小説「卒業」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。東野圭吾氏による「加賀恭一郎シリーズ」の記念すべき第一作であり、後の名刑事となる男の、青き時代の事件簿、とでも申しましょうか。出版は1986年、私が生まれるよりも前の話であります。時代を感じさせる描写も散見されますが、それもまた一興。
本作は、後のシリーズで見せるような練達した人物描写や社会派のテーマ性というよりは、密室トリックやアリバイ崩しといった、いわゆる「本格ミステリ」の要素を色濃く打ち出しているのが特徴です。大学生という、大人と子供の境界線上にいる若者たちの、友情、恋愛、そして将来への不安が、殺人事件という非日常と交錯する様を描いています。
この記事では、物語の核心に触れる情報を包み隠さず提示し、その上で私の個人的な見解を詳しく述べさせていただきます。これから読もうと考えている方、あるいは既に読了し、他の人間の解釈に触れたいと考えている方、どちらにとっても多少なりとも得るものがあれば幸いです。もっとも、私の解釈が絶対などとは毛頭考えておりませんがね。
小説「卒業」のあらすじ
物語の舞台は、国立T大学。卒業を間近に控えた秋、主人公の加賀恭一郎、そして彼が密かに想いを寄せる相原沙都子を含む、高校時代からの友人グループ7人は、それぞれの進路や恋愛に悩む日々を送っていました。彼らは、暇を見つけてはバー「首を振るピエロ」に集う、いわゆる仲良しグループ。しかし、その平穏は突如として破られます。
メンバーの一人、牧村祥子が、下宿先のアパート「白鷺荘」の自室で遺体となって発見されたのです。部屋は内側から鍵がかけられた密室状態。警察は自殺との見方を強めますが、祥子の親友であった沙都子は納得できません。加賀もまた、現場の状況や祥子の最近の様子から、単純な自殺ではない何かを感じ取ります。祥子が遺した日記を手掛かりに、加賀と沙都子は真相を探り始めます。
そんな中、第二の悲劇が起こります。彼らの高校時代の恩師であり、茶道部の顧問でもあった南沢雅子の自宅で開かれた、毎年恒例の茶事「雪月花之式」の最中に、今度はメンバーの金井波香が毒物によって絶命するのです。衆人環視の中、一体誰が、どうやって波香だけに毒を盛ることができたのか。茶道の複雑な作法「雪月花之式」そのものが、巧妙な殺人計画の舞台装置となっていたのです。
加賀は、祥子の死と波香の死、二つの事件の関連性を疑い、独自の調査を進めます。仲間の中に犯人がいるかもしれないという苦悩を抱えながら、彼はその卓越した洞察力で、友情の裏に隠された嫉妬、裏切り、そして悲しい秘密を一つ一つ解き明かしていきます。果たして、若き日の加賀恭一郎が辿り着いた、二つの事件の驚くべき真相とは。そして、事件の解決と共に彼らが迎える「卒業」の意味とは何なのでしょうか。
小説「卒業」の長文感想(ネタバレあり)
さて、東野圭吾氏の輝かしいキャリアの黎明期を飾る「卒業」。加賀恭一郎という、後に多くの読者を魅了することになる名探偵のオリジンストーリーであります。しかしながら、正直に申し上げて、後年の洗練された作品群に慣れ親しんだ目から見ると、いささか荒削りな印象は否めません。だが、それが欠点かと問われれば、一概にそうとも言えないのが難しいところです。むしろ、この初期衝動とも言うべき熱量や、後の作品では見られないような大胆な(あるいは、やや強引な)トリックへの挑戦にこそ、本作ならではの価値を見出すべきなのかもしれません。
まず、物語の核となるミステリ要素、すなわち二つの事件の謎解きについて触れねばなりますまい。一つ目の、牧村祥子の死。発見現場はアパート「白鷺荘」の自室、内側から施錠された密室状態。警察は早々に自殺と断定しかけますが、我らが加賀恭一郎は納得しない。そして解き明かされるトリックは、サッシの鍵に仕込まれた形状記憶合金。指定の温度で変形し、自動的に施錠するという、いかにも理系出身の東野氏らしいアイデアではあります。後の「ガリレオ」シリーズを彷彿とさせると言えなくもありません。しかし、どうでしょう。形状記憶合金という素材自体は面白いものの、それを鍵に応用し、完璧なタイミングで作動させるというのは、現実的に考えるとかなりの困難が伴うのではないでしょうか。温度管理、合金の精度、外部からの視認性など、クリアすべきハードルは多い。ミステリにおけるトリックとは、ある種の「約束事」の上で成り立つものとはいえ、少々ご都合主義的な印象を受けてしまうのは私だけでしょうか。伏線は確かに張られていますが、それだけでこのトリックを読者に見破らせるのは、いささかフェアではない気もします。まあ、驚きを提供するための仕掛けとしては、機能しているのかもしれませんが。
