小説「私と踊って」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
恩田陸さんの作品には、いつも独特の世界観に引き込まれてしまいますよね。今回ご紹介する「私と踊って」は、「図書室の海」「朝日のようにさわやかに」に続く、ノンシリーズ短編集の第三弾にあたります。まるで色とりどりの宝石が詰まった玉手箱のような、そんな一冊なんです。
収録されているのは、全部で19編もの短い物語たち。SF的な設定のものから、日常に潜むちょっとした不思議を描いたもの、異国の情緒あふれるノスタルジックな話まで、本当に多種多様な物語が収められています。恩田さんの持つ多面的な魅力が、この一冊にぎゅっと凝縮されているように感じます。
この記事では、そんな「私と踊って」に収録されている物語たちの詳しい内容、特に結末部分にも触れながら、その魅力に迫っていきたいと思います。私がそれぞれの物語を読んで何を感じ、どう考えたのか、たっぷりと語らせていただきますね。まだ読んでいない方は、物語の結末に触れる部分もありますので、ご注意いただければと思います。
小説「私と踊って」のあらすじ
恩田陸さんの短編集「私と踊って」は、まさに万華鏡のような一冊です。ページをめくるたびに、まったく違う色合いの物語世界が広がります。全19編という、短編集としてはかなりボリュームのある構成で、読み応えは抜群ですよ。ミステリアスな雰囲気、SF的な空想、どこか懐かしい気持ちにさせる情景、少しぞくりとするような展開など、様々な味わいの物語があなたを待っています。
例えば、「心変わり」というお話では、いなくなった同僚のデスクからとんでもない秘密が見つかる、というスリリングな展開が待っています。日常が非日常へと反転する瞬間の、あの独特の感覚を味わえます。また、「忠告」とそれに続く「協力」では、なんと文字を書けるようになった猫が登場します。最初は愛らしい手紙かと思いきや、そこには意外な真実が隠されているのです。動物が持つ、人間には計り知れない一面を垣間見るような、不思議なお話ですね。
「少女界曼荼羅」は、特に独創的な世界観が光る一編です。建物が常に動き続け、教室さえも漂流してしまうという、想像を超えた設定に驚かされます。そんな不安定な世界で、少女たちは何を思い、何を探しているのでしょうか。幻想的でありながら、どこか不穏な空気も漂う、忘れられない物語です。
異国の街を舞台にした「台北小夜曲」では、旅先で感じるデジャヴュのような感覚や、ありえたかもしれない別の人生への郷愁が、美しい文章で描かれています。ノスタルジックで、少し切ない雰囲気が心に残ります。そして表題作でもある「私と踊って」は、バレエダンサーの世界が舞台。才能を持つ者の孤独や、芸術にかける情熱、そして友情が、鮮やかに描き出されています。舞台の情景が目に浮かぶような、臨場感あふれる描写も魅力です。
このほかにも、カルト集団の不気味さを描いた話、死者の視点から語られる話、古代と現代が繋がる不思議な感覚を描いた話など、一つ一つが個性的で、読者を飽きさせません。恩田陸さんらしい、少し不思議で、美しく、時にぞっとするような物語の断片たちが、この短編集には詰まっているのです。それぞれの物語は独立していますが、読み進めるうちに、何か共通するテーマや、恩田さんならではの感覚が通底していることに気づくかもしれません。
小説「私と踊って」の長文感想(ネタバレあり)
さて、ここからは小説「私と踊って」に収録されている各短編について、物語の核心部分や結末にも触れながら、私が感じたことや考えたことを詳しくお話ししていきたいと思います。まだ作品を読んでいない方や、結末を知りたくないという方は、ここから先はご注意くださいね。
まず、「心変わり」。これは本当に引き込まれました。最初は、よくある会社の日常風景かと思いきや、同僚の失踪と、彼のデスクに残された奇妙な品々。徐々に明らかになる彼の裏の顔…もしかしてスパイ?いや、スナイパーなのかもしれない。その可能性に気づいてしまった主人公・城山の視点を通して、じわじわと迫りくる恐怖がたまりません。結末は明確には描かれませんが、城山の身を案じずにはいられませんでした。日常に潜む非日常というテーマが、見事に描かれています。
次に「骰子の七の目」。これは少し不気味な雰囲気が漂うお話でした。会議室に見知らぬ女が紛れ込んでいる、という冒頭からして奇妙です。「腕時計か柱時計か」なんていう議題も、なんだか現実離れしていますよね。ガムラン音楽やプロパガンダ法といった要素が、カルト的な集団の異様さを際立たせています。二者択一を迫るような思考の危うさも感じさせられました。結局、怪しいと思っていた女が味方のような存在だった、という結末も、なんとも言えない後味の悪さを残します。
