猫と庄造と二人のおんな小説「猫と庄造と二人のおんな」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

この物語は、一人の男と彼を取り巻く二人の女性、そして一匹の猫を巡る、なんとも奇妙でこじれた人間模様を描いた作品です。ただの痴話喧嘩や三角関係の話だと思って読み始めると、そのあまりに独特な関係性にきっと驚かされることでしょう。

物語の中心にいるのは、人間ではなく、リリーという名の美しい猫なのです。主人公の庄造は、このリリーを異常なまでに溺愛しており、その愛情は妻に対するものをはるかに凌駕しています。このいびつな愛情が、現在の妻・福子と、前の妻・品子との間に、静かでありながらも激しい嵐を巻き起こしていくことになります。

猫を愛するあまり、人間関係が崩壊していく。その様子は滑稽であると同時に、どこか背筋がぞっとするような恐ろしさも感じさせます。人間の嫉妬や執着、エゴといったものが、一匹の猫を触媒として赤裸々に描き出されていくのです。

この記事では、そんな「猫と庄造と二人のおんな」の物語の顛末と、そこに渦巻く登場人物たちの複雑な心理について、深く掘り下げていきたいと思います。この奇妙な愛憎劇がどのような結末を迎えるのか、ぜひ見届けてください。

小説「猫と庄造と二人のおんな」のあらすじ

芦屋で荒物屋を営む石井庄造は、商売に身が入らない、どこか頼りない男でした。彼の生活のすべては、リリーと名付けた一匹の雌猫を中心に回っています。庄造のリリーへの愛情は尋常ではなく、食事を口移しで与えるほどで、その様子は周りから見れば奇異としか言いようがありません。彼の家には現在の妻、福子がいますが、彼女は自分が夫から猫以下の扱いを受けていることに、深い不満と嫉妬を募らせていました。

家庭内が不穏な空気に包まれる中、庄造の前妻である品子から、現在の妻・福子宛に一通の手紙が届きます。その内容は、もしよろしければ、かつて自分が可愛がっていた猫のリリーを譲ってほしい、というものでした。品子は、庄造に新しい妻が来た今、リリーはもう邪魔になっているのではないか、と福子の気持ちを巧みに刺激するような言葉を綴っていました。

福子にとって、この手紙は目の上のたんこぶであるリリーを家から追い出す絶好の機会でした。彼女は庄造にリリーを品子に譲るよう、激しく迫ります。「お前となら別れられても、この猫とやったらよう別れん」とまで言い切る庄告は必死に抵抗しますが、福子の勢いと、彼女に味方する母のおりんからの圧力に、なすすべもありません。

결국, 庄造は泣く泣くリリーを手放すことを承諾します。彼は、かつて一度だけ家出したリリーが自力で戻ってきたように、今回もきっと品子の家から帰ってきてくれるだろうという、淡い期待を胸に抱いていました。こうして、物語のすべての原因である猫のリリーは、庄造の元を離れ、前妻・品子の元へと引き取られていくのでした。

小説「猫と庄造と二人のおんな」の長文感想(ネタバレあり)

この物語を読み解く上で、まず向き合わなければならないのは、主人公である庄造という男の、常軌を逸した猫への愛情です。彼は妻の福子に対して「お前となら別れられても、この猫とやったらよう別れん」と公言してはばかりません。これは単なる比喩表現ではなく、彼の本心そのものなのです。彼の世界はリリーという猫を中心に構築されており、人間関係はその周縁に存在するにすぎません。

庄造の愛情は、もはや「溺愛」という言葉では生ぬるい、「隷属」と呼ぶのがふさわしいものです。彼はリリーの気まぐれに一喜一憂し、その存在に自身の全存在を委ねています。なぜ彼は、人間である妻ではなく、言葉も通じない一匹の動物に、これほどの執着を見せるのでしょうか。それはおそらく、彼の甲斐性のなさや、人間関係の複雑さから逃避するための、最も都合の良い避難場所がリリーだったからではないでしょうか。

リリーは庄造に何も要求しません。ただそこにいて、気ままに振る舞うだけです。その見返りを求めない姿に、庄造は裏切られることのない完璧な愛の理想像を投影していたのかもしれません。人間相手では決して得られない、絶対的な支配と献身の関係。その倒錯した安心感に、彼は浸りきっていたのです。この物語は、そんな庄造の歪んだ精神構造が、周囲の人間を巻き込み、崩壊していく様を描いた悲喜劇といえるでしょう。

