小説「残り全部バケーション」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。伊坂幸太郎さんの手によるこの作品は、裏稼業で生計を立てるコンビ、岡田と溝口の物語です。彼らの軽妙なやり取りと、時にシリアスな出来事が織りなす展開が魅力となっています。連作短編集の形式を取りながら、各話が巧みに関連し合い、最後には一つの大きな流れへと収束していきます。

物語は、岡田が裏稼業からの引退を決意するところから始まります。相棒の溝口が出した奇妙な条件、それは「適当に選んだ携帯番号の相手と友達になる」ことでした。この偶然が、離婚寸前の家族、早坂家との出会いへと繋がります。一見バラバラに見えるエピソードが、実は時間軸を超えて影響し合っているのが、この作品の面白いところです。過去の出来事、現在進行形の事件、そして未来への予感が見事に絡み合っています。

この記事では、まず「残り全部バケーション」の物語の概要を、結末に触れつつ詳しくお伝えします。その後、各章のエピソードを振り返りながら、登場人物たちの魅力や物語の構造、心に残った場面などを、ネタバレを気にせずにたっぷりと語っていきたいと思います。伊坂作品ならではの会話の面白さや、散りばめられた伏線の見事さにも触れていきますので、すでに読んだ方も、これから読む方も、ぜひ楽しんでいってください。

小説「残り全部バケーション」のあらすじ

「残り全部バケーション」は、当たり屋や恐喝といった裏仕事を生業とする岡田雅人と溝口俊介のコンビを軸にした、五つの短編からなる物語です。第一章「残り全部バケーション」では、岡田がこの稼業から足を洗いたいと溝口に告げます。溝口は、岡田が適当に選んだ電話番号の相手と友達になれたら辞めてもいい、という条件を出します。その相手が、父親の浮気で離婚が決まり、引っ越しを控えた早坂家でした。岡田はひょんなことから、早坂家最後の家族ドライブに同行することになりますが、その道中、謎の車につけられていることに気づき、コンビニで姿を消します。

第二章「タキオン作戦」は、岡田と溝口がまだコンビを組んでいた頃の話です。二人は偶然、父親から虐待を受けている少年、坂本雄大と出会います。岡田は少年を救うため、「タキオン作戦」と名付けた奇策を思いつきます。それは、父親に「未来から来た」と信じ込ませ、虐待をやめなければ将来息子に復讐される、と思い込ませるというものでした。文房具屋の権藤を巻き込み、作戦は実行されます。この一件は、岡田が裏稼業を辞める決意を固めるきっかけの一つとなります。

第三章「検問」では、岡田が去った後、溝口が新たな相棒、太田と仕事をしている様子が描かれます。彼らはある女性を誘拐し、盗難車で移動中に検問に引っかかります。ナンバーを答えられないなど怪しい点があったにも関わらず、なぜか検問を通過。不思議に思った溝口がトランクを調べると、そこには大金が。誘拐した女性は、実は議員刺傷事件の犯人で、逃走中だったのです。この章は、主に誘拐された女性の視点で語られます。

第四章「小さな兵隊」は、岡田の小学生時代のエピソードです。クラスメイトの「僕」の視点から、問題児と見られていた岡田少年と、彼が気にしていた担任の弓子先生との関係が描かれます。ここでも後の溝口や太田に繋がる人物が登場し、岡田の過去や人となりが垣間見えます。「僕」の父親がスパイだったという話など、後のエピソードへの伏線もちりばめられています。

第五章「飛べても八分」で、再び現在の時間軸に戻ります。溝口は仕事中の事故で入院しますが、同じ病院には、かつての元請けであり、岡田を陥れた可能性のあるボス、毒島も入院していました。毒島には脅迫状が届いており、命を狙われている状況です。溝口は、岡田の仇を討つため、そしてある真実を確かめるために、毒島に迫ります。

小説「残り全部バケーション」の長文感想(ネタバレあり)

伊坂幸太郎さんの「残り全部バケーション」、読み終えた後の爽快感と、心に残る温かさは格別でしたね。裏稼業コンビの物語と聞くと、重く暗いものを想像するかもしれませんが、そこは伊坂作品。岡田と溝口の掛け合いは軽やかで、クスッと笑える場面もたくさんあります。でも、扱っているテーマは児童虐待や暴力、裏切りなど、決して軽いものではありません。そのバランス感覚が絶妙で、最後まで飽きさせません。

