開幕ベルは華やかに小説「開幕ベルは華やかに」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

この物語は、ただの演劇界の裏側を描いた作品ではありません。華やかな舞台の幕が開くその瞬間に至るまでの、人間の剥き出しの情念、芸術への狂信的なまでの献身、そして恐ろしいまでのエゴが渦巻く、圧巻の人間ドラマなんです。

物語の中心にいるのは、生きる伝説ともいえる大女優。彼女の放つ強烈な光は、周囲の人間を惹きつけながらも、その人生を容赦なく焼き尽くしていきます。そこに、かつて夫婦だった脚本家と演出家、そして歌舞伎界の重鎮といった一癖も二癖もある人々が絡み合い、物語は予測不可能な方向へと転がっていきます。

さらに、物語は途中から緊迫したサスペンスの様相を呈します。一本の脅迫電話が、芸術の聖域であるはずの劇場を恐怖と疑心暗鬼の渦に叩き込むのです。一体誰が、何のために?この謎が、登場人物たちがひた隠しにしてきた過去や本性を、白日の下に晒していくことになります。

この記事では、そんな「開幕ベルは華やかに」の物語の核心に、ネタバレを交えながら深く迫っていきます。読み終えた後、きっとあなたもこの物語の持つ凄まじい熱量に圧倒されるはずです。どうぞ、最後までお付き合いください。

「開幕ベルは華やかに」のあらすじ

物語の幕は、正月興行を目前に控えた帝国劇場で上がります。演劇界の重鎮である脚本家が突如降板するという、前代未聞の事態が発生。開幕まであと一ヶ月。絶望的な状況の中、白羽の矢が立てられたのは、気鋭の女性脚本家、小野寺ハルでした。彼女は、一つの条件付きでこの難役を引き受けます。それは、演出に元夫である天才演出家、渡紳一郎を起用することでした。

演目は、主演女優のたっての希望で、男装の麗人・川島芳子の生涯を描く壮大な歴史劇に決定していました。その主演を務めるのが、70歳にして今なおトップに君臨する大女優、八重垣光子。彼女は、類稀なる才能を持つ一方で、その性格は極めて自己中心的かつ専制的。「化け物」と評されるほどの存在でした。

光子の相手役には、歌舞伎界の重鎮、中村勘十郎が顔を揃えます。出自の違う二人の大スターは、稽古場で互いのプライドを懸けて激しく火花を散らし、稽古場はさながら戦場のよう。ハルと渡は、この怪物たちを相手に、果たして無事に初日の幕を開けることができるのでしょうか。

そんな中、劇場に一本の脅迫電話がかかってきます。「八重垣光子を舞台に出すな。さもなくば、舞台上で彼女を殺す」。最初は単なる悪戯かと思われた脅迫は、やがて現実味を帯び、劇場全体を底知れぬ恐怖に陥れていくのでした。物語の結末は、誰もが予想し得ない方向へと突き進んでいきます。

「開幕ベルは華やかに」の長文感想(ネタバレあり)

この物語の感想を語る上で、まず申し上げておきたいのは、本作が単なる演劇界の裏話や、付け焼き刃のミステリーではないということです。これは、「藝(げい)」という魔物に取り憑かれた人間たちの、壮絶な生き様そのものを描いた、魂の記録だと言えるでしょう。有吉佐和子という作家の、人間を見つめる容赦のない視線が、ページをめくるたびに突き刺さってきます。

物語を支配するのは、なんと言っても大女優・八重垣光子の圧倒的な存在感です。彼女は、現実世界の名優・初代水谷八重子をモデルにしていると言われていますが、そのキャラクター造形はまさに「怪物」。彼女の立つ場所が世界の中心であり、彼女の感情がすべての基準。その才能は疑いようもなく、舞台の上では神々しいほどの輝きを放ちますが、ひとたび舞台を降りれば、周囲の人間を平気で踏みつけにする暴君と化します。

