悪女について小説『悪女について』のあらすじを内容込みで紹介します。長文の感想も書いていますので、どうぞお楽しみください。

有吉佐和子さんが描く『悪女について』は、謎多き女性実業家、富小路公子の生涯を追う物語です。彼女の突然の死をきっかけに、公子に関わった27人もの人物への取材が進められ、その証言から公子の実像が徐々に明らかになっていきます。貧しい生い立ちから一代で巨万の富を築き上げた公子の人生は、まさに波瀾万丈。しかし、彼女を「虚飾の女王」「魔性の女」と評する声もあれば、「聖女のように優しい」と語る者もいるのです。この多角的な視点から描かれる公子の姿は、読者に深い考察を促します。

本作の魅力は、何と言ってもその構成にあります。公子自身の声は一切登場せず、周囲の人物たちの証言のみで物語が紡がれていくため、まるでパズルのピースを一つずつ埋めていくような読書体験ができます。それぞれの証言は時に矛盾し、公子に対する印象は章ごとに大きく変化します。これにより、読者は特定の情報に縛られることなく、自分なりの公子像を自由に組み立てることができるのです。

物語が進行するにつれて、公子の人間的な魅力と、目的のためには手段を選ばない冷徹な一面が浮き彫りになっていきます。彼女がどのようにして男性社会を渡り歩き、富を築いていったのか、その巧妙な手口には舌を巻くばかりです。しかし、果たして彼女は本当に「悪女」だったのでしょうか。それとも、社会の常識や男性優位の価値観に立ち向かった「強い女性」だったのでしょうか。

『悪女について』は、単なる女性の成功物語やサスペンスに留まりません。女性が社会で生き抜くことの困難さ、人間の多面性、そして「悪」とは何かという根源的な問いを投げかけてきます。有吉佐和子さんが織りなすこの物語は、読むたびに新たな発見があり、現代社会にも通じる普遍的なテーマを内包しています。

『悪女について』のあらすじ

美貌の女性実業家、富小路公子が自社ビルから転落死した。週刊誌の記者は、彼女の死の真相を探るべく、公子と関わりのあった27人の男女に取材を始める。公子の本名は鈴木君子。貧しい八百屋の娘として生まれた彼女は、幼い頃から自らの才覚と美貌を武器に、人々の心を惹きつけてきた。

無一文の身でありながら独学で簿記を学び、15歳で夜間学校に通い始める。そこで出会った宝石店の店主・沢山栄次に見込まれて、宝石業界へと足を踏み入れる。しかし、同じ沢山のラーメン店で働く青年・渡瀬義雄と恋に落ち、妊娠するも、義雄は結婚を拒み姿を消してしまう。公子は大きなお腹で義雄の実家を訪れ、慰謝料5千万円を受け取る。

この大金を元手に、公子は土地転がしで事業を拡大。やがて宝石ブローカーとして成功を収め、二人目の夫となる富本寛一を利用して田園調布に広大な土地を手に入れる。豪邸を建て、幼い息子たち(義彦・義輝)を呼び寄せ、華やかな生活を送る公子。テレビのコメンテーターとしても活躍し、若い婚約者・小島誠を得て、その人生はまさに絶頂を迎えていたかに見えた。

そんな矢先、公子は自社ビル7階から転落死する。彼女の死は自殺か、他殺か、事故か。その真相は物語の最後まで明かされることはない。27人もの証言者たちの言葉は、公子の人生の断片を繋ぎ合わせ、その実像を浮かび上がらせようとする。しかし、語られる公子の姿は、人によってあまりにも異なっており、読者は一体何が真実なのか、最後まで惑わされ続けることになるのです。

『悪女について』の長文感想(内容あり)

有吉佐和子さんの『悪女について』を読み終え、まず感じたのは、人間の多面性と、それを見る側の視点がいかに「真実」を歪めるか、という普遍的なテーマでした。主人公である富小路公子は、作中で一度も自らの言葉で語ることがありません。彼女の人物像は、周囲の27人の証言によってのみ形成されます。この徹底した多角的な視点から公子像を浮かび上がらせる手法こそ、本作が単なる女性一代記に終わらない、文学作品としての深みを与えていると感じました。

