小説「星がひとつほしいとの祈り」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

原田マハさんの短編集「星がひとつほしいとの祈り」は、現代を生きる女性たちの心の機微を丹念に描いた作品集です。20代から50代後半まで、様々な世代の女性が人生の試練に直面し、そこから希望を見出していく過程が静かに、そして深く綴られています。この作品は、原田マハさんご自身の「旅の原点、創作の原点」とも位置づけられる、作家の原風景が凝縮された一冊と言えるでしょう。

本書を読み終えた後には、心にほんのりとした温かい読後感が残ります。それは、まるでじんわりと心に染み渡るような、静かで深い感動です。大声で泣くような派手さはありませんが、登場人物たちのひたむきな姿に、気づけば涙が頬を伝っているかもしれません。

「希望と祈り」、「旅」、そして「親子関係」が、この作品集を貫く主要なテーマです。フランスの詩人フランシス・ジャムの詩にインスパイアされたというタイトルは、幸せを求めながらも苦悩する女性たちに温かい眼差しを向けていることを示唆しています。「時代がどんな暗雲におおわれようとも、あなたという星は輝きつづける」という力強いメッセージが根底に流れ、逆境の中でも内なる光を見出すことの大切さを教えてくれます。

小説「星がひとつほしいとの祈り」のあらすじ

原田マハさんの「星がひとつほしいとの祈り」は、人生の様々な局面で奮闘する女性たちを描いた7つの短編からなる作品集です。それぞれの物語には、彼女たちのささやかな「祈り」が込められています。

第一話「椿姫」では、都会で生きる20代前半の新人デザイナーが主人公です。彼女は不倫相手との関係で妊娠という困難に直面し、孤独の中で自分の人生を決断する重圧に苛まれます。産婦人科で出会うギャル妊婦との対比や、雪の中に咲く椿の描写が、生命の尊厳と選択の厳しさを鮮やかに示しています。

第二話「夜明けまで」の主人公は、著名な大女優を母に持つ30歳のひかる。母の死後、遺言に従って大分にある「夜明」駅を訪れます。そこで母の隠された過去と悲恋を知り、母への複雑な感情が解き放たれていく様子が描かれます。小鹿田焼の「一子相伝」の伝統が、母から娘へと受け継がれる普遍的なものを暗示しています。

表題作でもある第三話「星がひとつほしいとの祈り」では、35歳のコピーライター文香が道後温泉で出会った盲目の老女が語る、戦時中の悲恋の物語が中心です。上流階級の令嬢と彼女に仕えた女中の絆、そして戦争がもたらした悲劇が、静かに、しかし深く心に響きます。この物語は、戦争の犠牲が女性たちの人生にも深く刻まれることを示唆し、平和への祈りを促します。

第四話「寄り道」は、アラフォー独身の女友達、ハグとナガラの物語です。仕事も恋も失い絶望するハグを、ナガラが旅に誘います。年に数回、日本各地を旅する中で、二人の友情が人生の困難を乗り越える支えとなる様子が描かれています。白神山地での出会いを通じて、「人生足掻こうよ」という言葉が、前向きな意味に変わっていくのが印象的です。

第五話「斉唱」では、神経症の娘とそのシングルマザーである40代女性が主人公です。学校の自由学習で佐渡島へトキを見学に行く中で、人間と自然の関係性、そして母娘の心の通じ合いが描かれます。トキの保護の物語が、過去の過ちを乗り越え、共に未来を築くことへの祈りへと繋がります。

第六話「長良川」は、夫を亡くして1年後の50代の堯子が主人公です。娘とその婚約者と共に、夫との思い出の地である長良川の鵜飼いへ向かいます。喪失感の中に存在する温かい記憶と、それが現在を生きる力となる様が描かれ、娘の結婚という新たな始まりが、堯子に未来への希望を与えます。

最終話の第七話「沈下橋」では、高知の食堂で働く59歳の多恵が主人公です。かつて継母だった人気歌手・阿藤由愛が訴追された報に接し、由愛が多恵を頼って帰ってくることになります。過ちを犯した者への寛容と、再出発への希望が強く打ち出されており、血縁に縛られない深い愛情が描かれています。高知の沈下橋が、人生の挫折からの再生を象徴しています。

小説「星がひとつほしいとの祈り」の長文感想(ネタバレあり)