この光子の怪物性を際立たせているのが、付き人である歌子の存在です。彼女は光子の才能に心酔し、身の回りの世話から代役まで、文字通り人生のすべてを捧げます。しかし、光子はそんな歌子に対し、感謝のかけらも見せません。それどころか、泡のないビールを要求するような些細な日常の場面で、その無神経な残酷さが繰り返し描かれます。歌子の人生は、光子という巨大な才能によって、ただただ搾取され続けるのです。この描写があるからこそ、私たちは光子を単なる天才として手放しで賞賛することができず、その芸術の裏にある巨大な犠牲について考えさせられます。

物語のもう一方の極にいるのが、歌舞伎界の重鎮、中村勘十郎です。彼もまた、十七代目中村勘三郎をモデルにしたとされる、藝の道の巨人。当初、彼は新派のスターである光子を、格下の存在として見下し、プロとしての対抗心を燃やします。二人の稽古場での衝突は、まさに火花が散るような迫力で描かれ、物語前半の大きな見どころとなっています。

しかし、この二人の対立は、単なる個人的な反目では終わりません。彼らは、互いの内に宿る、ジャンルを超えた「藝」そのものへの敬意を見出していきます。異なる演劇の伝統を背負う二人が、最終的には一つの舞台を成功させるという共通の目的のために、互いの力を認め合い、融合していく過程は、本作の大きなテーマの一つです。真の芸術は、個人のプライドや所属する世界の壁を乗り越える力を持つことを、彼らの関係性の変化が示しています。

そして、物語は中盤から、脅迫事件というサスペンスの様相を帯びていきます。このミステリー要素は、本作において非常に巧みな装置として機能しています。正直に言うと、純粋なミステリーとして見た場合、犯人探しのプロットには、ややご都合主義的に感じられる部分があるかもしれません。ですが、この物語における脅迫事件の本当の役割は、謎解きそのものにあるのではないのです。

この「死の脅威」という外部からの圧力は、登場人物たちが普段まとっているプロとしての仮面を容赦なく剥ぎ取り、その下にある生々しい本性を炙り出すための、強力な触媒なのです。虚構の世界を生きる糧とする人々が、死という究極の現実に直面したとき、どのように反応するのか。有吉佐和子は、それを冷徹な筆致で描き出していきます。

その真骨頂が、中村勘十郎の楽屋での場面でしょう。彼を犯人ではないかと疑う刑事に対して、勘十郎は芝居がかった、しかし心の底からの情熱に満ちた独白を始めます。「お嬢は、大女優よ。殺すのは惜しいよ、なんとか助けてやって下さい」。彼はこの懇願を、まるで舞台の一場面のように、刑事を唯一の観客として演じてみせるのです。

この場面の凄みは、彼の光子の「藝」に対する敬意が紛れもなく本物であると同時に、その表現方法がどこまでも「役者」のものであるという点にあります。彼のような「藝の怪物」にとっては、人生そのものが舞台であり、演技こそが真実を表現する唯一の手段なのです。オフの状態など存在しない。この場面は、虚構と現実が分かちがたく結びついた、パフォーマーという人間の本質を見事に捉えています。

さて、ここからは物語の核心に触れる重大なネタバレになります。この脅迫事件の犯人は、単独犯ではありませんでした。それは、八重垣光子への積年の恨みを抱く者たちによって、周到に計画された復讐劇だったのです。数十年前、光子の冷酷な野心によって破滅させられた一人の女優。犯人たちは、その犠牲者の関係者でした。

彼らの目的は、光子の殺害そのものよりも、彼女を精神的、経済的に破滅させることにありました。この復讐計画の全貌が明らかになるにつれて、物語の後半では新たな人物が次々と登場し、複雑な人間関係が示されます。この展開を、やや唐突で分かりにくいと感じる読者もいるかもしれません。

