小説「卍」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
この物語は、谷崎潤一郎が描く人間の愛と欲望の深淵を覗き込むような、一度読んだら忘れられない強烈な印象を残す作品です。一人の女性の告白によって綴られる、倒錯した四角関係の顛末は、読む者の心を強く揺さぶります。
物語の中心にいるのは、柿内園子という若き人妻です。彼女の平穏な日常は、徳光光子という名の妖しい魅力を持つ女性との出会いによって、根底から覆されていきます。二人の間に芽生えた禁断の感情は、やがてそれぞれの夫をも巻き込み、出口のない愛憎の迷宮へと彼らを誘います。
この記事では、まず物語の筋道を追い、その後に核心部分に深く踏み込んだ詳細な考察を記しています。登場人物たちの心理描写、その関係性の変遷、そして彼らを待ち受ける衝撃的な結末まで、余すところなくお伝えします。この物語がなぜ「卍」と名付けられたのか、その意味にも迫ってみたいと思います。
谷崎潤一郎が紡ぎ出した、あまりにも濃密で、あまりにも人間的なこの物語の世界に、どうぞ最後までお付き合いください。きっと、人間の情念が持つ凄まじいエネルギーに圧倒されることでしょう。
小説「卍」のあらすじ
物語は、弁護士の夫を持つ若妻、柿内園子が、一人の聞き手「先生」に過去の出来事を語って聞かせる、という形で進みます。満ち足りた生活を送っているように見える園子ですが、夫との間にはどこか精神的な渇きを感じていました。そんな彼女が気晴らしに通い始めた女子技芸学校で、運命の出会いを果たします。
その相手は、同じ学校に通う徳光光子。類まれなる美貌と、どこか人を寄せ付けない謎めいた雰囲気を持つ女性でした。園子は光子に強く惹かれ、その思いは次第に恋慕へと変わっていきます。やがて二人は、世間の目を忍ぶようにして親密な関係を結ぶようになるのです。
しかし、その禁じられた関係は、当然ながら波紋を呼びます。園子の夫・孝太郎は妻の変化に気づき、二人の仲を激しく問い詰めます。夫婦関係が急速に冷え込み、家庭が崩壊の危機に瀕する中、事態をさらに複雑にする人物が現れます。それは、光子の婚約者だと名乗る、綿貫栄次郎という男でした。
綿貫の登場により、園子、光子、そして孝太郎の関係は、まさしく卍巴のように複雑に絡み合い、もつれていきます。それぞれの愛と嫉妬、欲望と策略が渦巻く中で、彼らは予測不能な破滅の道へと突き進んでいくのです。
小説「卍」の長文感想(ネタバレあり)
ここからは、物語の核心に触れながら、私自身の深い思いを語らせていただきたく思います。もし、まだ結末を知らずに作品を楽しまれたい方は、ご注意ください。この物語は、園子という一人の女性の「告白」で成り立っています。この形式こそが、作品全体を覆う妖しい雰囲気と、一筋縄ではいかない奥行きを生み出しているのですね。
園子の語りは、実に生々しく、官能的です。彼女が使う関西弁が、その感情の起伏をより直接的に私たちの心に響かせます。しかし、私たちは彼女の言葉をすべて鵜呑みにはできません。彼女は自身の行動を正当化し、記憶を美化しているかもしれない。この「語りの信頼できなさ」こそが、読者を物語の深みへと引き込む、巧みな仕掛けだと感じます。
物語の始まりは、園子が抱える日常の倦怠と、夫・孝太郎への満たされなさでした。彼女は夫を「人づきあい悪い方」と評し、夫婦生活に喜びを見出せずにいます。この心の隙間に、徳光光子という存在が滑り込んできます。もし園子が夫との関係に満足していたら、この悲劇は起こらなかったのかもしれない、そう思うと、人間関係の些細な亀裂の恐ろしさを感じずにはいられません。
女子技芸学校での出会いは、まさに運命的でした。園子が描いた楊柳観音の絵が、知らず知らずのうちに光子の面影を宿していた、という逸話は象徴的です。それは園子の無意識の憧れが形になったものであり、二人の関係が、単なる好奇心ではなく、もっと根源的な魂のレベルで引かれ合っていたことを示唆しているように思えます。
徳光光子とは、一体何者だったのでしょうか。彼女は物語の中で、終始謎めいた存在として描かれます。蠱惑的で、奔放で、妖艶。その眼差しは情熱的で、相手の心を見透かし、巧みに操ります。彼女は「恋愛の天才家」と評されますが、その行動は常に計算高く、本心を見せません。この捉えどころのなさが、彼女を「魔性」の女たらしめているのでしょう。
園子と光子の関係は、学校での噂をきっかけに、急速に現実のものとなります。背徳的な同性愛の喜びは、園子の心を完全に捉えました。夫への不満も手伝って、彼女は光子への狂おしいほどの情熱と独占欲に身を焦がしていきます。この段階で、すでに園子の理性は、激情の波に飲み込まれ始めていたのです。
そこに登場するのが、園子の夫・孝太郎です。当初、彼は妻の異常な関係に苦悩し、怒りをぶつける常識的な人物でした。生真面目な弁護士であり、園子に言わせれば「パッションがない」男。しかし、そんな彼でさえ、光子の魔性の前では無力でした。彼は次第に光子の魅力に惹きつけられ、ついには妻と光子の倒錯した関係の渦の中へと、自ら足を踏み入れてしまいます。
そして、この物語を最も複雑怪奇なものにしているのが、第四の登場人物、綿貫栄次郎の存在です。彼は光子の婚約者(あるいは愛人)でありながら、性的不能者という大きな秘密を抱えています。その肉体的な欠陥を補うかのように、彼は非常に策略的で、言葉や契約によって他者を精神的に支配しようとします。彼こそが、この愛憎劇の裏で糸を引く、陰の主役と言えるかもしれません。