そして二つ目の事件、茶事「雪月花之式」における金井波香の毒殺。こちらはさらに複雑怪奇であります。茶道の「雪月花之式」という、一般読者には馴染みの薄い儀式を舞台にしている点が、まずハードルを上げています。ルール説明は丁寧になされていますが、文章だけでその動きや手順を正確に把握するのは、正直なところ骨が折れます。どのタイミングで誰がどの茶碗を手にし、どう移動するのか。その複雑な手順の中に、毒を仕込む隙がどのように生まれたのか。真相は、波香自身が若生勇への殺意を持って仕掛けた毒を、藤堂正彦が巧みに利用し、逆に波香を殺害した、というものでした。つまり、計画殺人ではあるものの、ある種の偶発性も絡んでいる。トリック自体は、茶碗のすり替えや毒のタイミングなど、論理的には破綻していないのかもしれません。しかし、この儀式の煩雑さが、読者の理解を妨げ、結果的に「なるほど!」という膝を打つようなカタルシスよりも、「よく分からないけれど、そういうことらしい」という、やや消化不良な感覚を残してしまうきらいがあります。映像であれば一目瞭然なのかもしれませんが、活字でこのトリックの妙味を十全に伝えるのは、なかなかに至難の業だったのではないでしょうか。衆人環視の中での犯行という状況設定は魅力的ですが、その解決がこれほどまでに分かりにくいというのは、ミステリとして少々残念な点と言わざるを得ません。メタ的な視点で見れば、何か仕掛けができるのは沙都子か犯人くらいだろう、と推測はできますが、それでは推理の楽しみが半減してしまいます。
トリック以上に、私が本作で引っかかりを覚えたのは、登場人物たちの動機、特に犯行に至る心理描写の部分です。まず、祥子の自殺。これは、藤堂との関係、将来への不安などが絡み合い、ある程度は理解できる範疇にあります。そして、藤堂が祥子の自殺幇助(あるいは見殺し)の証拠を隠滅しようとしたことも、保身のためと考えれば、まあ、分からなくもない。しかし、彼が波香を殺害するに至る飛躍は、いささか唐突に感じられます。波香が若生を殺そうとしていることを知り、それを逆手に取って波香を排除する。確かに、波香は藤堂にとって邪魔な存在になりつつあったのかもしれません。祥子の死の真相に近づいていた可能性もあります。しかし、だからといって、即座に殺害計画を実行に移すというのは、あまりにも短絡的ではないでしょうか。彼の内面の葛藤や、波香に対する具体的な脅威などが、もう少し丁寧に描かれていれば、その行動にも説得力が増したのかもしれませんが、現状では「サイコパス」というレッテルで片付けられてしまいかねない危うさを感じます。
そして、最も不可解なのが、高校時代の恩師である南沢雅子の行動です。彼女は、藤堂が証拠隠滅のために自宅の風呂釜に隠した形状記憶合金の鍵を発見します。それにも関わらず、彼女は藤堂を庇い、その犯罪に加担するのです。その理由が、教え子への愛情なのか、あるいは何か別の感情なのか、作中では明確に描かれていません。藤堂が「卒業」という言葉に込めた意味を汲み取り、彼の「新しい門出」を汚さないため、という解釈も可能かもしれませんが、それにしても殺人(幇助)の証拠隠滅に協力するというのは、教師として、いや、一人の人間として、あまりにも倫理観を欠いた行動ではないでしょうか。彼女の心理描写が決定的に不足しているため、この行動は極めて不自然で、物語のリアリティを大きく損なっているように思えます。そもそも、藤堂が警察の捜査が入る可能性も、家主である南沢先生に見つかる可能性も高い自宅の風呂釜に、決定的な証拠を隠すという行為自体、不用心極まりない。完全犯罪を目論んでいたという割には、あまりにも脇が甘いと言わざるを得ません。警察がなぜ風呂釜を徹底的に調べなかったのか、という疑問も残ります。「雪月花之式」のトリックは緻密(?)かもしれませんが、事件全体のプロットとしては、ツッコミどころ満載と言っても過言ではないでしょう。
キャラクターに目を向けると、やはり加賀恭一郎の存在が際立ちます。後のシリーズで見せる冷静沈着さや、事件関係者の心に寄り添う温かさといった面は、まだこの時点では鳴りを潜めています。むしろ、若さゆえの直情的な部分や、やや強引な捜査手法(といっても大学生ですが)が目立ちます。しかし、鋭い観察眼や、物事の本質を見抜こうとする探求心の強さは、既にこの頃から発揮されています。沙都子に対する淡い恋心や、友人たちとの関係性に悩む姿など、等身大の青年としての側面が描かれている点は、シリーズの原点として非常に興味深い。彼がこの二つの悲劇的な事件に遭遇し、友情の脆さや人間の暗部を目の当たりにしたことが、後の刑事としての道を選ぶ上で、少なからぬ影響を与えたであろうことは想像に難くありません。一度は教職の道に進みながらも、最終的に警察官になったという経緯を考えると、この「卒業」という事件は、彼の人生における大きな転換点であったと言えるでしょう。
