小説「歪曲済アイラービュ」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。住野よるさんの作品といえば、繊細な心理描写や青春のきらめき、そして少し不思議な設定が魅力ですよね。私も『君の膵臓をたべたい』をはじめ、多くの作品に心を揺さぶられてきました。

しかし、この「歪曲済アイラービュ」は、これまでの住野作品とは一線を画す、まさに「暴走」と呼ぶにふさわしいエネルギーに満ちています。帯にも書かれていた「著者、暴走」の言葉通り、常識や予定調和を軽々と吹き飛ばすような展開が待っていました。発表された当初から「新しい住野よる」といった評判を聞いてはいましたが、実際に読んでみると、その言葉の意味を深く実感しました。

本作は11の短編から構成される群像劇です。物語の始まりは、底辺YouTuber「こなるん」による「世界の滅亡」の予言。この予言をきっかけに、「他人には見えない不思議なもの」が見えるようになった人々が、それぞれの「最後の時間」を過ごし始めます。彼らが隠してきた本性や欲望が、世界の終わりを前にして剥き出しになっていく様子が描かれます。

この記事では、そんな「歪曲済アイラービュ」の物語の骨子、つまり、どのようなお話なのかを詳しくお伝えします。そして、物語の結末にも触れながら、私がこの作品を読んで何を感じ、何を考えたのか、たっぷりと語っていきたいと思います。少々長くなりますが、お付き合いいただけると嬉しいです。

小説「歪曲済アイラービュ」のあらすじ

物語は、チャンネル登録者数が少なく、同時接続も数十人程度という底辺YouTuber「こなるん」こと西村鳴子の生配信「こなるんの予言ちゃんねる」から始まります。彼女は、自分だけに見えるようになったピクミンのような謎の存在との対話を通じて、世界の滅亡が近いことを予言します。最初は半信半疑だった人々も、やがて同じように「不思議なもの」を目にするようになり、その予言が真実味を帯びていきます。「今週中に世界が滅びる」というこなるんの言葉を信じた人々は、残された時間をどう生きるか、それぞれの選択を迫られます。

「炎上系ファンファーレ」では、女子高生の渡辺和香が登場します。彼女もまた、謎の生き物が見えるようになり、世界の滅亡を確信。「どうせ終わるなら、大人たちの作った窮屈な世界で『いい子』でいる必要はない」と考え、自分の心のままに生きることを決意します。彼女の行動は、抑圧からの解放を象徴しているかのようです。

「悪魔流オブリージュ」では、自分が悪魔であることを隠してきた先生が主人公です。彼は、クラス内で問題を抱える生徒・俵さんを気にかけていました。世界の終わりが近いと悟った先生は、「悪魔の責任を果たす」と言い残し、ある行動に出ます。その行動は人間社会のルールから見れば問題かもしれませんが、それによって救われた人がいるという事実が重要だと、物語は示唆します。

「地獄行パルクール」は、大学生の絵馬と幼馴染の六太の物語です。六太もまた「小さな動物」が見えるようになり、世界滅亡を絵馬に告げます。「せっかくだから楽しもう」と言う六太と絵馬の関係は、世界の終わりが迫る中で、友情とも恋愛とも違う、特別な絆で結ばれていきます。思い出が薄れてしまうことへの恐れや、切ない感情が交錯する、印象的な一編です。

他にも、過去の罪と向き合う男と謎めいた少女の交流を描く「形骸化メンソール」、職場の先輩が開く料理教室の秘密が明かされる「嗜好性ボロネーゼ」、ファンレターをきっかけに不思議な現象を共有するアーティストとファンの「印象派アティチュード」、犬の視点から飼い主たちの変化と世界の終わりを見つめる「小夜曲:セレナーデ」など、様々な人物の視点から「滅亡前夜」が描かれます。それぞれの物語は独立しているようでいて、少しずつ繋がりを見せていきます。

そして、「暴力的エピソード」では、ある少女が「感染」によって不思議なものが見えるようになったと考え、その元凶をYouTuberのこなるんだと思い込み、彼女を襲撃する事件が描かれます。これは「滅亡型サボタージュ」で配信が中断した理由へと繋がっていきます。しかし、最終話「歪曲済アイラービュ」で、衝撃の事実が明かされます。世界は滅亡せず、人々が見ていた「不思議なもの」も消え去ってしまうのです。あれは一体何だったのか。物語は、滅亡しなかった世界で、登場人物たちが新たな日常を歩み始める様子を描き、こなるんの最後の配信で幕を閉じます。

小説「歪曲済アイラービュ」の長文感想(ネタバレあり)