孝太郎の変貌は、この物語の中でも特に印象深い部分です。理性的で常識人であったはずの彼が、光子と関係を持ったことで、堰を切ったように情熱を爆発させます。それはある種の「解放」であったかもしれませんが、同時に完全な「堕落」の始まりでもありました。彼は光子によって愛を知り、そして光子によって破滅させられるのです。その姿は、人間の理性が、根源的な欲望の前ではいかにもろいかを物語っています。
園子、光子、孝太郎、綿貫。この四者の関係は、まさしく「卍」の形そのものです。愛と憎しみ、嫉妬と依存、支配と従属が複雑に絡み合い、解きほぐすことができない状態に陥ります。その中心に君臨し続けるのが、徳光光子です。彼女は園子と孝太郎夫妻を巧みに手玉に取り、互いに競わせることで、二人を精神的に完全に支配していくのです。
綿貫の巡らす策略も、事態を悪化させる大きな要因となります。光子の偽装妊娠を計画したり、登場人物たちの間に奇妙な誓約書を取り交わさせたりと、彼の行動は常に混乱を招きます。彼は物理的な力ではなく、情報や言葉、契約という目に見えない罠で、人々をがんじがらめにしていくのです。その執拗さには、彼の深い孤独と歪んだ欲望が透けて見えます。
この歪な四角関係を維持し、さらに登場人物たちの心身を蝕んでいったのが、睡眠薬の存在です。光子は園子と孝太郎に薬を勧め、彼らを朦朧とした状態に置くことで、支配をより強固なものにしました。薬は、耐えがたい現実からの逃避であると同時に、彼らを破滅へと導く甘い毒薬でもあったのです。
彼らが築いた閉鎖的な世界は、外部の常識や倫理観から完全に隔絶されていました。その中で、彼らだけの倒錯した論理が生まれ、育っていきます。誰が誰を愛し、誰を憎んでいるのか。その感情さえも曖昧になり、ただただ互いを求め、縛り付け合うだけの共依存関係が続いていきます。
しかし、そんな異常な関係が永遠に続くはずもありません。彼らの醜聞が新聞に暴露され、社会的な制裁を受けることで、その閉鎖された世界は脆くも崩れ去ります。これは、物理的な死に先立つ「社会的死」でした。すべての逃げ場を失った彼らは、精神的に極限まで追い詰められていきます。
そして三人が選んだ最後の道が、睡眠薬による心中でした。それは、彼らの倒錯した愛の、究極的な表現だったのかもしれません。あるいは、もう耐えられなくなった現実から逃れるための、唯一の選択肢だったのでしょう。薬によって心身ともに衰弱しきっていた彼らにとって、死はもはや恐ろしいものではなく、むしろ安らかな眠りの延長線上にあったのかもしれません。
結末は、あまりにも皮肉に満ちています。計画通りに命を落とした光子と孝太郎に対し、園子一人が生き残ってしまうのです。なぜ彼女だけが。そこに明確な理由は示されません。しかし、この「生き残ってしまった」という事実こそが、園子に与えられた最も過酷な罰であったと言えるでしょう。
物語の最後、園子は聞き手の「先生」に涙ながらに訴えます。死んだ光子のことを「憎い」と思い、「口惜しい」と感じながらも、それ以上に「恋しいて恋しいて」たまらない、と。彼女は、愛した者も、憎んだ者も、すべてを失いました。残されたのは、決して消えることのない光子への強烈な執着と、途方もない喪失感だけです。彼女はこれからも、その記憶の地獄を生き続けなければならないのです。
最後に、この物語の題名である「卍」について考えてみたいと思います。この一文字は、四人の登場人物が織りなす、解きほぐすことのできない複雑な関係性を見事に象徴しています。しかし、本来この紋様は、仏教において吉祥の印として使われる、肯定的な意味合いを持つものです。その神聖な紋様を、このような倒錯した愛憎劇の表題に据えた谷崎の意図は、実に深く、皮肉に満ちています。美や愛といった尊い価値でさえ、人間の底なしの欲望と結びついた時、いかに恐ろしい破壊の力へと転じうるか。その真理を、この題名は静かに物語っているように、私には思えるのです。
まとめ
この記事では、谷崎潤一郎の名作「卍」の物語の筋道から、その結末、そして登場人物たちの心理の深層までを詳しく解説してきました。一人の人妻・園子の告白から始まるこの物語は、男女四人が織りなす、あまりにも濃密で倒錯した愛憎の記録です。
この作品が描き出すのは、単なる恋愛のもつれではありません。それは、人間の心に潜む抗いがたい情念、独占欲、そして破滅へと向かう愛の恐ろしさです。徳光光子という魔性の女を中心に、登場人物たちが理性を失い、互いを縛り付け合いながら堕ちていく様は、読む者に強烈な印象を残します。
また、園子の関西弁による生々しい語り口は、この物語に独特のリアリティと熱を与えています。読者はまるで、園子の告白をすぐ側で聞いているかのような錯覚に陥り、彼女の感情の渦に否応なく巻き込まれていくでしょう。計算され尽くした構成と、微細な心理描写は、まさに谷崎文学の真骨頂と言えます。
もし、まだこの衝撃的な物語に触れたことがないのなら、ぜひ手に取ってみることをお勧めします。そして、すでに読んだことがある方も、もう一度読み返すことで、登場人物たちの新たな側面や、物語に隠された深い意味を発見できるに違いありません。