小説「灰神楽」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。江戸川乱歩の作品の中でも、異色とされることもあるこの短編ですが、私はとても興味深く読みました。犯人の視点から描かれる物語は、読者を引き込む力があります。
物語は、主人公・庄太郎が友人の一郎を殺害してしまう場面から始まります。衝動的な犯行の後、彼は自身の罪を隠蔽しようと画策します。その手口は大胆でありながら、どこか危うさをはらんでいます。このスリルが、読み進める手を止めさせません。
この記事では、まず「灰神楽」の物語の筋道を、結末まで含めて詳しくお伝えします。どのような経緯で事件が起き、庄太郎がどんな隠蔽工作を試み、そして最終的にどうなるのか、その全貌を明らかにしていきます。物語の核心に触れる部分もございますので、未読の方はご注意ください。
そして後半では、この「灰神楽」を読んだ私の詳しい思いや考えを、たっぷりと語らせていただきます。庄太郎という人物について、彼が仕掛けたトリックについて、そして作品全体から感じたことなど、ネタバレを気にせずに深く掘り下げていきます。この作品の持つ独特な魅力について、一緒に考えていけたら嬉しいです。
小説「灰神楽」のあらすじ
物語の主人公である庄太郎は、友人でありパトロンでもある一郎の家を訪れます。しかし、金銭的な問題や、一郎が庄太郎の想い人に対して横恋慕していることなどが積み重なり、口論となります。庄太郎は、部屋にあった一郎所有の拳銃を手に取り、カッとなって一郎の眉間を撃ち抜いてしまいます。
思いがけず殺人を犯してしまった庄太郎は、動揺しながらも現場からの脱出を図ります。指紋を拭き取るなど、最低限の証拠隠滅を図り、家を出ようとしたところ、外に人の気配を感じます。それは一郎の弟、二郎でした。彼は隣接する広場で野球をしており、ボールが庭に飛び込んできたため、それを探しに来たのです。幸い、二郎は庄太郎には気づかず、ボールを見つけて去っていきました。
事件が発覚し、警察の捜査が始まります。状況から、強盗などの犯行ではなく、顔見知りの犯行であることは明らかでした。一郎と庄太郎の関係が悪化していたことを知っていた弟の二郎は、当初から庄太郎に疑いの目を向けていました。庄太郎は、いずれ捜査の手が自分に及ぶことを予期します。
後日、庄太郎は弔問を装って一郎の家を再び訪れます。そして、大胆な計画を実行に移します。彼は、あらかじめ用意していた野球のボールを、一郎が殺害された部屋の火鉢の灰の中にこっそりと隠します。そして、弟の二郎に対し、驚くべき説明を始めるのです。
庄太郎は、「事件当日、窓から飛び込んできた野球のボールに驚いた一郎が、たまたま手にしていた拳銃を誤って暴発させてしまったのではないか」という事故説を唱えます。そして、その証拠として、火鉢の中から例のボールを取り出してみせるのです。自分の投げたボールが兄の死の原因になったかもしれない、と思い込んだ二郎は、顔面蒼白となり、混乱します。
しかし、この庄太郎の計画は、長くは続きませんでした。翌日には、ボールの購入先などを調べた警察によって、庄太郎の嘘は完全に見破られてしまいます。庄太郎が用意したボールは、二郎が失くしたものとは別のものだったのです。結局、庄太郎は逮捕され、彼の企ては失敗に終わるのでした。
小説「灰神楽」の長文感想(ネタバレあり)
江戸川乱歩の「灰神楽」を読み終えて、まず感じたのは「犯人の視点って、こんなにもヒリヒリするのか!」ということでした。苦手な殺人事件ものではありますが、この作品は冒頭から犯人である庄太郎の行動と心理を追う形で物語が進むため、否応なく彼の立場に引きずり込まれるような感覚がありました。
冒頭、庄太郎がパトロンでもある友人・一郎を衝動的に射殺してしまう場面は、あまりにもあっけない描写で驚きました。金の無心、そして恋敵。理由は描かれていますが、その瞬間の激情が、まるで他人事のように淡々と語られる。この温度感のなさが、かえって庄太郎という人間の歪さを際立たせているように感じます。
殺害後、彼がまず考えるのは自己保身です。指紋を拭き取り、逃走経路を探る。そこに罪悪感や後悔といった感情は希薄に見えます。むしろ、どうやってこの状況を切り抜けるかという、ある種のゲームに挑むかのような思考が働いているようにさえ思えるのです。この、あまりにも人間味のない、冷徹とも言える部分に、まず強い印象を受けました。
弟の二郎がボールを探しに庭へ入ってくる場面は、作中でも屈指の緊張感あふれるシーンではないでしょうか。見つかるかもしれない、というサスペンス。しかし、庄太郎は幸運にも見つからずに済みます。この偶然が、彼をさらに大胆な行動へと駆り立てるきっかけになったのかもしれません。
そして、庄太郎が仕掛けるトリック。これがまた、彼の性格をよく表していると感じます。火鉢の灰の中に野球のボールを隠し、あたかも窓から飛び込んできたボールが原因で事故死したかのように見せかける。この発想自体は、ある意味で機知に富んでいるとも言えますが、冷静に考えればあまりにも無理がある。
