわたる宿命からの解放とも解釈できるかもしれません。〈騙す/思い込む〉という作中のテーマとも繋がり、何が真実で、誰が何を信じていたのか、という問いを改めて突きつけられます。「騙すなら死ぬまで騙してほしかった」という言葉が、重く響きます。
この結末には、様々な解釈が可能だと思います。単純なハッピーエンドでもバッドエンドでもない、宙吊りにされたような感覚。しかし、これこそが恩田陸さんの描きたかった世界なのかもしれません。明確な答えを与えるのではなく、読み手の想像力に委ねる。だからこそ、読み終えた後も、物語の余韻が深く心に残るのでしょう。〈一族〉という大きな繋がりよりも、〈家族〉、特に拝島母娘の結びつきが強く描かれていた点も印象的でした。彼女たちの関係性は、時に危うさを孕みながらも、この過酷な物語の中で唯一確かなものだったのかもしれません。
常野物語シリーズは、作品ごとに独立しているとされていますが、やはり『光の帝国』から順番に読むことで、〈常野〉一族の世界観や、登場人物たちの背景への理解が深まり、本作『エンド・ゲーム』の持つ特異性や深みをより一層味わうことができると感じました。これまでのシリーズのファンにとっては、その雰囲気の変貌に驚かされるかもしれませんが、同時に、恩田陸さんの引き出しの多さ、物語の構築力の高さを改めて感じさせられる一作でもあります。
読み返すたびに新たな発見がありそうな、奥深い作品です。張り詰めた空気の中で展開される心理戦、幻想的な世界観、そして予想を超える結末。サスペンスやホラーが好きな方、そしてもちろん、常野物語シリーズのファンの方に、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。読み終えた後、あなたは「裏返す」ことの意味を、そして自分自身の存在について、少し考えてしまうかもしれません。
まとめ
恩田陸さんの「エンドゲーム 常野物語」は、常野物語シリーズの第三弾として、これまでの作品とは一線を画す、 độc đáo な魅力を放つ一冊でしたね。シリーズ特有の不思議でどこか懐かしい雰囲気は鳴りを潜め、代わりに、息詰まるようなサスペンスと、じわりと肌を刺すようなホラーテイストが前面に出ています。この雰囲気の変化に、まず心を掴まれました。
物語は、大学生になった拝島時子が、母・暎子が倒れたことをきっかけに、〈あれ〉と呼ばれる存在との宿命的な戦いの核心へと迫っていく様を描きます。「裏返す」「裏返される」という謎めいた現象、正体不明の〈あれ〉、そして〈洗濯屋〉と名乗る男・火浦。散りばめられた謎が、読者をぐいぐいと物語の世界へ引き込みます。特に、孤立無援となった時子の不安や恐怖の描写は、非常に胸に迫るものがありました。
読みどころは、やはり終盤で明かされる「エンド・ゲーム」の真相でしょう。オセロゲームに例えられた戦いの、予想だにしなかった結末には、驚きと同時に、ある種の感慨を覚えました。賛否は分かれるかもしれませんが、恩田陸さんらしい、一筋縄ではいかない着地点だと感じます。現実と非現実が交錯する幻想的な筆致も健在で、読み終えた後も、深い余韻が残ります。
常野物語シリーズのファンの方はもちろん、これまでシリーズを読んだことがない方にも、新たな驚きを与えてくれる作品だと思います。各作品は独立しているので本作からでも楽しめますが、もし可能なら『光の帝国』から順に読むと、より深くこの世界の魅力に浸れるはずです。緊迫感のある物語や、謎解き要素のある作品が好きな方には、特におすすめしたいですね。