小説「黒笑小説」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。東野圭吾氏が描く、人間の俗物性や滑稽さを剥き出しにした短編集であり、その切れ味は読む者の心に深く、そして少々意地の悪い形で刻まれることでしょう。甘やかな笑いとは程遠い、苦味を含んだ「黒い笑い」がここにあります。

この作品集に収められた物語たちは、文壇の裏側、男女間の機微、日常に潜む奇妙な出来事など、多岐にわたるテーマを扱っています。しかし、その根底に流れるのは、人間のどうしようもない性(さが)に対する、ある種の諦観と冷ややかな眼差しなのです。登場人物たちの必死さや浅はかさが、皮肉たっぷりに描かれ、読者はつい口元を歪めてしまうかもしれません。

本稿では、まず「黒笑小説」に含まれる物語の概要、その核心に触れる部分まで踏み込んでお伝えします。続けて、各編に対する詳細な所感を、たっぷりと書き連ねてまいります。作品の毒と魅力、その両面を味わっていただければ幸いです。読み進めるうちに、あなた自身の内なる「黒い部分」が疼き出すかもしれませんね。

小説「黒笑小説」のあらすじ

東野圭吾氏による「黒笑小説」は、十三の短編から構成される作品集です。特に冒頭の四編は、売れないベテラン作家・寒川と、新人賞を受賞して有頂天になる若手・熱海を軸に、出版業界や文壇の裏側を赤裸々に、そしてどこか自虐的に描いた連作となっています。賞レースの裏側、編集者たちの本音、作家たちの見栄や焦りが、苦笑を誘う筆致で綴られます。

『もうひとつの助走』では、文学賞の発表を待つ関係者たちの、腹の探り合いと勘違いが滑稽に描かれます。『線香花火』では、新人賞作家となった熱海の舞い上がりっぷりと、彼に対する編集部の冷めた評価のギャップが痛々しくもおかしい。『過去の人』では、その熱海があっという間に忘れ去られていく世知辛さが。『選考会』では、ベテラン寒川が選考委員に選ばれ意気込むものの、その実態は…という、文壇の虚飾を暴くような展開が待っています。

続く短編群も、粒ぞろいの意欲作と言えるでしょう。『巨乳妄想症候群』『インポグラ』『モテモテ・スプレー』は、男性の性的な欲望やコンプレックスを、奇抜な設定で描きます。『みえすぎ』は、見えすぎる能力を持ってしまった男の苦悩を。『シンデレラ白夜行』は、かの有名な童話の裏側を大胆に解釈。『ストーカー入門』は、歪んだ承認欲求が生む奇妙な関係性を。『臨界家族』は、子供向けキャラクター商品に振り回される家族の悲哀を。

『笑わない男』は、絶対に笑わないホテルマンを笑わせようとする芸人の奮闘。『奇跡の一枚』は、写真に写った自分の顔をめぐる、少し不思議で切ない物語。いずれの作品も、人間の愚かさや弱さ、社会の矛盾などを、ブラックな笑いとともに突きつけてきます。読み心地が良いとは限りませんが、心に刺さる何かを残す物語ばかりと言えるでしょう。読後、あなたの口角は上がっているでしょうか、それとも引きつっているでしょうか。

小説「黒笑小説」の長文感想(ネタバレあり)

さて、この「黒笑小説」という作品集。読み終えてまず感じるのは、東野圭吾という作家の、人間観察に対する執拗さと、それを皮肉たっぷりに描き出す意地の悪さ…いや、サービス精神とでも言うべきでしょうか。実に様々な角度から、人間の俗物性、滑稽さ、そして哀れさを抉り出してきます。甘口の笑いなど期待してはいけません。ここにあるのは、喉に引っかかるような、それでいて妙に癖になる苦味なのです。では、収録された各編について、少々長くなりますが、私の所感を述べさせていただきましょう。核心にも触れていきますので、その点、ご留意ください。

まず、冒頭を飾る文壇シリーズ四編。『もうひとつの助走』『線香花火』『過去の人』『選考会』。これはもう、出版業界や作家という生き物を知る人間(あるいは、そうした世界に憧れを抱く人間)にとっては、身につまされるやら、苦笑するやら、実に複雑な心境にさせられる連作です。

『もうひとつの助走』。文学賞の発表を待つ、作家、編集者、その家族。それぞれの期待と不安、そして腹の内が透けて見えるようです。特にベテラン作家、寒川のそわそわした様子と、受賞を確信したかのような(そして盛大に勘違いする)喜びようは、哀れを誘います。結局、受賞したのは別の作家であり、寒川の息子の受験合格という「もうひとつの助走」の結末だった、というオチ。人間の期待というものが、いかに自分本位で、そして脆いものかを突きつけられます。