読み終えてまず感じたのは、「これは本当に住野よるさんの作品なのか?」という驚きでした。もちろん、登場人物たちの心の機微を捉える繊細さや、どこか切なさを伴う雰囲気には、これまでの作品と通じる部分もあります。ですが、全体を覆う熱量、衝動、そしてある種の「過激さ」は、明らかに新しい領域に踏み込んでいると感じました。まさに「暴走」という表現がしっくりくる、そんな読書体験でしたね。

事前に「新しい住野よる」とか「好き勝手やった」といった情報を耳にしていたので、ある程度の覚悟はしていました。それでも、ページをめくる手が止まらないほどの勢いと、予想を裏切る展開の連続に、良い意味で翻弄されました。特に、表紙のイラストを手掛けたのが、これまでの作品でもタッグを組んできた「いつか」さんだと知って、さらに驚きました。今までの淡く、儚げな雰囲気とは異なり、鮮やかで力強いタッチ。この表紙自体が、本作「歪曲済アイラービュ」の持つエネルギーを象徴しているように思えます。読む前は、表紙の女の子が滅亡配信をしている「こなるん」なのだろうと勝手に想像していましたが、それも違いましたね。やはり、あらすじだけでは分からない深みが、この物語にはありました。

本作は11の短編で構成されていますが、登場人物が多く、それぞれの関係性や時間軸も少し複雑です。「あれはどういう意味だったんだろう?」「あの人物は結局誰だったの?」と、一度読んだだけでは消化しきれない部分も正直ありました。特に各短編が微妙にリンクしている部分などは、注意深く読み解く必要がありそうです。これは、もう一度じっくり読み返して、自分の中で整理したいなと思わせる魅力でもありますね。

各短編について、少しずつ触れていきたいと思います。「滅亡型サボタージュ」のこなるんのハイテンションな一人語りは、まさに現代のネット配信の空気感をリアルに捉えていて引き込まれました。不安と隣り合わせの、妙な明るさが印象的です。続く「炎上系ファンファーレ」では、和香の「どうせ滅ぶなら好きに生きる」という決意が、閉塞感を打ち破るファンファーレのように響きました。滅亡という絶望的な状況だからこその、前向きさとも言えるエネルギーを感じます。

「悪魔流オブリージュ」は、個人的にとても惹かれた一編です。多くを語らず、生徒に寄り添う先生の姿が格好良い。作中では詳しく描写されませんが、きっと物静かで、それでいて芯の強い大人なのだろうと想像が膨らみます。この話は、住野作品らしい、事実を直接的には描かず、登場人物の視点を通して読者に解釈を委ねる手法が用いられています。だからこそ、「先生は本当に悪魔なのか?」「俵さんの親に何をしたのか?」といった疑問が残ります。でも、その曖昧さが、かえって小学生の「僕」が感じたであろう孤独や痛みを際立たせているように感じました。

そして、「地獄行パルクール」。これは、私にとってこの本の中で最も心に残った物語です。絵馬が語る「思い出を希釈させてしまう」という感覚に、強く共感しました。大切な思い出ほど、何度も反芻するうちに輪郭がぼやけてしまうような、そんな切なさ。六太と絵馬の関係性も絶妙です。恋人でもなく、単なる友達でもない、「仲間」という言葉がしっくりくる。滅亡を前にした極限状況だからこそ生まれた、歪でありながらも純粋な繋がり。住野作品としては珍しい、直接的な性描写がありましたが、それも単なる恋愛の表現ではなく、生と死、愛と憎しみ、後悔といった複雑な感情が凝縮された、非常に印象的な場面でした。胸が締め付けられるような、それでいて美しいと感じる、不思議な読後感がありました。

「形骸化メンソール」は、最も「住野よる感」が薄いと感じたかもしれません。タバコ、夜の街、犯罪の影…そういったモチーフが醸し出す、乾いた「暗さ」。そして、諦念を漂わせる「俺」という一人称。これまでの作品にはあまり見られなかった、ハードボイルドな雰囲気が新鮮でした。思い出の味を探し求めるという行為に、失われたものへの執着と、それに対する諦めが入り混じった複雑な感情が描かれていて、これもまた忘れがたい一編です。付加価値というものに対するアンビバレントな感情も、よく分かります。

「嗜好性ボロネーゼ」は、色々な意味で衝撃的でした。『君の膵臓をたべたい』を深く愛する読者にとっては、少しショッキングな内容かもしれません。料理上手な原さんの、明るさの裏に潜む狂気。その対比が恐ろしくもあり、妙な魅力を放っていました。人が人を食べるという表現への興奮、そしてそれが実際に(作中で)行われていたという告白。世界の滅亡という非日常が、日常の倫理観をいとも簡単に崩壊させてしまう様を描いています。烏田が、小さな生物から滅亡を聞かされ、罪悪感を捨てて平然と食事を続けるラストシーンは、人間の持つある種の割り切りや、状況への適応能力の不気味さを感じさせました。

