小説「偉大なる夢」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
江戸川乱歩といえば、明智小五郎シリーズや怪人二十面相シリーズ、あるいは『人間椅子』や『芋虫』のような独特の世界観を持つ短編が有名ですが、今回取り上げる『偉大なる夢』は、それらとは少し趣の異なる作品です。発表されたのは太平洋戦争の真っ只中、1943年から1944年にかけて。いわゆる「国策小説」として書かれた、乱歩唯一の戦時下長編なのです。
物語は、当時の日本の国策を反映した「防諜」がテーマ。ニューヨークまで5時間で飛ぶという画期的な超高速航空機の開発と、それを巡る日米のスパイ合戦が描かれます。科学者が襲われ、設計図が盗まれ、味方だと思っていた人物が実は…という、手に汗握る展開が繰り広げられます。
この記事では、そんな『偉大なる夢』の物語の核心に触れながら、その詳しい筋道をご紹介します。さらに、戦時下という特殊な状況で書かれたこの作品を、現代の視点からじっくりと読み解き、感じたことを詳しく述べていきます。乱歩作品としては異色とされる本作の魅力、そしてその背景にあるものに迫っていきたいと思います。
小説「偉大なる夢」のあらすじ
太平洋戦争が激化する中、日本の戦局を一変させる可能性を秘めた計画が、長野県の山荘で極秘裏に進められていました。それは、五十嵐博士が発明した理論に基づく、驚異的な速度を持つ超高速航空機の開発です。完成すれば、ニューヨークまでわずか5時間で到達できるという、まさに「偉大なる夢」でした。
しかし、この極秘情報はアメリカ大統領ルーズベルトの耳にも届いていました。情報源は、日本国内に潜むスパイ「F3号」。事態を重く見た陸軍は、明敏さで知られる憲兵・望月少佐を五十嵐博士の護衛につけることを決定します。
ところが、望月少佐が到着する前に事件は起こります。五十嵐博士が何者かに襲われ重傷を負い、金庫に保管されていた航空機の基本設計ノートが盗まれてしまったのです。現場に残された指紋から、東京に住むある奇妙な人物が容疑者として浮上し逮捕されますが、事件はそれだけでは終わりませんでした。
博士の息子であり、父の助手として山荘に滞在していた新一は、煙突から出てくる怪しい人影を目撃します。その後も不審な出来事は続き、新一自身も何者かによって井戸に突き落とされるなど、危険な目に遭います。そしてついに、五十嵐博士は毒殺されてしまうのでした。ホワイトハウスでは、ルーズベルトがF3号から「設計ノートを盗み、焼却した」との報告を受け、安堵していました。
やがてアメリカ軍による日本本土への空襲が始まり、新一の母が入院していた病院も爆撃を受け、彼女は命を落とします。母の死から一か月余り後、新一は望月少佐に、スパイたちのアジトを発見したと告げます。憲兵隊がアジトの地下室に突入し、会議中だった10人のスパイを捕らえますが、その中に首領の姿はありませんでした。
遅れてアジトにやってきた新一と、彼の恋人である京子の前で、望月少佐は衝撃の事実を告げます。スパイの首領「F3号」の正体は、五十嵐新一自身であり、父である五十嵐博士を殺害したのも彼だというのです。新一は、明治初期に日本に帰化したアメリカ人の血を引く、4代目のスパイだったのです。彼の母もまたスパイであり、五十嵐博士は新一が自分の子ではないことを知りつつ、母と結婚したのでした。しかし新一は、京子の祖国への献身的な姿に心を動かされ、さらに空襲で亡くなった母の「アメリカへの忠誠は終わった。お前は今日から日本人になりなさい」という遺言を受け、自ら望月にアジトの場所を密告したのでした。全てを告白し、新一は服毒自殺を図ります。死の間際、望月少佐は新一に最後の救いとなる真実を語ります。「五十嵐博士は生きている。君は父殺しなどしていなかった。そして、あの航空機は完成したのだ」と。
小説「偉大なる夢」の長文感想(ネタバレあり)