原田マハさんの「星がひとつほしいとの祈り」を読み終えて、まず感じたのは、私たちの日々の暮らしの中に潜む、見過ごされがちな小さな光を掬い上げるような温かさでした。派手な展開や劇的な事件があるわけではありませんが、登場人物たちの心の奥底に触れるような繊細な筆致に、心を深く揺さぶられました。特に、女性たちが直面する人生の試練と、そこから立ち上がろうとする強さに、深く共感せずにはいられません。これは、まさに私たちの隣にいる誰かの物語であり、同時に、私たち自身の物語でもあるのだと感じました。

この短編集に共通するのは、「旅」という要素が持つ象徴的な意味合いです。物理的な移動はもちろんのこと、登場人物たちが内面で経験する「旅」が、物語の重要な軸となっています。電車、船、車といった乗り物が、単なる移動手段に留まらず、彼女たちの心理的な変化や物語の転換を促す「小道具」として意識的に用いられているのが印象的でした。旅先で出会う人々や非日常の風景が、彼女たちの日常に新たな視点をもたらし、自己を見つめ直す貴重な機会を与えています。人生において、必ずしも目的地に一直線に進むことだけが全てではない。「人生の寄り道」という概念は、時には立ち止まり、回り道をすることの価値を教えてくれます。完璧ではないけれど、それもまた人生の一部であるという、原田マハさんの温かいメッセージが伝わってきました。

そして、「女性」の視点から描かれる人生の試練と成長は、この作品の大きな魅力の一つです。20代の若さゆえの迷い、30代の母としての葛藤、40代の友情の深まり、そして50代の喪失と再生。不倫、予期せぬ妊娠、愛する人の死、病気、親の介護、キャリアの転機など、女性が人生で直面しうる様々な困難がリアルに描かれています。しかし、原田マハさんは、ただ困難を描くだけでなく、それを乗り越えようとする女性たちの「強さ」を強調しています。特に、女性同士の深い友情や、世代を超えた女性間の交流が、困難な状況における「心の支え」として重要な役割を果たしているのが心に残りました。彼女たちの姿は、私たちに「一人じゃない」という温かい安心感を与えてくれます。

「親子関係」もまた、この作品の核となるテーマです。母と娘、継母と継娘など、様々な形の親子関係が描かれ、その複雑さの中に普遍的な愛情や絆が浮き彫りにされています。特に印象的だったのは、親の死後の関係性(「夜明けまで」)や、心を開かない娘との関係性(「斉唱」)、喪失後の娘との絆(「長良川」)、そして血縁を超えた愛情(「沈下橋」)など、多角的に親子関係が探求されている点です。原田マハさんは、親子の関係性を単なる血縁の繋がりとしてではなく、世代を超えて受け継がれる「記憶」「価値観」「無償の愛」の連鎖として描いています。人生の困難な状況下でこそ、その絆の真価が問われ、深まることが示唆されているのが、非常に深い洞察だと感じました。

また、日本の具体的な地方の情景描写と方言が、物語の世界観をより豊かにしている点も特筆すべきです。道後温泉の歴史ある雰囲気、大分の夜明駅の静けさ、白神山地の雄大さ、佐渡のトキの舞う姿、長良川の鵜飼いの風情、高知の沈下橋が持つ郷愁。これらの場所は、単なる背景ではなく、物語のテーマや登場人物の心情と深く結びついており、地域固有の文化や歴史が物語に奥行きを与えています。方言の使用は、物語に「旅情」と「リアリティ」を与え、読者を物語の世界に深く引き込む効果があります。原田マハさんご自身が旅好きであるからこそ、各地の言葉に触れる中で、その土地ならではの表現を作品に取り入れているのが伝わってきて、まるでその場にいるかのような臨場感を味わうことができました。