まず、この作品の構造が見事ですよね。五つの短編が、それぞれ独立した物語として楽しめる一方で、時間軸を行き来しながら、登場人物や出来事が緩やかに、しかし確実につながっていく。第一章で岡田がふと口にした過去の出来事が、第二章や第四章で詳しく語られたり、第三章で登場した人物が第五章で重要な役割を果たしたり。読み進めるうちに、点と点がつながって線になり、さらには複雑な模様を描き出していく感覚は、パズルを解くような面白さがあります。 散りばめられた伏線が、最後の章で見事に一つの星座を描き出すように繋がっていく 様は、読んでいて本当に気持ちがいいです。特に、各章の語り手が変わることで、同じ出来事でも異なる側面が見えてくるのが興味深いですね。

主人公コンビ、岡田と溝口のキャラクターがまた魅力的です。岡田は、裏稼業に身を置きながらも、どこか人の好さや正義感を捨てきれない人物。特に第二章「タキオン作戦」で見せる、虐待される子供を救おうとする行動力と奇抜な発想には、彼の本質が表れているように感じます。突拍子もない作戦を考えつく一方で、早坂家とのドライブではどこかぎこちなさを見せるなど、人間味あふれる姿が描かれています。彼が仕事を辞めたがっている理由も、単なる倦怠感だけでなく、根底にある良心から来ているのだろうと感じさせます。

一方の溝口は、岡田よりも世慣れていて、現実的な思考の持ち主。岡田を裏稼業に引き込んだ張本人でありながら、岡田が抜けた後も仕事を続けています。しかし、彼もまた、岡田に対して複雑な感情を抱えていることが、物語を通して伝わってきます。第三章で新しい相棒の太田といる時も、どこか岡田の不在を感じさせる描写がありますし、第五章では、岡田を裏切った(と彼は思っている)毒島への怒りを露わにします。一見、ドライに見える溝口ですが、その内面には熱いものや、岡田との間に確かに存在した絆のようなものが感じられます。彼がネットの「食べ歩き日記」を気にしている描写は、後の展開を知ると、なんとも言えない気持ちになりますね。

各章についてもう少し詳しく触れていきましょう。

第一章「残り全部バケーション」は、物語の導入として秀逸です。岡田の「辞めたい」という一言から、奇妙なドライブへと話が展開する流れがスムーズで、読者を一気に引き込みます。早坂家の、離婚を前にした微妙な空気感と、そこに闖入者として現れる岡田。ぎこちないながらも、どこか温かい交流が生まれる様子が印象的です。特に、娘の沙希が岡田に抱く警戒心と、少しずつそれが解けていく過程が丁寧に描かれています。後半、追跡してくる車が現れるあたりから、物語は不穏な空気を帯び始め、岡田が突然姿を消すラストは、彼の抱える過去や裏の世界との繋がりを暗示させ、続きへの期待感を高めます。岡田が言った「明日からはずっとバケーションだよ」というセリフが、皮肉にも聞こえ、また切なくも響きます。

第二章「タキオン作戦」は、個人的にとても好きなエピソードです。児童虐待という重いテーマを扱いながらも、作戦の奇抜さと実行するメンバー(岡田、溝口、そして巻き込まれた文房具屋の権藤)のやり取りが、暗くなりすぎない絶妙なバランスを生んでいます。「未来から来た」と父親に信じ込ませるために、偽のニュース記事を用意したり、それらしい小道具を使ったりする計画は、まるで子供のいたずらのようでありながら、その目的は真剣そのもの。溝口が子供の頃に父親から暴力を受けていたという過去が明かされることで、彼らがこの作戦に臨む動機にも深みが増します。作戦が成功し、少年が救われる結末は、カタルシスがありますね。この成功体験が、岡田の心に変化をもたらしたであろうことが想像できます。

第三章「検問」は、視点が変わるのが面白いですね。溝口と新しい相棒・太田に誘拐された「わたし」の目を通して物語が進みます。盗難車、検問、トランクの大金、そして誘拐された女性の正体。次々と明かされる事実にハラハラさせられます。ここでの溝口は、岡田といた時とは少し違う、プロの裏稼業としての顔を見せますが、それでも太田との会話の端々には、どこか抜けたような、人間臭さが漂います。太田のキャラクターも良い味を出していて、緊迫した状況の中でも、彼らの会話はどこかコミカルです。検問をあっさり通過できた理由や、トランクの金の行方など、謎を残しつつ次の章へと繋いでいきます。第一章で溝口が言っていた「政治家の愛人の写真を撮れ」という話が、この章の議員刺傷事件と繋がっているのでは?と推測するのも楽しいです。

