小説「悪霊」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
江戸川乱歩という作家の名を聞けば、多くの方が奇怪で幻想的な、あるいは論理的な謎解きを思い浮かべることでしょう。数々の傑作を生み出した乱歩ですが、その中には完成を見ることなく中断された作品も存在します。それが、今回取り上げる「悪霊」です。昭和初期、本格推理への復帰作として期待されながら、作者自身の創作意欲の減退により、謎が謎を呼ぶ展開の途中で筆が止まってしまいました。
しかし、未完であるがゆえに、「悪霊」は読者の想像力をかき立て、様々な憶測を呼ぶ特異な魅力を放っています。完成された作品を読むのとは違う、作者と共に謎の深淵を覗き込むような、あるいは作者が投げ出した謎を自ら解き明かそうと試みるような、そんな能動的な読書体験がここにはあります。なぜ乱歩はこの物語を完成させられなかったのか、そして、もし続いていたらどんな結末を迎えたのか。
この記事では、まず「悪霊」がどのような物語なのか、乱歩が描いた範囲での物語の筋道をご紹介します。密室殺人、謎の記号、怪しげな登場人物たち。乱歩が仕掛けたであろう伏線や謎に触れながら、物語の核心に迫っていきます。いわゆる結末までの記述はありません。なぜなら、この物語には、作者によって書かれた結末が存在しないからです。
そして後半では、この未完の物語に対する私の個人的な思いや考察を、ネタバレを気にせず存分に語らせていただこうと思います。作品の持つ独特の雰囲気、提示された謎の魅力、そして未完であることの意味。様々な角度から「悪霊」という作品の深層に迫ってみたいと考えています。乱歩ファンはもちろん、ミステリー好きの方にも、この奇妙な作品の持つ不可思議な魅力を感じていただければ幸いです。
小説「悪霊」のあらすじ
物語は、語り手である「私」が、ある奇妙な経緯で二冊の重厚な手記を手に入れるところから始まります。それは祖父江進一(そぶえ しんいち)という新聞記者が、岩井坦(いわい たん)という人物に宛てた手紙の束であり、ある奇怪な殺人事件の詳細な記録でした。「私」はその内容のあまりの面白さに、これを世に発表しようと決意します。ここから、祖父江進一の手紙に記された事件の記録が語られていきます。
祖父江進一は、降霊術の集まりで知り合った美貌の未亡人、姉崎曽恵子(あねざき そえこ)の邸宅を訪れます。しかし、そこで彼が目にしたのは、固く鍵が閉ざされた土蔵の二階で、無残にも全裸で殺害されている曽恵子の姿でした。発見時、息子は旅行中で、使用人も外出しており、邸内には曽恵子一人しかいなかったとされます。
現場は完全な密室状態でした。土蔵の鍵は内側から掛けられており、その鍵はなんと死体の下に隠されるように置かれていたのです。曽恵子の死体には無数の細かい傷がつけられ、不可解な量の血が流れていました。さらに、そばにあった曽恵子の着物には血を拭ったような跡があり、そこには奇妙な記号が描かれた紙片が残されていました。まるで、犯人が何かを示唆するかのような、不気味な演出が施されていたのです。
捜査を進める中で、姉崎邸の門前に寝泊まりしていた足の不自由な浮浪者から、有力な証言が得られます。犯行があったと思われる時間帯に、姉崎邸に入っていったのは中年の紳士と、古風な矢絣(やがすり)の着物を着て、時代遅れの髪型をした女性の二人組だったというのです。特に矢絣の女は、近所でも目撃されており、その異様な姿が憶測を呼びます。浮浪者は両足がないため、彼自身が犯人である可能性は低いと考えられました。
その後、祖父江は心霊現象研究の中心人物である黒川博士(くろかわ はかせ)を訪ねます。そこで、博士が保護している龍ちゃん(りゅうちゃん)という盲目の少女霊媒師が、曽恵子の死を事前に予言していたことを知ります。龍ちゃんは多重人格者であり、「織枝(おりえ)」という別人格が現れると、驚異的な霊能力を発揮するというのです。その事実に、祖父江は言い知れぬ不安を覚えます。