しかし、この一見すると「乱雑」なプロットこそが、光子という一人の天才が犯した罪が、いかに広範囲に、そして世代を超えて混沌とした影響を及ぼすかということを、物語の構造自体で示しているのではないでしょうか。過去の罪から生まれた怨念は、決して単純な形では現れない。それは複雑に絡み合った網の目となり、そこから生まれる復讐もまた、同様に複雑な様相を呈するのです。このミステリーの焦点は、トリックの巧妙さではなく、その根源にある人間の「業」の深さと醜さにあるのです。

そして、物語はあの鮮烈なラストシーンへとたどり着きます。多くの読者の記憶に、衝撃と共に刻み込まれているであろう、あの結末です。警察の活躍によって犯人グループの計画は阻止され、光子の命は救われます。劇場が安堵に包まれる中、しかし光子の顔に浮かんだのは、感謝や安堵の表情ではありませんでした。

そこにあったのは、純粋な、混じりけのない激しい怒り。彼女は、涙を流して憤慨するのです。その理由はただ一つ。警察の介入という「現実」の出来事が、彼女の芝居のクライマックスを台無しにしてしまったことへの、プロとしての屈辱でした。観客の注目が、最も重要な瞬間に、彼女の芸術から奪い去られてしまった。彼女にとって、それは自身の死の脅威よりも、遥かに重く、許しがたい裏切りだったのです。

この結末のあまりの鮮やかさには、ただただ打ちのめされます。彼女の流す涙が、本物の感情なのか、それとも芸術的憤怒という最後のパフォーマンスなのか。その境界線が曖昧であることこそが、この結末を完璧なものにしています。彼女が、人生よりも舞台を、現実よりも虚構を上位に置く、真の「藝の怪物」であることを、このラストシーンが最終的に証明するのです。

この物語は、改心や成長といった安易な救いを登場人物に与えません。光子は最後まで光子であり続け、その恐るべき本質を、最も純粋な形で私たちに見せつけます。「この世界で最も価値あるものは何か」という問いに対し、彼女の怒りの涙は明確に答えています。それは「パフォーマンス」である、と。

「開幕ベルは華やかに」というタイトルは、人生そのものに主役の座を奪われた大女優が、終幕のカーテンが下りた後に見せる、壮絶なまでの静寂と怒りの中に、その真の響きを見出すのかもしれません。これは、芸術という魔力に取り憑かれた人間の、恐ろしくも美しい魂の物語として、これからも長く読み継がれていくに違いありません。この作品の持つ熱量、そして読後にも残る深い余韻は、まさに圧巻の一言です。

まとめ

有吉佐和子の「開幕ベルは華やかに」は、華やかな演劇界の裏側で繰り広げられる、人間の欲望と芸術への執念を描ききった傑作でした。物語のあらすじを追うだけでも、そのドラマチックな展開に引き込まれますが、この作品の真価は、登場人物たちの強烈な個性と、その魂のぶつかり合いにあります。

特に、大女優・八重垣光子というキャラクターは圧巻です。彼女の生き様は、芸術のためにはすべてを犠牲にすることも厭わない人間の、凄みと恐ろしさを見せつけます。そして、彼女を取り巻く人々もまた、一筋縄ではいかない者たちばかり。彼らの間で繰り広げられる権力闘争や心理戦は、一時も目が離せません。

また、物語にサスペンスの要素を加える脅迫事件は、登場人物たちの本性を暴く見事な仕掛けとして機能しています。ネタバレになりますが、その結末で明かされる衝撃のラストシーンは、この物語が単なるエンターテインメント作品ではないことを雄弁に物語っています。芸術とは何か、そして人間とは何かという、根源的な問いを読者に投げかけるのです。

まだこの物語を読んでいない方はもちろん、かつて読んだことがある方も、ぜひ再読をお勧めします。ページをめくるたびに、人間の業の深さと、それでもなお輝きを放つ芸術の魔力に、きっと圧倒されることでしょう。