江戸川乱歩の『偉大なる夢』。この作品について語る時、まず触れなければならないのは、やはりその成立の背景でしょう。1943年から1944年にかけて雑誌『日の出』に連載されたこの小説は、太平洋戦争という未曽有の国難の中で書かれました。雑誌の予告には「防諜長編小説」「国策小説」と銘打たれ、連載開始前には憲兵、内務省、外務省、警視庁との打ち合わせまで行われたといいます。乱歩自身、戦前には『芋虫』が軍当局によって全文削除を命じられるなど、決して体制に従順な作家ではありませんでした。しかし、戦時下においては執筆活動もままならず、町内の防空郡長や大政翼賛会の支部事務長といった役職を引き受けていた時期に、この長編の執筆依頼が舞い込んだのです。
戦後、乱歩はこの作品を「戦争に協力した国策小説」として、自ら単行本化することはありませんでした。彼が自身の全集に収録されることを望まなかったという事実が、この作品の持つ特殊性を物語っています。しかし、だからといって単純に「駄作」や「黒歴史」として切り捨ててしまうのは早計でしょう。むしろ、あの時代の空気を色濃く反映した、歴史的な資料としての価値、そして乱歩がその制約の中で、いかに「探偵小説」としての体裁を保とうとしたかという点に、注目すべきだと私は思います。
物語の骨子は、超高速航空機の設計図を巡るスパイ合戦と、その過程で起こる殺人事件の謎解きです。ニューヨークまで5時間で飛ぶという航空機の設定は、まさに戦時下の「偉大なる夢」であり、当時の日本の切実な願いが込められているように感じられます。敵国アメリカのスパイが暗躍し、日本の科学者が狙われ、それを憲兵が追う、という構図は、当時の読者にとっては非常にリアリティのある、緊迫感あふれるものだったのではないでしょうか。
しかし、そこはやはり江戸川乱歩。単なる勧善懲悪のスパイ活劇には終わらせません。物語には、殺人事件の犯人は誰か、そしてスパイの首領「F3号」は誰か、というミステリ要素がしっかりと組み込まれています。「意外な犯人」というトリックが用意されている点も、乱歩らしさを感じさせる部分です。もちろん、長年の乱歩ファンであれば、主人公である五十嵐新一の挙動に、早い段階から違和感を覚えるかもしれません。彼が怪しい影を目撃したり、井戸に突き落とされたりする描写は、むしろ彼が何かを隠している、あるいは自作自演なのではないかと疑わせる要素にもなっています。
その新一のキャラクター造形は、この作品の最も興味深い点の一つです。彼は、日本の科学者である五十嵐博士の息子でありながら、実はアメリカにルーツを持つスパイであり、父を殺害した(と思い込んでいる)犯人でもあります。この二重性、三重性は、物語に深みを与えています。彼は、母から受け継いだスパイとしての使命と、恋人・京子への想い、そして日本人としてのアイデンティティとの間で揺れ動きます。特に、京子の純粋な愛国心に触れるうちに、自身のスパイ活動に疑問を抱き始める描写は、単なる悪役ではない、人間的な葛藤を感じさせます。
そして、物語のクライマックスで明かされる真実。新一がスパイの首領であり、彼が自らの罪を告白し、母の遺言に従って「日本人になる」ことを決意して自決を選ぶ、という展開は衝撃的です。しかし、さらに驚かされるのは、その後の望月少佐の言葉です。五十嵐博士は実は生きており、新一は父殺しの罪を犯してはいなかった、そして超高速航空機は完成した、と。この結末は、ある種の救いを与えると同時に、複雑な読後感を残します。新一の死は、彼の「転向」を完成させるための儀式だったのでしょうか。そして、博士の生存と航空機の完成は、戦時下の読者に対する希望のメッセージだったのかもしれません。
望月少佐の存在も重要です。彼は冷静沈着な憲兵として、事件の真相を突き止め、新一の正体を見抜きます。彼は単なる探偵役ではなく、国家の秩序を守る存在として描かれています。彼が最後に新一に真実を告げる場面は、法や任務を超えた、ある種の人間的な配慮のようにも見えますが、同時に、新一の「転向」を国家にとって都合の良い形で受け入れ、彼の死を美化する役割も担っているようにも解釈できます。
作品全体を覆うのは、やはり戦時下のイデオロギーです。日本は正義であり、アメリカは悪である、という単純な二元論が随所に見られます。「大東亜共栄圏」の理想が語られ、ルーズベルト大統領はどこか滑稽な悪役として描かれます。アメリカ軍による空襲で新一の母が亡くなる場面などは、敵国への憎悪を煽る意図が明らかでしょう。こうしたプロパガンダ的な要素は、現代の読者にとっては違和感を覚える部分であり、本作が「国策小説」と呼ばれる所以でもあります。