沙都子をはじめとする他の友人たちの描写は、やや類型的というか、個々の掘り下げが浅い印象は否めません。特に、若生と華江のカップルは、物語の進行上、やや駒のような扱われ方をしているように感じられます。藤堂や波香にしても、その内面描写は十分とは言えず、彼らの行動原理を深く理解するには至りません。学生時代の友情は、まるで陽炎のように、確かなようでいて不確かな存在だったのかもしれません。輝かしく、かけがえのない時間であると同時に、些細なきっかけで崩れ去ってしまう危うさを孕んでいる。本作は、そうした青春の光と影を、殺人事件というフィルターを通して描こうとした試みなのでしょう。しかし、その描き方が、現代の読者の感性に響くかと言われると、少々疑問符がつきます。
時代背景についても触れておかねばなりません。1986年という時代設定は、作中の随所に現れています。喫煙シーンの多さ、学生運動の影(兄弟に活動家がいると就職に響く、など)、当時の就職活動の厳しさ、男女交際の価値観など、現代とは隔世の感があります。バーに集まって語らう大学生、というのは今も昔も変わらないかもしれませんが、その会話の内容や、彼らが抱える悩みには、やはり時代の色が濃く反映されています。この時代感のズレが、現代の若い読者にとって、感情移移入を妨げる要因になる可能性は否定できません。ガジェットだけでなく、人々の価値観や社会の空気そのものが、大きく変化していることを痛感させられます。しかし、これを単なる古臭さと切り捨てるのではなく、当時の若者たちがどのような状況で生きていたのかを知る上での、一つの資料として捉えることもできるでしょう。
「卒業」は、東野圭吾氏の初期作品としての魅力と課題を併せ持った作品であると言えます。本格ミステリとしてのトリックには、独創性は認められるものの、やや強引さや分かりにくさが目立ちます。人物描写、特に動機の部分における説得力には、物足りなさを感じざるを得ません。しかし、若き日の加賀恭一郎の姿を描き、後の大人気シリーズの礎を築いたという点では、非常に重要な位置を占める作品です。また、青春時代の友情とその終焉という、普遍的なテーマを扱っている点も評価できるでしょう。事件をきっかけに、仲良しグループの関係性が変質し、それぞれが別の道を歩み始める様は、タイトルである「卒業」の意味を象徴しているかのようです。
もしあなたが、加賀恭一郎シリーズの熱心なファンであり、彼のルーツを探りたいと考えるならば、本書は必読と言えるでしょう。あるいは、東野圭吾氏の作風の変遷に興味がある方にとっても、示唆に富む一冊となるはずです。しかし、もしあなたが、完成度の高い、洗練されたミステリを求めているのであれば、正直なところ、他の東野作品から手に取ることをお勧めします。本作は、後の巨匠が、まだ何者でもなかった頃の、荒削りながらも情熱に満ちた「習作」に近い趣を持っているのですから。完璧ではない、だからこそ愛おしい、そんな風に捉えるのが、本作に対する正しい向き合い方なのかもしれません。
まとめ
東野圭吾氏の「卒業」は、後の人気シリーズの主人公、加賀恭一郎の大学時代を描いた、記念すべきデビュー第二作であります。本作は、友情、恋愛、進路に悩む大学生たちの日常が、二つの不可解な死によって非日常へと変貌していく様を描いた青春ミステリ、とでも定義できるでしょう。
本格ミステリとしての側面も強く、密室トリックや衆人環視の中での毒殺など、意欲的な仕掛けが用意されています。しかし、そのトリックにはやや強引さや分かりにくさが見受けられ、動機付けに関しても、特に南沢雅子の行動など、心理描写の不足から不自然さを感じさせる部分があるのは否めません。このあたりは、やはり初期作品ならではの粗削りさと言えるかもしれません。
それでもなお、本作が持つ意義は大きい。若き日の加賀恭一郎の人物像や、彼が刑事の道を選ぶに至るであろう原体験が描かれている点は、シリーズファンにとって見逃せない魅力でしょう。また、青春時代の終わりという、ほろ苦くも普遍的なテーマは、時代を超えて読者の心に響くものがあるはずです。完璧な作品とは言えませんが、東野圭吾という作家の原点を知る上で、そして加賀恭一郎というキャラクターの成り立ちを理解する上で、欠かすことのできない一冊であることは間違いありません。