ある夜、黒川博士の邸宅で心霊学会のメンバーが集まり、降霊会が催されます。参加者には、博士の助手のような役割を果たす文学士の園田(そのだ)、民間の妖怪研究家である熊浦(くまうら)、そして博士の美しい娘・鞠子(まりこ)などがいました。降霊会の最中、トランス状態に入った龍ちゃん(織枝)は、恐ろしい言葉を発します。「犯人は、この中にいる」「目の前の美しい人(鞠子を指していると思われる)が、次に犠牲になる」と。その言葉を最後に、龍ちゃんは意識を失ってしまいます。果たして犯人は誰なのか、矢絣の女の正体は、そして次の犠牲者は本当に鞠子なのか。謎が深まったところで、乱歩の筆は止まり、物語は永遠の中断を迎えるのです。
小説「悪霊」の長文感想(ネタバレあり)
江戸川乱歩の「悪霊」は、未完であるがゆえに、読む者の心に深く、そして奇妙な余韻を残す作品です。完成された傑作を読む満足感とは異なり、そこには解かれることのない謎へのもどかしさと、無限に広がる想像の自由が同居しています。なぜ乱歩はこの魅力的な謎を途中で放棄してしまったのでしょうか。それは、彼自身が語っているように、本格推理への復帰というプレッシャーの中で、構想が固まらないまま執筆を始めてしまったこと、そして何より、彼自身の創作意欲が続かなかったことに起因するようです。しかし、その「失敗」から生まれた未完の断片は、結果的に多くの読者を惹きつけ、様々な憶測を呼ぶ伝説的な作品となりました。
まず、「悪霊」を読んで強く感じるのは、昭和初期という時代が持つ独特の空気感、そして乱歩特有の猟奇的で怪奇趣味に満ちた雰囲気です。降霊術や心霊学会といったオカルト要素が物語の中心に据えられ、美貌の未亡人の全裸死体、不可解な密室、謎の記号、時代錯誤な矢絣の女といったモチーフが、読者の不安と好奇心を煽ります。それは、単なる論理的な謎解きに留まらない、人間の心の闇や異常心理を描こうとする乱歩の作風が色濃く反映された世界観と言えるでしょう。特に、土蔵という閉鎖的で陰湿な空間で発見された、傷つけられた全裸死体という描写は、後の乱歩作品にも通じるエロティックでありながらグロテスクな感覚を呼び起こします。
登場人物たちもまた、一癖も二癖もある怪しげな人物ばかりです。事件の記録者である祖父江進一、彼に手記を託した(と思われる)岩井坦、被害者でありながらどこか秘密を抱えていそうな姉崎曽恵子、心霊研究の権威でありながら何かを隠しているような黒川博士、そして物語の鍵を握るであろう盲目の美少女霊媒師・龍ちゃん(織枝)。さらに、意味ありげな発言をする園田、妖怪研究家の熊浦、そして「次の犠牲者」と予言された黒川博士の娘・鞠子。彼ら一人ひとりが、犯人である可能性を匂わせ、読者を疑心暗鬼にさせます。特に、龍ちゃん(織枝)の存在は大きく、彼女の予言やトランス状態での発言が、事件を超自然的な方向へ導くのか、それとも巧妙なトリックの一部なのか、最後まで読者を惑わせます。
提示された謎も非常に魅力的です。まず、最大の謎である土蔵での密室殺人。内側から鍵がかけられ、その鍵が死体の下にあったという状況は、古典的な密室トリックを想起させますが、乱歩がどのような解決を用意していたのか、興味は尽きません。死体に残された無数の傷や、血で描かれたような謎の記号、そして矢絣の女の存在も、単なる殺人事件ではない、何か儀式的、あるいは狂気的な背景を感じさせます。これらの断片的な情報から、読者は様々なトリックや犯人像を推理することになります。例えば、鍵のトリックに関しては、外部から操作できる仕掛けがあったのか、あるいは共犯者が内部にいたのか。謎の記号は、犯人を示すメッセージなのか、それとも何かの暗号なのか。矢絣の女は、実在の人物なのか、それとも変装した誰かなのか、あるいは幻覚なのか。