第四章「小さな兵隊」は、岡田のルーツを探る上で重要なエピソードです。小学四年生の「僕」の視点から描かれる岡田少年は、すでに大人びたような、達観したような雰囲気を纏っています。クラスの問題児と見られがちな彼が、実は周りをよく見ていて、自分なりの正義感や価値観を持っていることがわかります。「弓子先生は危険なの?」という問いかけに対する岡田の反応や、先生と母親を比較する彼の言葉には、子供ながらの鋭い洞察力が感じられます。『逆ソクラテス』を彷彿とさせる、という感想にも頷けますね。この章で登場する「僕」が、後の映画監督であり、父親がスパイだという設定も、伊坂作品らしい遊び心と、他の章とのリンクを感じさせます。太田がこの「僕」(監督)にインタビューしている、という形で章が始まる構成もユニークです。

そして第五章「飛べても八分」。ここで、これまでの物語が一気に収束していきます。入院中の溝口と、同じく入院している毒島。毒島への脅迫状、そして溝口の胸に秘めた計画。緊迫感が高まる中で、過去の章で登場した人物や出来事が次々と言及され、伏線が回収されていく様は圧巻です。沙希の名前、タキオン作戦の顛末、太田のその後、そして小学生時代の岡田の話。すべてがこの最終章のためにあったのだと感じさせられます。溝口が毒島を問い詰める場面は、手に汗握ります。そして、毒島の口から明かされる衝撃の事実。「岡田は生きている。スイーツの食べ歩きブログを書いている」。この一言で、物語の空気は一変します。溝口が抱えていた罪悪感や怒りが、驚きと安堵、そして少しの呆れ(?)のような感情へと変わっていく様子が伝わってきます。彼がブログにメッセージを送るラストシーンは、希望を感じさせ、読後感を非常に温かいものにしてくれました。

全体を通して、やはり伊坂幸太郎さんの会話劇は素晴らしいですね。岡田と溝口の軽妙なやり取りはもちろん、早坂家の家族の会話、溝口と太田の掛け合い、小学生たちの会話まで、どれもリアルで生き生きとしています。その会話の中に、重要な情報や伏線がさりげなく織り込まれているのも見事です。シリアスな状況でも、どこか飄々とした雰囲気を失わない登場人物たちの言葉が、物語に独特のリズムと魅力を与えています。

「残り全部バケーション」というタイトルも、物語を読み終えると、実に味わい深いものに感じられます。岡田が裏稼業を辞めて手に入れたかった「バケーション」。それは単なる休暇ではなく、過去のしがらみから解放され、穏やかに生きていくことの象徴なのかもしれません。そして、それは岡田だけでなく、溝口にとっても、あるいは早坂家や他の登場人物たちにとっても、それぞれの形で訪れるのかもしれない、そんな余韻を残してくれます。暴力や裏切りといった暗い要素を描きながらも、最後には希望や人の繋がりを感じさせてくれる、まさしく伊坂幸太郎さんらしい作品でした。何度も読み返して、散りばめられた仕掛けや登場人物たちの言葉を味わいたくなる一冊です。

まとめ

伊坂幸太郎さんの「残り全部バケーション」は、裏稼業コンビの岡田と溝口を中心に描かれる、五つの短編からなる連作小説です。各章は独立した物語としても楽しめますが、時間軸や登場人物が巧みに交差し、伏線が張り巡らされています。最終章では、それらが鮮やかに結びつき、一つの大きな物語として見事に完結します。

物語の魅力は、まず岡田と溝口というキャラクターの造形にあります。裏稼業に身を置きながらも人間味を失わない岡田と、彼を支え、時に翻弄される溝口。彼らの軽妙な会話と、シリアスな状況とのギャップが、独特の読後感を生み出しています。児童虐待を扱った「タキオン作戦」や、岡田の過去に触れる「小さな兵隊」など、各章で描かれるエピソードも印象的で、読者を引き込みます。

ネタバレを含むあらすじ紹介と、各章の詳細な感想を交えながら、この作品の構造的な面白さや、登場人物たちの心情、そして散りばめられた伏線の見事さについて語ってきました。暴力や裏切りといったテーマを扱いながらも、決して重苦しくはならず、むしろ読み終えた後には温かい気持ちと爽快感が残る、伊坂幸太郎さんならではの魅力が詰まった一冊です。未読の方はもちろん、再読される方にも新たな発見があるのではないでしょうか。