次に、現在の妻である福子の立場から物語を見てみましょう。彼女の抱く嫉妬や不満は、非常に人間的で、共感できるものです。夫が自分よりも猫を大切にし、あからさまに差別的な扱いをする。そんな結婚生活に耐えられる女性は、そうそういないでしょう。彼女がリリーを家から追い出そうと画策するのは、ごく自然な感情の発露です。

しかし、物語の皮肉なところは、福子のその「正しさ」が、かえって事態を悪化させてしまう点にあります。彼女は、リリーという物理的な存在さえいなくなれば、夫の愛情が自分に向くと信じていました。しかし、庄造にとってリリーは単なるペットではなく、自己のアイデンティティの一部と化しています。リリーが家からいなくなった後も、庄造の心はリリーに囚われたままであり、福子は見向きもされません。

福子の戦いは、夫の愛情を巡る、人間の女性との戦いではありませんでした。彼女が戦っていた相手は、夫の心の中に巣食う「リリーという名の偶像」だったのです。それは決して打ち破ることのできない、強固な幻想でした。彼女の行動はすべて裏目に出て、結果的に自らの手で夫との関係を決定的に破壊してしまいます。彼女もまた、この奇妙な物語の悲劇のヒロインの一人なのです。

そして、この物語で最も興味深い変化を遂げるのが、前妻の品子です。彼女は当初、リリーをダシにして庄造との関係を取り戻そうとする、計算高い女性として登場します。福子に送った手紙の内容は、慇懃無礼でありながら、相手の痛いところを的確に突く、実に巧みなものでした。彼女の目的は、あくまでも庄造の心を引き戻すための手段として、リリーを手に入れることでした。

ところが、実際にリリーを引き取り、世話をしていくうちに、彼女の心に予想外の変化が訪れます。最初は警戒し、懐こうとしなかったリリー。しかし、品子が根気よく世話を続けるうち、リリーは少しずつ心を開いていきます。その過程で、品子はリリーそのものの魅力に気づき、純粋な愛情を抱くようになるのです。かつては庄造の愛を奪った憎い競争相手であったはずの猫が、かけがえのない伴侶へと変わっていきます。

この品子の心変わりの描写は、この物語の白眉ともいえる部分でしょう。彼女は、庄造を取り戻すという当初の目的を忘れ、リリーとの穏やかな生活の中に、真の幸福を見出していきます。計算から始まった関係が、純粋な愛着へと昇華していく。この変化によって、彼女は庄造への執着という呪縛から解き放たれ、物語の中で唯一、精神的な安定と救いを手に入れることになるのです。

物語を陰で操る重要な人物として、庄造の母・おりんの存在も忘れてはなりません。彼女は、甲斐性のない息子を育て上げた気丈な母親であり、常に石井家の安泰を第一に考える現実主義者です。福子の持参金を目当てに、邪魔になった前妻の品子を追い出し、福子を後妻に迎えたのも、すべて彼女の画策でした。

家庭内で福子と庄造の対立が激化すると、彼女は福子の側に立ち、庄造にリリーを手放すよう説得します。それは、家庭内の平和を取り戻したいという思いと同時に、持参金を持ってきてくれた福子の機嫌を損ねたくない、という現実的な計算が働いてのことでしょう。彼女の行動原理は、愛情や同情といった感情ではなく、常に損得勘定に基づいています。

おりんのこうした現実的な判断は、登場人物たちの複雑な感情を無視し、結果として物語をよりこじらせる原因となっていきます。彼女は良かれと思って行動しているのかもしれませんが、その行動が息子を精神的に追い詰め、家庭を崩壊させる引き金となってしまうのです。彼女の存在は、感情のもつれに現実的な利害が絡み合うことで、人間関係がいかに修復不可能なまでに破壊されていくかを示しています。

さて、この物語の真の主人公は、やはり猫のリリーであると言わざるを得ません。リリーは、人間たちの愛憎劇の中心にいながら、ただ猫として、本能のままに生きています。彼女は人間たちの言葉を理解しませんし、彼らの複雑な感情や策略など知る由もありません。ただ、自分に快適な環境と愛情を与えてくれる人間に、素直に懐くだけです。

このリリーの「ただ猫である」という純粋さが、人間たちのエゴや執着の醜さを、より一層際立たせています。庄造はリリーに「裏切らない完璧な愛」を投影し、福子は「夫を奪った憎い敵」と見なし、品子は「男を取り戻すための道具」として利用しようとします。しかし、リリー自身はそんな人間の思惑などお構いなしに、気ままに振る舞うだけです。

