小説『悪魔の紋章』のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

本作は、江戸川乱歩による長編探偵小説で、雑誌「日の出」に連載された作品です。名探偵・明智小五郎シリーズの一つとしても知られていますが、物語の大部分は宗像隆一郎という別の探偵を中心に展開します。

陰惨な連続殺人事件と、現場に残された奇妙な三重渦状紋の指紋。読者は宗像博士と共に、この奇怪な事件の謎を追うことになります。果たして、犯人の正体とその動機とは何なのでしょうか。

この記事では、物語の結末を含む詳細なあらすじと、作品を読んだ私の率直な気持ちを詳しく書いていきます。これから読もうと思っている方、あるいは既に読んだ方も、一緒に『悪魔の紋章』の世界を深く味わっていきましょう。

小説「悪魔の紋章」のあらすじ

法医学者であり探偵でもある宗像隆一郎博士。ある日、彼の助手である木島が毒殺される事件が発生します。木島は死の間際、もう一人の助手・小池に「川手の娘が殺される」と告げ、宗像博士宛の手紙を託しますが、その手紙はなぜか白紙でした。木島が握りしめていた靴べらには、三重渦状紋という珍しい指紋が付着しており、これが犯人のものと推測されます。

宗像博士は、木島の遺言に従い、脅迫状に悩まされている会社取締役・川手庄太郎の屋敷を訪れます。しかし、時すでに遅く、次女の雪子は行方不明になっていました。屋敷内で見つかった封筒には「衛生展覧会」と記されており、博士と中村警部が会場へ向かうと、そこにはガラスケースに入れられた雪子の遺体がありました。ガラスケースにも、あの三重渦状紋が残されていました。

捜査線上に、木島殺害に関与したと思われる黒眼鏡の小柄な男と、雪子の遺体を運んだとみられる左目に眼帯をした大柄な男が浮上します。雪子の葬儀の日、今度は長女・妙子の頬に指紋が付けられ、殺害予告が届きます。厳重な警戒態勢の中、妙子は密室状態の部屋から忽然と姿を消してしまいます。犯人は巧妙なトリックで妙子を連れ去り、ゴミ箱に隠して運び出したのでした。

ゴミ箱を運んだ掃除人夫は、例の二人組だったことが判明します。宗像博士と小池助手は、犯人がゴミを運んだとされる車の周辺を捜索し、近くの怪しいお化け屋敷に足を踏み入れます。そこで妙子の遺体を発見し、さらに黒い人影を追跡しますが、追跡中に小池助手も犯人の凶弾に倒れてしまいます。犯人は宗像博士らが追い詰めた鏡の部屋から、忽然と姿を消しました。

残る標的は川手庄太郎ただ一人。宗像博士は、庄太郎を山梨県の隠れ家に匿います。しかし、隠れ家でも奇妙な現象が続き、庄太郎は庭で自身の名と明日の日付が刻まれた墓石を発見します。その夜、子供に導かれて入った地下室で、庄太郎は自身の父・庄兵衛が過去に犯した強盗殺人の場面を再現した芝居を見せられます。声の主は、殺された山本の息子・山本始だと名乗り、父の復讐のために川手家を狙ったと告白します。

庄太郎は棺桶に閉じ込められ、生き埋めにされてしまいます。一方、隅田川で発見された三重渦状紋の指の持ち主として北園竜子という女性が浮上。宗像博士は竜子の家に忍び込み、彼女を捕らえます。しかし、博士が応援を呼びに行った隙に、竜子は自殺したと報告されます。そこへ海外から帰国した名探偵・明智小五郎が現れ、竜子は他殺だと主張し、宗像博士と対立します。明智は独自に調査を進め、生き埋めにされていた庄太郎を救出します。そして、事件解決を祝う宴会の席で、明智は衝撃の真相を告げるのです。真犯人は、宗像博士になりすましていた山本始であり、黒眼鏡の小男は始の妹・京子(宗像博士の妻とされていた女性)であった、と。追い詰められた始と京子は、毒を飲んで自ら命を絶つのでした。

小説「悪魔の紋章」の長文感想(ネタバレあり)

『悪魔の紋章』、読み終えました。いやはや、江戸川乱歩の作品は、いつ読んでもその独特の世界観に引き込まれますね。特に本作は、シリーズの中でも異色な展開を見せる一作だと感じています。

まず、物語の大部分で明智小五郎が登場しない、という点が挙げられます。代わりに事件の捜査を主導するのは宗像隆一郎博士。法医学者であり、探偵でもあるという設定は魅力的で、序盤は彼の手腕に期待しながら読み進めました。

しかし、読み進めるうちに、どうにも宗像博士の捜査が後手後手に回っている印象が強くなります。次々と起こる殺人事件、現場に残される不気味な三重渦状紋、そして犯人の巧妙なトリック。宗像博士は犯人に翻弄され、助手の木島、小池を次々と失い、守るべき川手家の人間も守りきれません。

この展開は、読者としてもどかしい気持ちになります。早く明智に来てほしい、そう願わずにはいられませんでした。乱歩作品に慣れている読者の方なら、もしかしたら早い段階で「宗像博士、怪しいのでは?」と感じたかもしれませんね。

実際、終盤で明智小五郎が登場し、事件の真相を解き明かす場面は、まさにカタルシスです。宗像博士こそが、復讐に燃える真犯人・山本始であったというどんでん返し。彼の助手や妻とされていた人物も、実は復讐計画の協力者だったという事実に、驚きを禁じえませんでした。

