小説「月の砂漠をさばさばと」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
この物語は、9歳の少女「さきちゃん」と、作家であるお母さんの、二人きりの暮らしを描いた12の連作短編集です。そこには、とても大切に、そして楽しく積み重ねられていく日々のきらめきがあります。おーなり由子さんの優しく美しい挿絵が、物語の温かい世界観をさらに引き立てています。
しかし、この作品の魅力は、ただ心温まる日常を描いているだけではありません。輝かしい日々の「光」と、そのすぐ隣に寄り添うように存在する「影」。その両方が描かれることで、物語に深い奥行きを与えているのです。この「影」は、主にお父さんの不在に起因するもので、物語全体にえもいわれぬ「切なさ」を添えています。
母と娘が織りなす幸せな時間のまぶしさと、その背景にある喪失感やままならなさが、互いを際立たせる。だからこそ、読者は強く心を揺さぶられるのでしょう。母と娘の優しい小宇宙で繰り広げられる、愛おしい日々の記録を、これからじっくりと紐解いていきたいと思います。
「月の砂漠をさばさばと」のあらすじ
物語の主人公は、9歳の女の子、さきちゃん。そして、小説を書くことを仕事にしているお母さん。父のいない母子家庭である二人の、何気ないようでいて、かけがえのない毎日が12の短いお話として綴られていきます。二人の世界は、ささやかだけれど、たくさんの発見と愛情に満ちています。
ある日、お母さんが台所で口ずさむ、奇妙な替え歌。それは、さきちゃんの未来の記憶に残るように、という願いが込められたものでした。また、ある時は、さきちゃんがずっと昔、お父さんに渡せなかった綿菓子の思い出が、二人の間にある見えない絆をそっと浮かび上がらせます。父の不在という事実は、明確には語られませんが、二人の暮らしの中に静かに存在しているのです。
学校での出来事や、友達とのこと、捨て猫との出会い。一つひとつのエピソードを通して、さきちゃんは少しずつ成長していきます。お母さんは、そんな娘の一挙手一投足を、作家ならではの温かい眼差しで見守ります。時にはぶつかり、時には涙しながらも、二人は互いを深く思いやり、唯一無二の家族の形を築いていきます。
この物語は、特別な事件が起こるわけではありません。けれど、取り壊される家を眺めたり、台風の日に家で過ごしたり、連絡帳で言葉を交わしたり、そんな日常の断片の一つひとつが、忘れられない宝物のように輝いています。母と娘が紡ぐ、優しくて、少しだけ切ない日々の物語です。
「月の砂漠をさばさばと」の長文感想(ネタバレあり)
この物語に触れるたび、私の心は温かい光と、そして静かな影の両方で満たされます。それはまるで、陽だまりの中にいるときに、ふと自分の影の濃さに気づくような感覚に近いかもしれません。さきちゃんとお母さんが積み重ねる日常は、どこまでも優しく、愛に溢れています。しかし北村薫さんは、その光だけを描くことはしません。光が強ければ強いほど、影もまた濃くなることを、この物語は静かに教えてくれます。
本書の表題にもなっている「月の砂漠をさばさばと」というエピソードは、この作品の核心を見事に象徴していると感じます。ある日、お母さんが台所で「月のー砂漠を さーばさばと さーばのーみそ煮が ゆーきました」と、おかしな替え歌を歌う場面。これは一見、母と娘の楽しい日常の一コマに過ぎないように思えます。
お母さんはさきちゃんに、「さきが大きくなって、台所で、さばのみそ煮を作る時、今日のことを思い出すかな、って思ったの」と説明します。娘の未来の、何気ない瞬間に、今日のこの温かい記憶をそっと埋め込んでおきたい。そんな愛情深い、意識的な行為なのです。日常の家事という行為を通して、愛と幸福の感覚を未来へ届けようとする、素敵な試みです。
しかし、この歌の本当の意味は、さらに深いところにあります。この奇妙な替え歌は、実はお母さん自身が、彼女の亡き父親、つまりさきちゃんの祖父から受け継いだ「でたらめな歌」だったのです。この事実が明かされた瞬間、場面の持つ意味合いはがらりと変わります。これは単に母から娘へのメッセージではなく、三世代にわたる愛の連鎖を証明する、尊い儀式だったのです。
お母さんは、自分がかつて父から与えられた愛情を、今度は自分の娘へと受け渡している。彼女が愛された記憶を再現することで、さきちゃんを、彼女が会うことのなかった祖父へと繋いでいるのです。陽気な歌声は、現在の喜びの表現であると同時に、過去の喪失に対する静かな追悼でもあります。この歌は、家族が喪失を抱えながらも、いかにして絆と連続性を築いていくかを美しく物語っています。
次に、父の不在という「影」を最も繊細に描いているのが、「ふわふわの綿菓子」のエピソードでしょう。ここで語られるのは、さきちゃんがお父さんに綿菓子を渡せなかった、という悲しい記憶です。作中、父がなぜいないのか(死別なのか、離別なのか)は、はっきりと描かれません。その曖昧さが、かえって静かで、輪郭のはっきりしない悲しみの感覚を増幅させているように思います。
届けられなかった綿菓子。それは、幼い子どもにとって、愛情を表現する大切な手段である「贈り物」が、行き場を失ってしまったことを意味します。親の不在という、子どもには理解しがたい大きな喪失感を、「渡せなかった綿菓子」という具体的なイメージに結晶化させることで、読者はさきちゃんの痛みを生々しく感じ取ることができます。