未完であるがゆえに、これらの謎に対する「正解」は存在しません。だからこそ、私たちは自由に想像を巡らせることができます。例えば、犯人像について考えてみましょう。最も怪しいのは、心霊学会の中心人物である黒川博士でしょうか。彼は龍ちゃんを保護し、降霊会を主宰するなど、事件の中心近くにいます。彼の心理学の知識が悪用された可能性も考えられます。あるいは、博士の助手的な存在である園田。彼は謎の記号について何か知っているような素振りを見せており、彼の知識が犯行に利用された、あるいは彼自身が犯人であるという線も捨てきれません。妖怪研究家の熊浦も、その怪しげな研究内容から、常軌を逸した動機を持つ可能性も考えられます。
あるいは、もっと超自然的な解決、つまり本当に「悪霊」のような存在が事件に関与していたという可能性はどうでしょうか。盲目の霊媒師・龍ちゃん(織枝)の存在は、物語にオカルト的な色彩を強く与えています。彼女の予言が的中し、犯人が人ならざる者であった、という結末も、乱歩であれば描き得たかもしれません。当時の読者が期待したのは、論理的なトリックによる解決だったかもしれませんが、乱歩自身は「悪霊」というタイトルに、より深い意味を込めていた可能性もあります。人間の心の内に潜む「悪霊」、あるいは社会に蔓延する狂気のようなものを描こうとしていたのかもしれません。
もし乱歩がこの作品を書き続けていたら、どのような展開が考えられたでしょうか。一つには、龍ちゃん(織枝)の予言通り、鞠子が次の犠牲者となり、連続殺人に発展していく展開。これにより、容疑者たちの関係性がさらに複雑になり、事件の謎が深まっていく。あるいは、矢絣の女の正体が意外な人物(例えば、登場人物の誰かの変装、あるいは既に死んだはずの人物)であることが判明し、事件の様相が一変する展開。そして、密室トリックや記号の謎が、科学的あるいは心理学的なトリックによって鮮やかに解き明かされる本格ミステリーとしての結末。もしくは、前述のように、超常的な力が介在する、変格ミステリーとしての結末。どの可能性を想像しても、興味は尽きません。
「悪霊」が中断された理由として、乱歩自身が「全体の筋立ての未熟のまま、執筆を始めた」ことを挙げています。これは、当時の乱歩が、本格推理への回帰を望む周囲の期待と、自身の書きたいもの(より猟奇的、幻想的なもの)との間で揺れ動いていたことの表れかもしれません。「悪霊」には、本格推理の骨格(密室、記号、論理的な推理)と、変格推理の要素(心霊現象、異常心理、怪奇趣味)が混在しており、乱歩自身、そのどちらの方向へ物語を進めるべきか、あるいはどのように両者を融合させるべきか、迷いがあったのではないでしょうか。その迷いが、結果的に筆を止まらせてしまったのかもしれません。
しかし、見方を変えれば、この「未完」という状態こそが、「悪霊」の最大の魅力であり、価値であるとも言えます。完成された物語は、作者によって提示された結末を受け入れるしかありませんが、未完の物語は、読者一人ひとりが自らの想像力で物語を補完し、結末を創造する余地を与えてくれます。乱歩が残した謎の断片は、まるで読者への挑戦状のようにも思えます。私たちは、祖父江進一と共に事件の謎を追い、龍ちゃんの予言に耳を傾け、黒川邸の降霊会に立ち会い、そして、乱歩が描かなかった未来を、自ら紡ぎ出すことができるのです。
乱歩の他の作品と比較してみると、「悪霊」の特異性がより際立ちます。『二銭銅貨』や『心理試験』のような初期の本格短編に見られる論理的な明晰さ、『パノラマ島奇譚』や『陰獣』のような中期以降の作品に見られる倒錯的・幻想的な世界観。そのどちらの要素も内包しながら、どちらにも振り切れていない、ある種の不安定さが「悪霊」にはあります。それは、乱歩自身の創作上の過渡期、あるいは迷いを反映しているのかもしれません。もし完成していれば、それは本格と変格が見事に融合した傑作になったのか、あるいはどっちつかずの中途半端な作品に終わったのか。今となっては知る由もありませんが、その不確かさこそが、私たちを惹きつけてやまないのかもしれません。