物語の冒頭で公子の突然の死が描かれ、週刊誌の記者がその真相を探るべく関係者たちにインタビューを重ねる、という構成は、まるでミステリー小説を読んでいるかのような引き込み方です。しかし、真相は最後まで明かされず、読者は自身の解釈を求められます。これがまた、読了後の余韻を深く、長く残す要因となっています。

それぞれの証言者たちは、公子に対して全く異なる印象を抱いています。「虚飾の女王」「魔性の女」と罵る者もいれば、「聖女のように優しい」「慈愛に満ちた女性」と称える者もいます。例えば、公子の最初の夫である渡瀬義雄は、彼女から慰謝料を巻き上げられたという恨み節を語り、公子を冷酷な悪女と断じます。しかし、公子の次男である義輝は、母を「悪女なんかじゃない。夢のような生涯を送った魅力的な女性だった」と肯定的に語ります。同じ人物、同じ出来事に対する解釈がこれほどまでに異なることに、人間関係の複雑さと、認識の多様性をまざまざと見せつけられました。

公子自身は貧しい生まれから這い上がり、一代で巨万の富を築き上げた女性です。彼女の人生は、まさに「女が金を持つ」ことに対する当時の社会の偏見や、男性優位の社会構造への挑戦として読み解くことができます。彼女はビジネスにおいては非常に shrewd (抜け目がない) で、数字に強く、独自の言葉遣いや立ち居振る舞いで「高貴さ」を演出し、男性たちを手玉に取ってきました。その姿は、ある意味で現代のビジネスパーソンに通じるものがあるとも言えます。自己の魅力を最大限に活用し、交渉術に長け、そして目的のためには手段を選ばない。その非情さは時に読者をゾッとさせるほどです。

しかし、その一方で、公子には人間的な弱さや、誰かに愛されたいという切実な願いも透けて見えます。特に、幼なじみである尾藤輝彦に対する公子の想いは、彼女の人生における唯一の「真実の愛」であったように感じられました。尾藤が公子の子(義彦)の父親である可能性も示唆されており、彼に対して公子が見せる純粋な愛情は、他の男性に対するそれとは明らかに一線を画しています。彼女が富と名声を得てからも、ニューヨークから帰国する尾藤のために部屋を用意するなど、彼への特別な感情を持ち続けていたことは、公子の複雑な内面を垣間見せる重要な要素だと思います。

公子の母である鈴木タネもまた、印象的なキャラクターです。貧しい八百屋の妻でありながら盗癖があり、公子の幼少期は決して恵まれた環境ではありませんでした。しかし、孫である義彦・義輝の世話をする際には厳格な祖母としての一面を見せ、一部の登場人物からは「祖母タネに育てられて良かった」と評価されるなど、公子の形成に大きな影響を与えた人物であることが伺えます。公子の強かさや、時に見せる冷徹さは、もしかしたらこの母から受け継いだものなのかもしれません。

作中では、公子がどのようにして富を築いたか、その過程が克明に描かれています。最初の慰謝料5千万円を元手に土地転がしを始め、宝石ブローカーとして成功し、二人目の夫である富本寛一を利用して田園調布に豪邸を建てる。これらのエピソードは、公子がいかに計算高く、目的達成のためにはなりふり構わぬ女性であったかを物語っています。しかし、彼女の「悪」は、殺人や直接的な犯罪行為を伴うものではなく、あくまで人間の心の隙や社会の仕組みを巧みに利用したものでした。この点が、読者に「本当に悪女なのか?」という疑問を抱かせる所以なのでしょう。