人間たちが自分たちの都合の良いようにリリーを解釈し、その周りで勝手に争い、自滅していく。その構図は、非常に滑稽でありながら、人間の愚かさの本質を突いているようで、読んでいて一種の恐ろしささえ感じます。リリーは、人間社会の複雑なルールや感情の外側にいる存在だからこそ、最強の触媒として機能し、人間関係を根底から揺さぶることができたのです。

物語の転換点は、リリーが品子の元へ渡った後、庄造が取る行動にあります。リリーを失った庄造は、深い喪失感に襲われ、仕事も手につかない抜け殻のような状態になります。そして、彼はリリーが自力で帰ってくるという淡い期待を裏切られ、いてもたってもいられず、品子の家の周りをうろつき始めるのです。これはもはや、ストーカーに近い異常な行動です。

彼はリリーに会いたい一心で、秘密裏に品子の家を訪れます。しかし、そこで彼が目にしたのは、新しい寝床を与えられ、品子にすっかり懐いて満足そうにしているリリーの姿でした。自分だけを愛してくれていると信じていたリリーが、いとも簡単に心変わりしてしまった。この事実は、庄造にとって耐え難い裏切りであり、彼の存在基盤を根底から揺るがす出来事でした。

そして、決定的な瞬間が訪れます。庄造はついにリリーと再会を果たしますが、リリーは彼をまるで見知らぬ人のように扱い、何の反応も示しません。彼が理想化し、すべてを捧げた「隷属」の対象から、無慈悲にも拒絶されたのです。この瞬間、庄造の世界は完全に崩壊します。いかなる人間の裏切りよりも深く、彼の心は傷つけられたのでした。

物語の結末は、この奇妙な四角関係の清算として、あまりにも見事な形で訪れます。最終的に、リリーは品子の元に完全に落ち着きます。庄造との歪んだ共依存関係から解放され、品子からの穏やかで健全な愛情を受けるリリーは、物語の中で最も幸福な存在となったのかもしれません。

そして、リリーを自身の幸福の源泉として確立した品子は、もはや庄造を必要としなくなります。彼女は庄造への執着から解放され、猫との静かな生活という、予期せぬ形の幸せを手に入れたのです。彼女の当初の策略が、結果的に自分自身を救うことになったという結末は、非常に皮肉が効いています。

一方で、庄造と福子の未来は悲惨です。庄造は、生きる意味そのものであったリリーを完全に失い、精神的に破綻します。福子もまた、夫の心を取り戻すという目的を果たせず、中身の空っぽになった結婚生活だけが残されました。彼女は猫に勝利したかもしれませんが、その結果、夫という存在そのものを失ってしまったのです。二人は共に、孤独と虚無の中に取り残されます。

この物語は、一匹の猫を巡る奇妙な愛憎劇を通して、人間の愛情がいかに身勝手で、執着がいかに人を破滅させるかを、冷徹な視点で描ききっています。登場人物たちは、誰もが自分の欲望に忠実に、そして愚直に行動した結果、それぞれが相応の結末を迎えることになります。そこには単純な善悪の判断基準はなく、ただ人間の業の深さが横たわっているだけなのです。読後、幸福な気持ちにはなれないかもしれませんが、人間の本質を抉り出すような、忘れがたい強烈な印象を残す一作です。

まとめ

谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のおんな」は、一人の男と二人の女、そして一匹の猫が織りなす、異様で濃密な人間関係の物語でした。主人公・庄造の猫への常軌を逸した執着が、すべての悲劇と喜劇の始まりでした。

現在の妻・福子は、夫の愛情を取り戻そうと猫を追い出しますが、それは夫の心をさらに引き離す結果にしかなりませんでした。一方、前妻の品子は、庄造を取り戻すための道具として猫を利用したはずが、いつしか猫そのものに純粋な愛情を抱き、予期せぬ幸福を手に入れます。

この物語の結末は、実に対照的です。猫との穏やかな生活に満足を見出した品子。そして、執着の対象であった猫を失い、妻との関係も破綻して、すべてを失った庄造と福子。一匹の猫の存在が、三者三様の運命を決定づけてしまったのです。

滑稽でありながらも、人間のエゴや依存の恐ろしさを鋭く描き出したこの作品は、一度読んだら忘れられない強烈なインパクトを持っています。愛情とは何か、幸福とは何か、そんな普遍的な問いを、非常に歪んだ形で見せつけてくれる、谷崎文学の真骨頂ともいえる一作だと思います。