「忠告」と「協力」はセットで読むべき作品ですね。「忠告」は、ひらがなで書かれた猫からの手紙という設定がまず面白い。たどたどしい文面から、ご主人様を心配する猫の健気さが伝わってきます。そして「協力」で、その後の顛末が明かされるのですが…これがまた、意表を突く展開でした。不倫の証拠を隠す手伝いをしたと思いきや、実は猫には別の思惑があった。動物の持つ狡猾さ、あるいは人間には理解できない論理のようなものを感じさせられ、少しぞくりとしました。「猫だから」という理由付けが、妙に説得力を持っている気がします。
「弁明」は、非常に雰囲気のある一編でした。劇団の稽古場で、亡くなったはずの女性が自分自身の死について語る、という劇中劇の形式をとっています。彼女の話は、本当にあったことなのか、それとも単なる演技なのか?薬がなくなっていく恐怖を生々しく語る場面は、読んでいるこちらも息苦しくなるほどでした。「中庭の出来事」という別の作品と繋がっているとのことですが、単体で読んでも、その曖昧さと余韻が心に残ります。真実がはっきりしないからこそ、想像力が掻き立てられますね。
そして「少女界曼荼羅」。これは、この短編集の中でも特に印象的な、独創的な世界観を持つ作品です。建物が固定されず、常に漂流している世界。学校の教室さえも、授業を受けたい先生の元から遠ざかってしまう。そんな不安定な世界で生きる少女たちの視点から、物語は語られます。時折現れるという金色の箱と、その中にいるという“彼女”。少女たちは“彼女”に会いたがっていますが、その正体は謎に包まれています。荒唐無稽とも言える設定ですが、不思議と引き込まれ、この世界の全貌をもっと知りたいと思わされました。作者自身があとがきで“プロトタイプ”と語っているように、長編として読んでみたいと強く感じる魅力があります。
「思い違い」は、「心変わり」と対になる作品とされていますが、私には少し難解に感じられました。同窓会の場面など、コミカルな要素もあるようですが、全体としては掴みどころがない印象でした。壮大な物語の一部を切り取って見せられているような感覚で、もっと詳しい背景や本筋を知りたい、という欲求不満が残ったかもしれません。発煙筒の男の正体など、謎が多いまま終わります。
「台北小夜曲」は、個人的にとても好きな作品です。台北という街の、発展していく中でも失われないノスタルジックな雰囲気が、恩田さんの美しい文章で見事に表現されています。「ここはデジャ・ビュの街だ」という一文が象徴するように、旅先で感じる既視感や、「在りえたはずの自分の別の人生」への郷愁が、胸に染み入りました。物語の結末は少し幻想的で、子供時代の思い出の中にいたはずの幼馴染みが、現実の主人公の前に現れる。カラスが人間の姿になる描写も含め、夢と現実が交錯するような、不思議な余韻を残すお話です。
「理由」は、かなりシュールで不条理な一編でしたね。朝起きたら耳の中に猫が入っていた、という突拍子もない出来事を、登場人物たちはなぜか比較的冷静に受け止めている。カフカの「変身」を少し彷彿とさせるような雰囲気もあります。会話もどこか噛み合わない感じで、全体的にユーモラスでありながら、どこか落ち着かない気分にさせられます。最後の「だからパパとママは結婚した」というセリフも、唐突で驚きました。
「火星の運河」は、「台北小夜曲」とリンクする内容が含まれています。火星の運河を巡る空想と、台北での現実が、ふとした瞬間に交差するような感覚。最後に、かつて出会った(かもしれない)女性と思わしき人物とすれ違う場面は、空想が現実を侵食するような、あるいは空想が現実になる瞬間のような、不思議な感動がありました。暁由(シャオヨウ)という名前の響きも印象的です。
「死者の季節」は、恩田さんのエッセイを読んでいるような感覚になる一編でした。死生観や占いについて、作者自身の考えが投影されているように感じられます。「死者にふさわしい季節はいつだろうか」という問いかけが、静かに心に響きます。4月という、始まりの季節でありながら、どこか物悲しさも漂う月に焦点を当てているのも興味深いですね。占いを信じないと言いつつも、不思議な体験談に引き込まれていく語り手の様子に、共感を覚える人もいるのではないでしょうか。
「劇場を出て」は、多部未華子さんの写真集のために書かれたという背景を知って、なるほどと納得した作品です。女優の卵であろう少女の、揺れ動く自意識や、憧れの相手への淡い想いが、短い中に凝縮されています。劇のセリフを口ずさむ場面など、青春の一コマを切り取ったような、切なさが感じられました。
「二人でお茶を」は、音楽への深い愛情が感じられる物語でした。若くして亡くなった天才ピアニスト、ディヌ・リパッティ。その魂が、現代の無名のピアニストに降りてきて、思う存分ピアノを弾く。憑依というよりは、才能と願いだけがそっと受け継がれる、という描き方が素敵です。音楽の知識がなくても、ピアノの音色が聞こえてくるような、美しい情景描写に引き込まれました。作者のディヌ・リパッティへの敬愛が伝わってきます。
