小説「白い巨塔」のあらすじをネタバレ込みでご紹介します。長文で深く掘り下げた内容もありますので、ぜひ最後までお読みください。
山崎豊子先生の傑作「白い巨塔」は、医療現場の光と影をこれほどまでに生々しく描き出した作品は他に類を見ません。大学病院という閉鎖された空間で繰り広げられる権力争い、人間の野心、そして医療倫理の葛藤が、息をのむようなリアリティをもって描かれています。登場人物一人ひとりの葛藤や思惑が複雑に絡み合い、読者はまるでその場に居合わせるかのような錯覚に陥るでしょう。
本作が世に問いかけるのは、単なる医療過誤の問題だけではありません。組織という名の「白い巨塔」の中で、個人の尊厳や倫理がいかに踏みにじられ、真実が歪められていくかという、普遍的なテーマが潜んでいます。それは、私たちの社会のあらゆる組織にも通じる、人間の本質的な部分をえぐり出すかのようです。
主人公である財前五郎と里見脩二という対照的な二人の医師を通して、医療の理想と現実、そして人間の持つ光と闇が鮮やかに描き出されます。読む者の心に深く刺さるその描写は、読後も長く心に残り、医療従事者だけでなく、組織に属するすべての人々に、自身のあり方を問い直すきっかけを与えてくれるに違いありません。
「白い巨塔」のあらすじ
物語は、大阪の浪速大学医学部第一外科の助教授である財前五郎の活躍から幕を開けます。彼は天才的な外科医として名を馳せ、その腕前は「財前なくして成功なし」とまで言われるほどでした。そんな財前が、教授の座を狙う野心を胸に抱き、そのためにあらゆる手段を講じていくところが本作の大きな見どころです。
現教授である東貞蔵は、定年退官を控えており、後任教授の選出が迫っていました。当初、東教授は財前を後任にと考えていましたが、彼の野心的な言動や傲慢な態度に嫌悪感を抱き始めます。そして、自身の意向とは異なる人物を教授にしようと画策し、金沢大学の菊川昇教授を対立候補として擁立するのです。
財前の義父である産婦人科医・財前又一は、豊富な資金力と医学界における隠然たる影響力を駆使し、娘婿である財前を教授の座に就かせようと奔走します。医学部長である鵜飼良一教授もまた、自身の学長選挙を有利に進めるため、財前を支援することになります。こうして、浪速大学医学部では、教授の座を巡る熾烈な権力闘争が繰り広げられることになります。
この教授選の最中、財前は胃癌患者である佐々木庸平の手術を担当します。しかし、里見脩二助教授が術前に癌の転移を疑い、詳しい検査を勧めるものの、財前は自身の診断に絶対の自信を持ち、傲慢にもその忠告を無視してしまうのです。その結果、手術は成功したかに見えましたが、術後、患者の容態は急変し、佐々木庸平は帰らぬ人となります。これを不審に思った遺族は、財前を相手取り、医療過誤訴訟を起こすことを決意します。
「白い巨塔」の長文感想(ネタバレあり)
「白い巨塔」を読み終えた時、まず胸を締め付けられたのは、財前五郎という男のあまりにも人間くさい、そして悲劇的な生き様でした。彼はまさに天才外科医。その手術の腕前は神業と称され、多くの命を救う可能性を秘めていました。貧しい生い立ちから這い上がり、その才覚だけで頂点を目指す姿は、ある意味で現代社会における「成功」の象徴だったのかもしれません。しかし、彼の抱く野心は、次第に彼の倫理観を蝕んでいきます。教授という権力の座に固執するあまり、患者への配慮や同僚への敬意が失われていく様は、読んでいて胸が苦しくなるほどでした。彼の行動は、一見すると利己的に映りますが、その根底には「貧困から抜け出し、二度とあの頃には戻らない」という、彼なりの純粋な幸福への渇望があったのだと感じました。
物語の大きな転換点となるのは、佐々木庸平の医療過誤訴訟です。財前が、里見の忠告を無視し、驕りから検査を怠った結果、患者の命を奪ってしまったという事実は、読者に大きな衝撃を与えます。ここでの財前の態度は、まさに傲慢そのもの。患者が「保険扱い」であるというだけで、その命の重さに差をつけるような姿勢は、医療に携わる者として決して許されるものではありません。しかし、それ以上に恐ろしいのは、大学病院という組織が、その過失を隠蔽しようと画策する姿でした。真実をねじ曲げ、証人を懐柔し、あらゆる手を尽くして財前を守ろうとする大学側の動きは、まるで巨大な悪の組織のようです。
この訴訟で、財前と対立する里見脩二助教授の存在は、財前の闇を一層際立たせる光となりました。里見は、出世には一切興味がなく、ひたすら患者と向き合い、真摯に医療と学問を追求する、まさに「理想の医師」です。彼の愚直なまでの正義感は、時に周囲に疎まれることもありましたが、彼の存在があったからこそ、この物語は単なる権力闘争に終わらず、医療倫理という普遍的な問いを投げかける作品となり得たのだと思います。財前と里見は、医師としての信念において真逆の道を歩みながらも、互いを深く理解し、心の奥底では必要とし合っていたという、その「共依存的」な関係性には、なんとも言えない切なさを覚えました。