『線香花火』。新人賞を受賞し、「先生」と呼ばれて舞い上がる熱海圭介。その姿は、多くの創作者が一度は通る道なのかもしれません。しかし、編集部の評価は「賞のレベルが低かった」「一年で消える作家」という辛辣さ。本人の高揚感と、周囲の冷めた視線のギャップが、実に黒い笑いを生んでいます。「作家生命」というものが、いかに儚く、燃えやすい線香花火のようなものか。タイトルが見事に本質を突いています。自意識過剰な若者への、痛烈な一撃と言えるでしょう。

『過去の人』。その熱海が、あっという間に「過去の人」扱いされる様を描きます。次回作の構想もままならず、編集者からも相手にされなくなる。あれほど騒がれた新人賞作家が、これほど早く忘れ去られるとは。出版業界の移り変わりの速さ、そして「売れるかどうか」という現実の厳しさを、まざまざと見せつけられます。夢だけでは食べていけない、という冷徹な事実。これもまた、創作者にとっては耳の痛い話かもしれません。

『選考会』。今度は寒川が、ある文学賞の選考委員に抜擢されます。大喜びで引き受ける寒川ですが、その賞の実態は「感覚が鈍っていて将来性がない作家」を選ぶための、いわば「残念賞」のようなものだった、という結末。しかも、寒川自身がまさにその「感覚が鈍い」選考委員として、的確に「将来性のない」作品を選んでしまうという、二重三重の皮肉。本人は大真面目に選考しているだけに、その滑稽さと悲哀は一層際立ちます。文壇の裏側をここまで描いてしまう東野氏の度胸には、感服するしかありません。

続いて、個々の短編を見ていきましょう。

『巨乳妄想症候群』。タイトルからして、悪ふざけが過ぎる、と感じる向きもあるかもしれません。ある日突然、あらゆる女性の胸が大きく見え、その「感触」までリアルに感じてしまうようになってしまった男の話。お世辞にも上品とは言えませんが、男性の潜在的な(あるいは露骨な)願望を、ここまでストレートに、かつ馬鹿馬鹿しく描く手腕はさすがです。オチも含めて、くだらない、しかし笑ってしまう。そんな掌編です。

『インポグラ』。これもまた、タイトルから内容が推して知れる一編。勃起を抑制する薬「インポグラ」。その開発者から、有効な使い道を見つけてくれと頼まれた主人公。まさか、そんな使い道があったとは!と膝を打つような、しかし倫理的には大いに問題がありそうな結末を迎えます。人間の悩みや欲望が、時として奇妙な発明や需要を生み出すことを、皮肉たっぷりに示唆しています。男女間の心理描写も、なかなか鋭いものがあります。

『みえすぎ』。通常は見えないはずのホコリや細菌、化学物質などが、すべて克明に見えてしまう能力。これは、潔癖症の人でなくとも精神的に参ってしまうでしょう。「知らぬが仏」とはよく言ったものです。現代社会に溢れる様々な「見えない脅威」を可視化することで、我々がいかに多くのものに囲まれ、そして無頓着に生きているかを突きつけられます。すかしっ屁まで見破られるとしたら…想像するだに恐ろしい。社会風刺としても読める一編です。

『モテモテ・スプレー』。吹きかければ誰でも自分に好意を抱いてしまう、魔法のようなスプレー。しかし、それで得た好意は本物なのか? 主人公の葛藤と、最終的に彼が選んだ道、そしてその顛末は、安直な願望充足への警鐘とも取れます。オチのつけ方も、この作品集らしいブラックさ。モテない男の悲哀が、これでもかと描かれています。

『シンデレラ白夜行』。誰もが知る『シンデレラ』の物語を、大胆に裏側から読み解いたパロディ。健気で幸運な少女、というイメージを覆し、実はすべて計算ずくだった、というしたたかなシンデレラ像を描き出します。ガラスの靴の真相(?)など、細部の解釈も面白い。幸せは待っているだけではやってこない、自ら掴み取りに行くものだ、という教訓…と読むには、少々黒すぎるでしょうか。継母の冷静な娘評にも、思わず笑みがこぼれます。

『ストーカー入門』。見栄のために、別れた彼氏に「ストーカー」を演じさせる女性。そして、言われるがままに奇妙なストーカー行為を繰り返す元彼。その倒錯した関係性は、現代的な承認欲求の歪みを映し出しているのかもしれません。「ストーカーにすらされない自分は惨めだ」という思考回路は、理解し難いようでいて、どこか現代人の心の闇に通じる部分があるような気もします。ストーカー同士が挨拶を交わす場面のシュールさは、特筆すべきおかしさです。しかし、ラストの締め方は、やや配慮に欠けると感じる人もいるかもしれません。