公子を巡る男性たち、渡瀬義雄、富本寛一、そして最後の婚約者である小島誠も、それぞれが公子の異なる側面を引き出しています。義雄は公子の事業の足がかりを与えた人物であり、寛一は公子が社会的地位を確立する上で利用された人物。そして小島は、公子が晩年に心を許した相手であり、彼の嫉妬が公子の死に関わっている可能性も示唆されます。これらの男性たちの証言から、公子がどのようにして男性たちを魅了し、あるいは利用してきたのか、その手練手管が鮮やかに描かれています。

公子の二人の息子、義彦と義輝の存在も、公子の人間性を深く掘り下げています。長男の義彦は父親が誰なのかという謎を抱え、公子に対して冷淡でありながらも、祖母タネに愛情を求めます。一方で、次男の義輝は母である公子を心から信頼し、彼女を「夢のような生涯を送った魅力的な女性」と肯定的に評価します。この二人の息子の対照的な視点は、公子の「母」としての一面と、社会的なイメージとのギャップを象徴しており、物語の真相を追う上での重要な手がかりとなります。

本作の構成は、まさに「羅生門」的であると言えます。一つの出来事や人物を多角的な視点から捉えることで、絶対的な真実を提示せず、読者に解釈の余地を残しています。この手法は、人間という存在の複雑さ、そして「善悪」という概念の曖昧さを浮き彫りにします。公子は、ある者には聖女のように見え、別の者には徹底した悪女に映る。これは、人間が他者を評価する際に、いかに自分自身の価値観や経験に照らし合わせて判断しているかを示しているのではないでしょうか。

テーマとしては、「悪女」とは何か、という問いが終始横たわっています。公子は確かに世間的には「悪女」の烙印を押されました。しかし、彼女の行動の根底には、貧しい生まれから這い上がり、夢を実現したいという強い願望があったように思えます。それは、現代社会で成功を目指す多くの人々にも共通する、普遍的なモチベーションではないでしょうか。女性が男性社会で生き抜くために、男性とは異なる戦略を用いることの是非も問われています。公子は、女性であるということを最大限に利用し、時には男性の弱みすらも逆手に取って成功を収めました。これは、当時の社会における女性の地位、そして現代における男女間の力関係にも通じるテーマだと感じました。

総じて、『悪女について』は、単なる女性の成功物語やサスペンスではなく、人間の本質、社会の偏見、そして女性が自己を確立することの困難さを深く考察させる文学作品です。公子という一人の女性の生涯を通して、読者は自分自身の価値観や人間観を問い直すことになるでしょう。有吉佐和子さんの緻密な構成と、人間の心理を深く描く筆致に感服するばかりです。

まとめ

有吉佐和子さんの『悪女について』は、謎の転落死を遂げた女性実業家、富小路公子の生涯を、27人もの関係者への取材を通して描く異色の作品です。公子自身の声は一切登場せず、多角的な証言のみで彼女の人間像が構築されていくため、読者はパズルのピースを繋ぎ合わせるように、公子の複雑な実像を理解していきます。

物語は、公子に対する人々の異なる評価を鮮やかに提示します。「悪女」と罵る者もいれば、「聖女」と称える者もおり、その多様な視点こそが本作の最大の魅力と言えるでしょう。貧しい生い立ちから一代で巨万の富を築いた公子の波瀾万丈な人生は、当時の女性が社会で生き抜くことの困難さと、それを乗り越えようとする強い意志を浮き彫りにします。

公子は、計算高く、目的のためには手段を選ばない冷徹なビジネスウーマンとして描かれながらも、幼なじみの尾藤輝彦への純粋な愛情や、息子たちへの複雑な感情など、人間的な側面も持ち合わせています。この多面性が、彼女を一概に「悪女」とは断定できない、奥深い人物像を作り上げています。

『悪女について』は、単なるサスペンスや女性一代記に留まらず、「悪とは何か」「人間とは何か」という根源的な問いを読者に投げかけます。有吉佐和子さんの巧みな構成と、人間の心理を深く見つめる洞察力によって、読後も長く心に残る一冊となっています。