降霊術や心霊現象といった要素は、単なる雰囲気作りやトリックの道具立てとしてだけでなく、物語のテーマそのものに関わっているようにも思えます。人間の理性では解明できない領域、心の闇、集団心理の恐ろしさ。黒川博士の研究や龍ちゃんの能力は、そうしたテーマを探求するための装置として設定されたのではないでしょうか。未完に終わったことで、これらの要素がミステリーとしてどのように機能するはずだったのかは不明瞭なままですが、かえってその曖昧さが、作品に神秘的な深みを与えているとも言えます。論理だけでは割り切れない、人間の不可解さへの問いかけが、そこには含まれているように感じられます。
文章表現に目を向けると、未完とはいえ、乱歩の筆致は冴えています。事件の異様さ、登場人物たちの怪しさ、そして忍び寄る恐怖感を巧みに描写し、読者を物語の世界へと引き込みます。特に、姉崎曽恵子の死体が発見される場面の描写は、詳細でありながらどこか夢幻的で、強い印象を残します。中断された箇所に至るまでの展開も、読者の興味を持続させる力があり、続きが読めないことが本当にもどかしく感じられます。「抜け殻同然の文章を羅列するに堪えませんので」と乱歩自身は謙遜していますが、決してそんなことはなく、むしろ円熟期を迎えつつあった乱歩の筆の力を感じさせる部分が多くあります。
この「悪霊」には、後に芦辺拓氏によって、乱歩が残したプロットの断片や関係者の証言などを元に、物語の後半部分が補完され、完結したバージョンも存在します。それはそれで一つの見事な解釈であり、乱歩への敬意に満ちた力作だと思います。しかし、やはり乱歩自身の手によって書かれなかったという事実は変わりません。芦辺氏による結末を読むことで、一つの「答え」を知ることはできますが、それはあくまで可能性の一つであり、乱歩が本当に描こうとした結末とは違うかもしれません。だからこそ、乱歩が書いた未完の原作「悪霊」を読む体験は、依然として特別な価値を持ち続けているのです。そこには、解かれることのない永遠の謎と、私たち自身の想像力が介入する余地が残されています。
最終的に、「悪霊」を読むという行為は、単に物語を追うこと以上の体験をもたらします。それは、ミステリーの謎解きに参加することであり、作者の創作の苦悩に思いを馳せることであり、そして何よりも、自らの想像力で物語の空白を埋めていく創造的な行為でもあります。この未完の断片が放つ不気味で蠱惑的な光は、これからも多くの読者を魅了し、様々な想像や議論を生み出し続けることでしょう。乱歩が残した最も不可解で、最も魅力的な謎の一つ、それが「悪霊」なのです。
まとめ
この記事では、江戸川乱歩の未完の探偵小説「悪霊」について、その物語の筋道を紹介し、ネタバレを含む深い感想や考察を述べてきました。物語は、奇怪な密室殺人事件を発端に、降霊術、謎の記号、怪しげな登場人物たちが絡み合い、不気味な雰囲気の中で謎が深まっていくところで中断されています。
「悪霊」の最大の魅力は、未完であるがゆえに、完成された作品にはない独特の読書体験を提供してくれる点にあります。作者によって結末が提示されないため、読者は残された謎や伏線を手がかりに、自由に犯人やトリック、物語の結末を想像することができます。それは、もどかしくもありながら、同時に知的な興奮を伴う能動的な楽しみと言えるでしょう。
作中に散りばめられた、密室殺人の謎、血で書かれた記号の意味、時代錯誤な矢絣の女の正体、そして盲目の霊媒師が告げた不吉な予言。これらの要素は、昭和初期の怪奇趣味と相まって、読者を乱歩的な迷宮へと誘います。なぜ乱歩はこの物語を完成させられなかったのか、その背景に思いを馳せることもまた、この作品を読む上での一興です。
未完という事実は、この作品にマイナスの側面だけでなく、むしろ伝説的な価値を与えているのかもしれません。解かれることのない謎は、時代を超えて読者の想像力を刺激し続けます。「悪霊」は、江戸川乱歩が残した、最も魅力的で不可解な問いかけの一つとして、これからも多くのミステリーファンを惹きつけていくことでしょう。ぜひ、この奇妙な未完の断片に触れ、あなた自身の「悪霊」の結末を想像してみてはいかがでしょうか。