『臨界家族』。次々と新しいシリーズ、新しい武器、新しいキャラクターが登場する子供向けアニメと、その関連商品。それに振り回され、おもちゃを買い与え続けるしかない家族の姿を描いたこの一編は、多くの親にとって「あるある」話ではないでしょうか。アニメ会社と玩具メーカーの巧みな戦略に踊らされ、まるで底なし沼のように、際限なく続く消費のスパイラル。まさに「臨界」状態。分かっていてもやめられない、その状況をユーモラスに、しかし痛烈に描き出しています。この作品集の中で、最もリアリティを感じさせる一編かもしれません。

『笑わない男』。高級ホテルの、まったく表情を変えない鉄仮面のボーイ。彼をなんとかして笑わせようと、崖っぷちのお笑い芸人コンビが奮闘します。繰り出される渾身のギャグも、ボーイにはまったく通じません。その理由は、最後に明かされるのですが、これがまた見事なまでに皮肉が効いています。芸人たちの必死さが空回りする様は滑稽であり、同時にプロの世界の厳しさも感じさせます。オチの切れ味は抜群です。

『奇跡の一枚』。友人と撮った写真に写る自分の顔が、いつもと違う。それは、自分が本当に見たかった、あるいは他人から見られているかもしれない、理想の姿なのかもしれません。容姿に対するコンプレックスや、自己認識と他者認識のズレという、普遍的なテーマを扱っています。単なるホラーかと思いきや、最後には少しだけ心温まる(?)展開が用意されているのが、他の作品とは少し毛色が違う点でしょうか。それでも、根底にはやはり、見た目に対する人間の執着という、ある種の業のようなものが描かれているように思えます。

こうして十三の物語を概観してみると、東野圭吾氏がいかに多彩な引き出しを持ち、そして人間という存在を冷徹に見つめているかが分かります。それは決して、人間嫌いというわけではないのでしょう。むしろ、その愚かさ、弱さ、俗物性を含めて、愛おしく思っているからこそ、ここまで意地悪く、しかしどこか共感を誘う物語を描けるのかもしれません。

特に文壇シリーズに見られる自虐的な視点は、長年この世界で生きてきた作家ならではのものでしょう。作家だって、名声や評価を気にするし、嫉妬もするし、勘違いもする。そんな「生身の人間」としての姿を、これでもかと見せてくれます。

全体を通して感じるのは、「笑い」の種類です。爆笑するような類のものではなく、どちらかと言えば、苦笑、失笑、冷笑に近い。読んでいる最中は「ひどい話だ」「くだらないな」と思うのに、なぜかページをめくる手が止まらない。それは、描かれている人物や状況が、程度の差こそあれ、我々自身の中にも存在する「黒い部分」を刺激するからではないでしょうか。

他人事として笑い飛ばせる部分もあれば、自分のコンプレックスや弱点を突かれて、ヒリヒリするような痛みを感じる部分もある。その両義性こそが、「黒笑小説」の最大の魅力であり、同時に手強い点でもあるのです。軽やかに楽しめるエンターテイメントであると同時に、人間の本質について深く考えさせられる。そんな多層的な読み方ができる作品集と言えるでしょう。東野圭吾作品の幅広さを知る上でも、一読の価値は十分にある、と私は考えます。

まとめ

東野圭吾氏の「黒笑小説」は、その名の通り、人間の内面に潜む黒々とした感情や俗物性を、皮肉と笑いを交えて描き出した十三の短編からなる作品集です。読後には、単純な爽快感とは異なる、複雑な味わいが残ることでしょう。それは、描かれる登場人物たちの愚かさや必死さが、決して他人事とは思えないからかもしれません。

文壇の裏側を自虐的に描いた連作から、男女間の奇妙な関係、日常に潜む異常な出来事まで、テーマは多岐にわたります。しかし、いずれの物語も、人間のどうしようもない性(さが)を鋭く、そして時に冷徹に映し出しています。その筆致は、時に読者の胸を抉るかもしれませんが、それこそが本作の醍醐味とも言えるでしょう。

もしあなたが、綺麗事だけではない、人間のリアルな姿に触れたいと望むなら、この「黒笑小説」は格好の一冊となるはずです。ただし、読後、鏡に映る自分の顔が、少しだけ皮肉な笑みを浮かべているように見えたとしても、それは仕方のないことかもしれません。それほどまでに、本作の「黒い笑い」は、深く心に染み入るのです。