「聖なる氾濫」「海の泡より生まれて」「茜さす」の三編は、それぞれ大英博物館、図書館、奈良(石上神宮)といった場所を舞台に、そこに宿る歴史や人々の思い、いわゆる残留思念のようなものをテーマにしています。「聖なる氾濫」ではピラミッドの謎に触れ、「海の泡より生まれて」では図書館前のヒナゲシが印象的でした。「茜さす」での、古代が現代に地続きで息づいているという奈良の描写には、鳥肌が立つような感覚を覚えました。場所が持つ力、時間の流れといったものを強く意識させられる作品群です。
そして表題作の「私と踊って」。これはバレエダンサーという、特殊な世界を生きる人々の物語です。逸材と言われるダンサーが持つ圧倒的な「速さ」、静止していても魂が踊り続けているような内面の表現など、身体表現の奥深さが伝わってきます。プリンシパルと女性編集者の間に流れる、友情とも少し違う、静かで彩度の低い関係性も印象的でした。ピナ・バウシュという実在の舞踏家をモチーフにしているという点も興味深く、実際の舞台を観てみたくなります。短いながらも、舞台芸術の魅力と、そこに生きる人々の葛藤がしっかりと描かれています。
「東京の日記」は、横書きで、本の最後から逆向きに読んでいくという特殊な形式がまず目を引きます。「何か」大きな出来事が起こった後の、緩やかに統制され、監視されている東京での暮らしが、外国人の視点から日記形式で綴られます。夜間外出令や情報の統制といった描写は、ディストピア的な雰囲気を醸し出しています。2011年の震災以前に書かれたにも関わらず、それを予見したかのような記述もあり、読む時期によってはドキリとさせられるかもしれません。
最後に「交信」。これは文章そのものだけでなく、本の装丁、見せ方まで含めて一つの作品となっている、非常に実験的な試みです。図書館で借りた本には、コピーが貼り付けられていたというエピソードがありましたが、単行本ではカバーを外した表紙と裏表紙に書かれているようです。漢字とひらがなの文、カタカナの文が組み合わされ、視覚的にも訴えかけてきます。内容は、数年前に話題になった小惑星探査機「はやぶさ」に関するものだそうですが、予備知識なしに読むと、抽象的で少し怖い印象も受けます。文章でここまでアーティスティックな表現ができるのか、と感心させられました。
「私と踊って」は恩田陸さんの作家としての引き出しの多さ、発想の自由さを改めて感じさせてくれる短編集でした。各編が独立した物語でありながら、どこか共通する空気感――ノスタルジー、少しの不穏さ、日常に紛れ込んだ不思議、そういったものが通奏低音のように流れている気がします。作者があとがきで「プロトタイプ」と述べているように、ここから長編に発展しそうな魅力的な設定や世界観も多く、読者の想像力を刺激してくれます。また、作者自身による全話解説が収録されているのも嬉しい点です。解説を読むことで、作品への理解が深まったり、新たな発見があったりして、二度楽しめる構成になっています。読後感も様々で、すっきりとした満足感を得られる話もあれば、解釈の余地を残す曖昧さに考えさせられる話、少し消化不良気味になるけれど忘れられない印象を残す話など、多彩な読書体験ができました。まさに、恩田陸ワールドの魅力が詰まった一冊だと言えるでしょう。
まとめ
恩田陸さんの短編集「私と踊って」は、19もの色とりどりの物語が詰まった、まるで宝箱のような一冊でしたね。SF的な設定から、日常に潜むミステリー、異国の情緒を感じるノスタルジックな話、そして少し背筋がぞくりとするような話まで、本当に幅広いジャンルの物語を楽しむことができます。
一つ一つの物語は短いながらも、恩田さんならではの独特な世界観、美しい情景描写、そして人間の心の奥底に触れるような深い洞察が凝縮されています。特に「少女界曼荼羅」の独創的な設定や、「台北小夜曲」の切ない雰囲気、「私と踊って」で描かれるバレエの世界などは、強く印象に残りました。また、「忠告」と「協力」のような、少しひねりの効いた結末も魅力的です。
この短編集は、物語の結末がはっきりと描かれずに、読者の想像に委ねられるような作品も多く含まれています。それが物足りなく感じる方もいるかもしれませんが、むしろその余韻こそが、恩田作品の魅力の一つではないかと私は思います。読んだ後も、物語の世界についてあれこれと考えを巡らせる楽しみがあります。
恩田陸さんのファンの方はもちろん、まだ恩田作品に触れたことがないという方にも、入門編としておすすめできる一冊です。きっと、あなたの心に響くお気に入りの物語が見つかるはずですよ。様々な味付けの物語を少しずつ味わえる、贅沢な読書体験をぜひ楽しんでみてください。