個々の物語についてもう少し深く触れてみたいと思います。

「椿姫」は、20代前半の若さで予期せぬ妊娠という困難に直面する女性の物語です。都会の冷たさと、一人で全てを背負わなければならない孤独が胸に迫りました。産婦人科の待合室で出会う若いギャル妊婦との対比が、主人公の心の揺れを浮き彫りにします。雪の中に落ちた真っ赤な椿の描写が、生命の尊厳と、主人公が下すべき決断の重さを象徴しているように感じられました。原田マハさんがこの作品を「瑞々しい感性、小説や大人の世界への憧れ」と自身の「創作の原点」の一つと語っているように、若き日の著者の内面的な葛藤も反映されているのかもしれない、と想像しました。この物語は、現代社会における若い女性が直面する「自己の確立」と「人生の選択」の重圧を、都会の風景と生命の象徴である椿の対比を通して描き出し、個人の尊厳と自己決定権の重要性を問いかけていると感じました。

「夜明けまで」は、母と娘の複雑で普遍的な関係性を描いています。有名な女優を母に持つひかるが、母の死後、その遺言に従って大分の「夜明」駅を訪れる。この「夜明」という地名自体が、物語の核となる象徴性を内包しているように感じました。母の隠された過去が明らかになることで、ひかる自身の内面にも「夜明け」が訪れることを暗示しているかのようです。母の人生の困難や悲恋、そしてひかる自身の母への複雑な感情が、夜明の地で解き放たれ、新たな理解と受容へと繋がる過程が描かれていました。小鹿田焼の「一子相伝」のシステムが「親子」のテーマを強調している点も、単なる背景ではなく、母から娘へと受け継がれるもの(才能、苦悩、愛)の普遍性を暗示しており、物語に深みを与えています。この物語を読んで、人は親の背中を見て育つだけでなく、親の生きた証から、後になって多くのことを学ぶのだと改めて感じました。

表題作でもある「星がひとつほしいとの祈り」は、戦争という普遍的な悲劇を、個人の悲恋を通して描き出すことで、より深く心に響く作品でした。道後温泉の宿で出会った盲目の老女が語る、戦時中の上流階級の令嬢と女中の交流、そして戦争が引き起こした悲劇。特に、戦争に翻弄される若者の悲恋の描写は、多くの読者が「涙が止まらなかった」と感想を述べているように、深い感動を呼び起こします。原田マハさんが「戦地に赴いた男性たちの戦いではなくて、待たざるを得なかった女性たちの物語」を描いたと述べている点は非常に重要です。戦争の犠牲は男性だけでなく、残された女性たちの人生にも深く、静かに刻まれることを示唆しています。視覚を失った老女が語り部となることで、記憶と感情がより鮮明に、内面深く語られ、聴き手である文香(そして読者)の心に強く訴えかける構成が素晴らしいと思いました。道後温泉という癒しの場所で語られる悲劇は、過去の傷を癒し、未来への平和を祈るという対比的な意味合いを持ち、物語に深い層を与えています。

「寄り道」は、女性同士の深い友情の尊さを教えてくれる物語です。アラフォー独身のハグとナガラという二人の友人が、互いを支え合いながら人生の困難を乗り越えていく姿に、多くの共感を覚えました。特に印象的だったのは、「人生足掻こうよ」というナガラの言葉です。これは、完璧な解決策を求めるのではなく、不完全でも「足掻き続ける」こと自体に価値があるという原田マハさんの哲学が込められているように感じられました。ハグとナガラの友情は、適度な距離感を保ちつつ、互いにそっと手を差し伸べ、励まし合う理想的な関係性として描かれています。読者の中には「私も誰かのナガラになりたい」と思う人もいるほど魅力的です。旅が、日常の悩みから解放され、内省し、新たな活力を得るための「ご褒美のような時間」となっていることが、人生における「寄り道」の重要性を強調しています。この作品は、女性同士の友情が人生の困難を乗り越える上でいかに重要であるかを描き、「足掻く」という言葉の再解釈を通して、完璧ではない人生を受け入れ、それでも前向きに進むことの肯定を示唆し、読者に希望を与えてくれます。

「斉唱」は、神経症と診断された中学生の娘と、そのシングルマザーである40代女性の物語です。佐渡島へトキを見学に行く中で、人間と自然の関係性、そして母娘の心の通じ合いが描かれます。トキがかつて人間の都合で絶滅に追いやられ、また人間の都合で保護され増やそうとされているという事実は、人間の行動が環境に与える影響の大きさを象徴しています。これを母娘の関係に重ねると、娘の神経症は、親(人間)の都合や社会の歪みが子ども(自然)に与える影響として解釈できるかもしれません。佐渡でのトキとの出会いは、母娘が共通の体験を通じて、言葉ではない「斉唱」のような心の通じ合いを取り戻すきっかけとなります。原田マハさんが「平和と鎮魂」のテーマをトキの物語に込めていると語るように、この物語は、過去の過ち(トキの絶滅危機、母娘間の溝)を乗り越え、共に未来を築くことへの祈りを表現しています。単に自然保護を訴えるだけでなく、家族間の深い理解と癒しが、社会全体の調和に繋がるという、より広範なメッセージを暗示しているように感じられました。