一審での財前の敗訴は、まさに「天罰」とも言える結果でした。金と権力で全てをねじ伏せようとした財前側の目論見が打ち砕かれた瞬間は、読者にとってもカタルシスを感じるものでした。しかし、ここからが、物語のさらに深い部分が描かれることになります。控訴審において、財前は再び柳原弘に偽証を強いますが、彼の苦悩は見ていて痛々しいほどです。良心の呵責に苛まれながらも、自身の将来と家族のために、組織の圧力に屈しようとする柳原の姿は、私たちの社会に生きる多くの人々の姿と重なります。彼が最終的に真実を証言した時、その瞬間に彼の人生は大きく変わることを予感させ、同時に、人間の良心の尊さを改めて感じさせられました。
東貞蔵教授もまた、この物語において重要な役割を担っています。彼は財前の師でありながら、その野心と傲慢さに嫌悪感を抱き、教授選では財前の対立候補を擁立します。彼の行動には、自身の大学内での影響力を維持したいという思惑や、財前への嫉妬のような感情も見て取れます。しかし、財前が末期の胃癌に倒れた時、里見の説得によって執刀を引き受ける姿には、医師としての東教授の誇りや使命感が垣間見え、彼の複雑な人間性を感じさせられました。
そして、物語の結末。控訴審での敗訴後、財前は自らも末期の胃癌に倒れます。皮肉にも、彼が専門としていた癌で、しかも彼自身が佐々木庸平の診断で見落とした可能性のある病状でした。最期の瞬間に、里見に宛てた手紙で自身の過ちを認め、佐々木庸平の死因が癌の転移によるものであることを記す財前。この遺言は、彼が死に直面して初めて、医師としての純粋な学究心と倫理観を取り戻したことを示唆しています。そして、「2人で……里見……」という彼の最期のうわ言は、彼の野望の果てに得た孤独と、真に求めていたものが里見との協働であったという、あまりにも悲劇的な彼の本心を浮き彫りにします。
財前の死は、彼が築き上げてきた「白い巨塔」が、いかに虚しいものであったかを物語っています。地位や名誉、富を手に入れたところで、心の奥底に宿る孤独は埋められず、結局彼は、真の理解者である里見との協働を夢見ていたのかもしれません。彼の死後、里見が浪速大学を去り、患者第一の医療を追求する道を選び、柳原もまた無医村へと向かう姿は、この物語が単なる悲劇に終わらず、未来への希望を残していることを示唆しているように感じられます。
「白い巨塔」は、医療現場における権力構造、組織の腐敗、そして個人の倫理観の葛藤をこれほどまでに深く描いた作品は他にありません。しかし、それは決して医療界だけの問題ではありません。この作品は、私たちの誰もが属するあらゆる組織において、個人の良心がいかに試され、真実がいかに隠蔽されうるかという、普遍的なテーマを問いかけています。人間の欲望、弱さ、そして崇高な精神が入り乱れる様は、まさに人間ドラマの真髄であり、読む者の心に深く、そして重く響き渡ります。この作品は、時代を超えて読み継がれるべき、まさに傑作中の傑作です。
まとめ
山崎豊子先生の「白い巨塔」は、浪速大学医学部を舞台に、野心的な外科医・財前五郎の栄光と挫折、そして彼を取り巻く医療界の闇を描き出した壮大な物語です。教授の座を巡る熾烈な権力闘争、そして患者の命を軽視した結果引き起こされる医療過誤訴訟を通して、大学病院という「白い巨塔」が持つ構造的な問題と、人間の倫理観が深く問いかけられます。
財前の天才的な技術と、患者に寄り添う里見脩二の理想主義という対照的な二人の医師の生き様が、物語の核を成しています。彼らの葛藤や、組織の論理と個人の良心がぶつかり合う様は、読者に強烈な印象を与え、医療の本質とは何かを深く考えさせられます。特に、金と権力によって真実が歪められていく描写は、現代社会にも通じる普遍的な問題を提起しています。
財前が最後に自らの病に倒れ、医師としての原点に立ち返る姿、そして里見や柳原がそれぞれの道で理想の医療を追求していく姿は、物語に救いと希望を与えます。権威主義が蔓延る中でも、個人の信念と行動が、たとえ小さな一歩であっても、未来を切り開く可能性を示唆しているのです。
この「白い巨塔」は、単なる医療ドラマの枠を超え、人間社会の普遍的なテーマを描いた傑作です。医療従事者の方々はもちろんのこと、あらゆる組織に属するすべての人々に、自身の仕事や生き方における倫理観、そして人間の尊厳について深く考察するきっかけを与えてくれることでしょう。