「印象派アティチュード」では、アーティストとファンの関係を通して、見られる自分と本当の自分の乖離が描かれます。これも住野作品で度々描かれるテーマですが、本作ではより客観的で、少し突き放したような視点が印象的でした。「小夜曲:セレナーデ」は、最初は誰の視点なのか分からず、読み進めるうちに「まさか」と驚かされました。犬の視点から語られる、飼い主たちの変化と世界の終わり。種族を超えた魂の叫びのようなものが伝わってきて、胸を打たれました。何かを捨ててでも伝えたい想いの切実さが、心に響きます。

そして「暴力的エピソード」。ここで、「炎上系ファンファーレ」の和香や「形骸化メンソール」のひよりといった、他の短編の登場人物たちが繋がっていきます。バラバラに見えた物語が一つに収束していく感覚は、まさにミステリーの謎解きのような快感がありました。表紙の彼女が、この物語のキーパーソンだったのですね。しかし、「一般用メッセージ」は、わずか数ページの短い物語ながら、最も謎めいています。関町宗太郎オリバーとは何者なのか、亜空間とは、地球を救う作戦とは…多くの疑問が残ります。

最後にタイトルにもなっている「歪曲済アイラービュ」。ここで、まさかの「世界は滅びませんでした」という結末。正直、「ええーっ!」と声が出そうになりました。あれだけ滅亡を確信し、人生を賭けた行動に出た人々は、一体どうなるのか。しかし、物語は意外にも穏やかに、彼らが「滅亡しなかった世界」で新たな関係性を築き、日常を取り戻していく様子を描きます。こなるんの襲撃犯であるひよりとディズニーランドに行く約束をするなど、滅亡前夜の出来事が、ある種の触媒となって新しい繋がりを生んでいる。これはこれで、一つの希望の形なのかもしれません。こなるんの最後の配信が、またしても途中で終わってしまうのも、何とも言えない余韻を残します。

やはり「人と人との繋がり」というテーマです。たとえそれが歪んでいたとしても、世界の終わりという極限状態にあっても、人は誰かと関わらずにはいられない。著者の住野よるさんは、本作について「読者さん達にラブレターを書こうと思った」とコメントされています。「真っ当に好きとか愛してるとか言いたくない」「不確かで歪んでてめちゃくちゃロマンチックだ」という言葉は、まさにこの「歪曲済アイラービュ」という物語そのものを表しているように感じます。歪んだ状況の中で、歪んだ方法でしか伝えられない愛や想い。それが、この物語の核にあるのかもしれません。

読み終えた後、すぐに解説が欲しくなるような、解釈の幅が広い作品であることは間違いありません。事実関係をはっきりさせたい、という気持ちも分かります。でも、もしかしたら、この曖昧さや、読み手によって様々な解釈が生まれること自体が、この物語の狙いなのかもしれません。読むたびに新しい発見がありそうな、何度でも味わい直したい作品です。文庫化が待ち遠しい、なんて思うのは気が早いでしょうか。それでも、この「歪曲済アイラービュ」という名の、奇妙で、過激で、そしてどこか愛おしいラブレターを、もう一度受け取りたい、そう思わせる力がありました。

まとめ

住野よるさんの「歪曲済アイラービュ」は、これまでの作品イメージを覆すような、エネルギーと衝動に満ちた短編集でした。「世界の滅亡」という予言をきっかけに、登場人物たちが隠してきた本性を曝け出し、それぞれの「最後の時間」を駆け抜けます。

底辺YouTuber、いい子を演じてきた女子高生、悪魔だと自称する先生、歪んだ関係性の幼馴染、過去に傷を持つ男、料理教室の秘密、犬の視点…多様なキャラクターたちが織りなす物語は、時に過激で、時に切なく、読者を強く揺さぶります。各短編は独立しているようでいて、巧みに繋がり合い、一つの大きな群像劇を形作っています。

そして、物語の結末で明かされるのは、「世界は滅亡しなかった」という事実。滅亡を前提に行動した彼らの選択は、無意味だったのでしょうか?いや、むしろ滅亡しなかった世界で、彼らは新たな関係性を築き、少しだけ違う日常を歩み始めます。歪んだ状況が生んだ歪んだ繋がりは、それでも確かな「愛」の形なのかもしれません。

解釈の難しい部分や謎も多く残されていますが、それも含めて本作の魅力と言えるでしょう。「著者、暴走」と銘打たれたこの作品は、読者への歪んだ、しかし熱烈なラブレターのようでもあります。一度読んだだけでは味わいきれない、再読必至の一冊です。