考えてみてください。窓から飛び込んできたボールが、運悪く拳銃を手にしていた人物に当たり、その衝撃で暴発して、しかも都合よく眉間に命中する。そんな偶然が重なる確率はいかほどでしょうか。あまりにも出来すぎた話です。しかし、庄太郎はこの荒唐無稽な筋書きを、自信満々に二郎に語ってみせるのです。
このトリックのポイントは、「二郎が実際にボールを失くした」という事実を利用している点です。自分の行動が兄の死に関係しているかもしれない、という疑念を二郎に植え付けることで、彼の判断力を鈍らせ、自分の嘘を受け入れさせようとする。これは単なるトリックというより、心理的な操作、一種の詐欺に近い手口と言えるでしょう。
二郎が庄太郎の説明を聞き、火鉢から出てきたボールを見て青ざめる場面は、読んでいて胸が痛みました。兄を殺された悲しみと、自分がその原因かもしれないという恐怖。庄太郎は、そんな二郎の弱みにつけ込み、精神的に追い詰めていくのです。この冷酷さ、他者の心を弄ぶようなやり方は、庄太郎の「クズ」っぷりを際立たせています。参考にした文章にもありましたが、ここまで徹底していると、一周回って清々しさすら感じるかもしれません。
しかし、この巧妙(?)な計画も、結局はあっけなく破綻します。ボールの購入先から足がつく、という結末は、ある意味で現実的です。どんなに巧妙な嘘や心理操作を弄しても、物的証拠の前には無力である、ということなのかもしれません。トリックそのものの矛盾を突かれるのではなく、用意した小道具の出所から崩れていく、という展開は、少し拍子抜けする部分もありましたが、逆にそれがリアリティを感じさせる部分でもありました。
江戸川乱歩自身は、この作品について「本格ものであって、私の妙な持ち味が少しも出ていなかったからであろう」と述べ、あまり評価していなかったと解説にありました。確かに、「人間椅子」や「芋虫」のような、読後に強烈な生理的嫌悪感や、えも言われぬ「妙な味」を残す作品とは少し毛色が違うかもしれません。
しかし、私は、この作品にも十分に乱歩らしい「妙な味」があると感じます。それは、庄太郎という人間の異常心理です。衝動的に殺人を犯しながら、罪悪感よりも自己保身と計画の実行に意識が向かう思考。他者の心を巧みに操ろうとする冷酷さ。これらは、十分に常軌を逸した、グロテスクな人間の内面を描いているのではないでしょうか。
「本格もの」という評価についてですが、確かに犯人当ての要素はありません。しかし、庄太郎が仕掛けたトリック(事故偽装)がどのように見破られるのか、という点には謎解きの要素が含まれています。読者は、二郎がなぜ庄太郎の嘘を見抜けたのか(あるいは警察がどうやって真相にたどり着いたのか)を考えることになります。その意味では、倒叙ミステリに近い構造を持っていると言えるかもしれません。
大正十五年という時代背景も、作品の雰囲気に影響を与えているように思います。パトロンとそれに依存する若者、という関係性や、野球という当時の比較的新しい娯楽。そうした時代の空気が、物語に独特の質感を与えています。現代の感覚からすると、少し古風に感じられる部分もあるかもしれませんが、それがまた魅力の一つとも言えます。
庄太郎という人物の造形が、この作品の核となっていることは間違いありません。彼は決して知能犯ではありません。むしろ、計画はずさんで、どこか場当たり的です。しかし、その大胆さ、悪びれなさ、そして異常なまでの自己肯定感(あるいは現実逃避)が、読者に強烈な印象を残します。「ここまでクズだと清々しい」という感想は、まさに的を射ていると感じます。
短編でありながら、人間の暗い衝動、嘘、自己欺瞞といったテーマを鋭く描き出している「灰神楽」。派手なトリックや猟奇的な事件があるわけではありませんが、犯人の内面に深く切り込み、読者の心をざわつかせる力を持った作品だと思います。「妙な味」がないどころか、人間の心の「妙」を見事に切り取った、味わい深い一編だと、私は感じました。
まとめ
この記事では、江戸川乱歩の短編小説「灰神楽」について、物語の詳しい筋道と、私の個人的な感想を詳しくお話しさせていただきました。結末までのネタバレを含んでいますので、これから読もうと思っていた方は、その点をご理解いただけたかと思います。
物語は、主人公の庄太郎が衝動的に友人を殺害し、その罪を隠蔽しようとするところから始まります。彼は、被害者の弟が失くした野球のボールを利用し、事件を事故に見せかけようと画策します。この大胆かつ危うい計画と、犯人である庄太郎の視点から描かれる心理描写が、この作品の大きな特徴です。
私の感想としては、庄太郎という人物の、常人には理解しがたい精神構造や、自己保身のためなら他者の心を踏みにじることも厭わない冷酷さが、非常に印象的でした。彼の仕掛けたトリックは稚拙な部分もありますが、その悪あがきとも言える必死さ、そして最終的にあっけなく計画が破綻する結末も含めて、人間の弱さや愚かさを巧みに描いていると感じます。
江戸川乱歩自身は「妙な持ち味がない」と評したそうですが、私は犯人の異常心理描写にこそ、乱歩らしい「妙な味」が凝縮されているように思えました。短編ながら、読後に様々なことを考えさせられる、読み応えのある作品です。もし未読でしたら、ぜひ一度手に取ってみてはいかがでしょうか。