犯行の動機が、父親が犯した過去の罪に対する復讐である、という点は、乱歩作品らしい因縁めいたものを感じさせます。山本始と京子の兄妹が、長い年月をかけて周到に計画を練り、実行に移していく様は、執念深く、そして恐ろしくもあります。

特に、川手庄太郎を隠れ家に誘い込み、自身の父親の犯罪を見せつける場面は、非常に陰湿で手の込んだ演出だと思います。被害者に精神的な苦痛を与え、絶望の淵に突き落とそうとする犯人の残酷さが際立っています。まるで芝居の舞台装置のような地下室や、墓石を使った演出は、恐怖を煽るだけでなく、犯人の歪んだ心理を映し出しているように感じられました。

また、作中に散りばめられたトリックも、乱歩作品ならではの魅力です。衛生展覧会での死体展示は、その大胆さと悪趣味さにおいて、読者に強烈な印象を与えます。ベッドやゴミ箱を利用した人間消失トリックは、古典的でありながらも、物語の緊迫感を高めるのに効果的です。お化け屋敷や鏡の間といった、いかにも乱歩作品らしい舞台設定も、物語の怪奇的な雰囲気を盛り上げています。

これらのトリックは、ガストン・ルルーやモーリス・ルブランといった海外の古典推理小説の影響も感じさせ、ミステリ好きにはたまらない要素でしょう。一つ一つの仕掛けが、単なる謎解きの道具としてだけでなく、物語の世界観を構築する上で重要な役割を果たしていると感じます。

特に「鏡の間」のトリックは、視覚的な混乱を利用したもので、乱歩お得意の仕掛けといえます。犯人が忽然と姿を消す場面は、読んでいて「どうやったんだ?」と考えさせられますし、その後の明智による解明も鮮やかです。

ただ、一方で、いくつかの点については少し物足りなさも感じました。例えば、三重渦状紋という特徴的な指紋。これが犯人の「悪魔の紋章」として繰り返し登場し、事件の象徴のように扱われますが、最終的には北園竜子という、犯人グループとは直接関係のない(ただし、血縁関係はある)人物のものだった、というのは少し肩透かしな気もします。もう少し指紋が事件の核心、特に犯人特定に直接結びつくような展開を期待していました。

また、明智小五郎の登場が終盤に集中しているため、彼と犯人との知恵比べ、という要素は少なめです。物語の大部分は、犯人側の計画が着々と成功していく様を描いているため、探偵対犯人のスリリングな攻防を期待すると、少し違う印象を受けるかもしれません。宗像博士(山本始)の視点が多く描かれる分、読者は犯人側の心理に近づくことになりますが、その分、探偵側の活躍を待ち望む気持ちも強くなります。

しかし、それらを差し引いても、『悪魔の紋章』は非常に読み応えのある作品です。陰惨な雰囲気、奇怪な事件、巧妙なトリック、そして衝撃の結末。江戸川乱歩の世界観が凝縮された一作と言えるでしょう。探偵役が実は犯人だった、という倒叙ミステリのような構成は、読者を最後まで飽きさせません。

宗像博士=山本始のキャラクター造形も興味深いです。探偵として名声を得ながら、その裏で冷酷な復讐計画を進める二面性。彼の内面の葛藤や苦悩はあまり描かれませんが、その分、底知れない不気味さを感じさせます。彼が探偵として事件に関わることで、より深く川手家に入り込み、計画を有利に進められたという皮肉な状況も、物語の面白さを増しています。

最後に、明智小五郎が登場してからの解決編の鮮やかさは、やはり見事です。散りばめられた伏線を回収し、事件の全貌を明らかにしていく様は、読んでいて爽快感があります。特に、自殺と見せかけられた北園竜子の死の真相を暴くくだりは、明智の観察眼と推理力の鋭さを示しており、読者の溜飲を下げてくれます。生き埋めにされた庄太郎を発見し救出する場面も、絶望的な状況からの逆転劇として印象的です。

この作品を読むことで、改めて江戸川乱歩の描く、人間の心の闇や、因果応報といったテーマの深さを感じることができました。猟奇的な事件の中にも、どこかもの悲しさが漂う、独特の読後感を味わえる一冊です。復讐という行為の虚しさ、そしてそれが新たな悲劇を生む連鎖についても考えさせられます。

まとめ

江戸川乱歩の『悪魔の紋章』は、奇怪な連続殺人事件と、その裏に隠された壮大な復讐劇を描いた長編探偵小説です。物語の中心となるのは、名探偵・明智小五郎ではなく、宗像隆一郎博士という法医学者兼探偵。彼の視点を通して、読者は事件の謎を追体験することになります。

次々と起こる残忍な殺人、現場に残される不気味な三重渦状紋の指紋、そして犯人の巧妙なトリック。物語は終始、不穏な空気に包まれており、読者は息をのむ展開に引き込まれるでしょう。なぜ犯人はこれほどまでに川手家を憎むのか、その動機が明らかになるにつれて、事件の様相はより深みを増していきます。

終盤、満を持して登場する明智小五郎による鮮やかな謎解きは、本作の大きな見どころです。どんでん返しの結末は、きっと多くの読者を驚かせるはずです。ネタバレを含むあらすじや感想を読んで、少しでも興味を持たれたなら、ぜひ実際に手に取って、この独特な世界観を体験してみてください。

江戸川乱歩作品ならではの、猟奇的でありながらもどこか哀愁を帯びた雰囲気、そして人間の心の奥底に潜む闇を描いた『悪魔の紋章』。ミステリファンはもちろん、多くの方に読んでいただきたい一作です。一度読み始めると、その怪しい魅力から目が離せなくなることでしょう。