このエピソードで胸を打つのは、さきちゃんの静かな優しさと思慮深さです。彼女は、お母さんにお父さんのことを聞こうとしません。その自制的な態度は、ただの無邪気さや無関心からくるものではありません。母親の心の傷に触れないように、という深い思いやりと共感の表れなのです。この母娘の関係は、親から子への一方的な庇護ではなく、互いに思いやり、支え合う共生的なものであることがわかります。
そして、物語の感情的な頂点の一つが、「すて猫」のエピソードです。猫を飼いたいと願うさきちゃん。車の中から捨て猫を見つけた際、疲れていたお母さんはつい「野良だ、病気を持っている」と心ない言葉を口にしてしまいます。それに対し、さきちゃんは目に涙を浮かべ、「どうしてそんな言い方をするの」と、静かに、しかし力強く母親をいさめます。
その後の母親の態度は、本当に素晴らしいものでした。彼女はすぐに自分の過ちを認め、心から謝罪し、さきちゃんと一緒に猫を探しに戻ることを約束します。これは、彼女がさきちゃんの感情を、一人の人間として対等に尊重している証です。親であっても間違えること、そしてその間違いを真摯に謝ることの大切さを、身をもって示しています。
しかし、このエピソードの核心は、猫を見つけた後に訪れます。お母さんは、荷台のない自分の自転車に、さきちゃんが必死で、そして叶わぬことと知りながら猫を乗せようと奮闘する姿を見ます。娘の純粋で、どうすることもできない願いを目の当たりにして、お母さんはぽろぽろと涙を流してしまうのです。
この涙は、単なる同情からくるものではありません。「荷台のない自転車」というイメージは、シングルマザーとして奮闘するお母さん自身の状況を映し出す、強烈な象徴だと私は解釈しています。生活を少しでも楽にしてくれるはずの支えや構造が「欠如」していること。そのメタファーなのです。彼女の涙には、娘の美しい心への愛、自分の限界へのいらだち、そして自分たちが置かれたままならない状況への深い悲しみが、複雑に溶け合っています。
この涙こそ、物語の「影」が最も具体的に形となった瞬間ではないでしょうか。しかし、この痛みを伴う人間性の発露があるからこそ、二人の生活の「光」である日々の快活さや強さが、より一層まぶしく、英雄的なものとして輝くのです。弱さを見せることを恐れない母親の姿は、この物語に圧倒的なリアリティと深みを与えています。
もちろん、物語はこうしたシリアスな側面ばかりではありません。「花王に豆まく」のような、さきちゃんの愛らしい聞き間違いを、お母さんが間違いとして正すのではなく、不思議な世界への入り口として肯定する場面。台風で学校が休みになった日の、二人だけの特別な高揚感。広告の裏に残された、愛情のこもったメモのやりとり。
こうした日常のきらめきは、お母さんが「作家」であることと無関係ではないでしょう。彼女は、鋭い観察眼と、ありふれた物事に物語を見出す能力、そしてユニークな視点を尊重する姿勢で、子育てという営みに向き合っています。彼女はさきちゃんに何かを教え込むのではなく、人生という物語を共に「読む」方法を、その背中をもって示しているのです。
この物語を読んで強く感じるのは、「幸福とは、悲しみの不在ではない」ということです。むしろ、喪失や困難という「影」の存在を認め、それと共に生きていく中でこそ、愛や絆という「光」は本物の輝きを放つのかもしれません。お母さんとさきちゃんは、悲しみを克服しようとするのではなく、それを自分たちの人生の豊かで意味のある一部として統合しています。
さきちゃんもまた、単にかわいくて無邪気な子どもとして描かれているわけではありません。父親について沈黙を守るという彼女の選択は、家族の心の平穏に貢献しようとする、彼女の主体的な優しさの表れです。彼女の持つ感受性と母親への配慮は、二人の関係を単なる親子以上の、真のパートナーシップへと高めています。
『月の砂漠をさばさばと』は、大きな事件が起こるわけではない、静かな物語です。しかし、その静けさの中にこそ、人生の真実が、そして普遍的な感動が宿っています。お母さんが願ったように、この物語は、読んだ人の心に、いつまでも消えない温かい記憶として残り続けるに違いありません。平凡な日常の中にこそ、非凡な宝物が隠されていることを、この本は優しく教えてくれるのです。
まとめ
北村薫さんの『月の砂漠をさばさばと』は、9歳のさきちゃんと作家のお母さんの二人暮らしを描いた、珠玉の連作短編集です。父のいない母子家庭の日常が、温かく、そして時に切なく綴られていきます。
この物語の最大の魅力は、「光」と「影」の巧みな描写にあります。母と娘が紡ぐ日々の楽しさやまぶしさが「光」であるならば、父の不在がもたらす喪失感や、ままならない現実が「影」として寄り添います。この影があるからこそ、二人の絆や愛情という光が、より一層尊く、輝いて見えるのです。
替え歌に込められた三代続く愛、渡せなかった綿菓子の思い出、捨て猫をめぐる涙。一つひとつのエピソードが、私たちの心の琴線に優しく触れてきます。それは、特別な出来事ではなく、何気ない日常の中にこそ、人生の豊かさや真実が宿っていることを教えてくれるからです。
読んだ後には、自分の周りにあるささやかな幸せを、改めて抱きしめたくなるような気持ちになるでしょう。温かい涙とともに、大切なものが心に残る、そんな一冊です。誰かの心に、長く残り続ける物語だと確信しています。