「長良川」は、深い喪失感を抱えながらも、残された家族との絆を通じて新たな幸福と未来への希望を見出す物語です。夫をがんで亡くしてから1年後、主人公の堯子が娘とその婚約者と共に長良川の鵜飼いへ向かう。長良川は、堯子と亡き夫の新婚旅行の思い出の地であり、夫が最期に旅した場所でもあったという、深い個人的な意味を持つ場所です。この物語は「亡くなった夫の生前や現在から愛情と幸福をふくふくと感じる切ないけど幸せ、でもやっぱり切ないそんな気持ちになった」と評されるように、単なる悲劇ではなく、喪失の中に存在する温かい記憶と、それが現在を生きる力となる様を描いています。娘の結婚という新たな家族の始まりが、堯子の喪失感を癒し、未来への希望を与えます。原田マハさんが全体テーマとして掲げる「親子、夫婦、ひいては愛情」の集大成とも言える作品であり、読者に「人生のほんの一瞬」にスポットライトを当て、その前後にも人生が続いていることを感じさせてくれます。

そして、最終話の「沈下橋」は、血縁を超えた無償の愛と、人生の挫折からの再起の可能性を深く描いた作品です。高知の食堂で働く多恵が、かつて継母だった人気歌手・阿藤由愛の転落と再起を見守る物語。由愛が大麻に手を出して転落する姿は痛ましく、しかし多恵の無償の愛が、由愛に再び立ち上がる力を与えます。「私も由愛さんがやり直して、自由に歌える時を待ちたい」という読者の感想があるように、この物語は、過ちを犯した者への寛容と、再出発への希望を強く打ち出しています。高知の「沈下橋」は、増水時には水面下に沈むが、流されることなくそこにあり続ける橋であり、人生の困難(水面下に沈むような挫折)があっても、その本質的な繋がり(多恵と由愛の絆)は失われず、やがて再び姿を現す(再生)というメタファーとして機能していると考えられます。人生のどん底にいる人間が、他者の無償の愛によって救われ、再び立ち上がる希望を見出す過程が描かれており、読者に温かい感動を与えてくれます。

まとめ

原田マハさんの「星がひとつほしいとの祈り」は、現代社会を生きる女性たちの内面に深く切り込んだ、心温まる短編集でした。それぞれの物語の主人公たちは、異なる世代、異なる人生の局面で、様々な試練に直面します。しかし、共通しているのは、逆境の中にあっても内なる光を見出し、前向きに人生を歩もうとする彼女たちの姿です。

「旅」という象徴的な要素が、登場人物たちの内面的な変化や自己発見のプロセスを促し、読者にも「人生の寄り道」の価値を教えてくれます。また、女性同士の友情や世代を超えた親子の絆が、困難を乗り越えるための大きな支えとなることが、温かい筆致で描かれています。地方の情景描写や方言が織りなす豊かな世界観も、物語に奥行きを与え、読者を深く引き込みます。

この作品は、大声で泣くような劇的な感動ではなく、「じんわり」と心に染み渡るような静かで深い感動を与えてくれます。抗えない運命や困難を受け入れ、次に進むべき道を模索する「受容の物語」としての側面が強く、読者に「頑張るための栄養補給ができる」ような活力を与えてくれるでしょう。

本書のタイトルにある「星」は、単なる希望の象徴に留まらず、個人の内なる強さ、レジリエンス、そして自己肯定の光を意味していると感じました。それは外部から与えられるものではなく、逆境の中で自ら見出し、育むべきものであるという、能動的で力強いメッセージが込められています。原田マハさんの「時代がどんな暗雲におおわれようとも、あなたという星は輝きつづける」という言葉は、私たち一人ひとりが、自身の人生の困難を乗り越える力を内包しているという、力強い肯定のメッセージとして心に響きました。