しかし、そうした時代的な制約の中でも、乱歩は探偵小説家としての矜持を捨ててはいなかったように思えます。スパイの正体や殺人犯を推理させる構成、意外な結末など、ミステリとしての面白さを追求しようとする姿勢は随所に見られます。怪人二十面相シリーズを、もう少し大人向けに、そして時局に合わせてアレンジしたような雰囲気も感じられます。もちろん、他の乱歩作品に見られるような猟奇性やエロティシズム、倒錯的な美学といった要素は希薄です。アクの強さという点では、物足りなさを感じる読者もいるかもしれません。乱歩自身が本作を戦後封印したのも、そうした自身の本領を発揮できなかったことへの不満もあったのかもしれません。
とはいえ、物語の展開はスピーディーで、次々と起こる事件や謎が読者を引きつけます。特に、新一がスパイのアジトを発見し、憲兵隊と共に突入する場面などは、活劇としての面白さがあります。また、新一が自らの出自と使命、そして恋心の間で苦悩する心理描写は、単純な国策小説の枠を超えた、人間ドラマとしての側面も持っています。彼が最終的に「日本人になる」ことを選ぶ過程は、当時の「転向」という社会的なテーマとも重なり、深い問いを投げかけます。
『偉大なる夢』を読むということは、単に一つのミステリ小説を読むというだけでなく、江戸川乱歩という作家が、戦争という異常な状況下で、何を考え、何を書こうとしたのか、そして何を書かざるを得なかったのか、という歴史的な文脈の中で作品と向き合うことでもあります。そこには、時代の波に翻弄されながらも、創作への情熱を失わなかった一人の作家の姿が浮かび上がってきます。
乱歩自身がこの作品をどう評価していたかは別として、現代の私たちが読む際には、その歴史的背景を理解した上で、一つの物語として楽しむことも可能だと思います。戦時下の緊迫した雰囲気、スパイたちの暗躍、そして意外な結末。乱歩作品の中では異色かもしれませんが、彼の多才さを示す一つの側面として、読んでみる価値はあるのではないでしょうか。特に、主人公・新一の抱える葛藤と、衝撃的な結末は、読者の心に強く印象を残すはずです。
近年、熊谷杯人氏によって漫画化もされているとのこと。時代を超えて、形を変えながらも読み継がれようとしている事実は、この作品が単なる「国策小説」というレッテルだけでは語り尽くせない、何らかの力を持っていることの証左なのかもしれません。戦争という重いテーマを扱いながらも、エンターテインメントとしての骨格を失っていない。それが『偉大なる夢』という作品の、一つの真実なのではないかと感じます。
まとめ
江戸川乱歩の『偉大なる夢』は、太平洋戦争中に執筆された、彼の作品群の中でも特異な位置を占める長編小説です。「国策小説」としての側面を持ちながらも、超高速航空機の開発を巡るスパイ合戦と殺人事件の謎解きという、探偵小説の枠組みの中で物語が展開されます。
物語の詳しい筋道としては、五十嵐博士が開発する画期的な航空機、それを狙うアメリカのスパイ、そして博士の息子でありながら実はスパイの首領だった新一の苦悩と裏切り、そして衝撃的な結末が描かれます。特に、新一が自らの正体を明かし、母の遺言に従って「日本人になる」ことを選び自決する場面と、その後に明かされる「五十嵐博士は生きていた」という事実は、読者に強い印象を与えます。
この作品は、戦時下という特殊な状況を色濃く反映しており、日本を賛美しアメリカを敵視するような描写も見られます。しかし、その制約の中で、乱歩はミステリとしての面白さ、特に「意外な犯人」という要素を盛り込もうと腐心しています。他の乱歩作品に見られるようなアクの強さや猟奇性は薄いものの、スパイ活劇としてのスピード感や、主人公・新一の心理描写には見るべきものがあります。
『偉大なる夢』を読むことは、単なる娯楽としてだけでなく、戦争という時代が作家に与えた影響や、その中で生み出された文学作品について考える良い機会を与えてくれます。乱歩自身が戦後、この作品の単行本化を望まなかったという事実を踏まえつつも、歴史的な文脈の中でその価値を捉え直すことができる、興味深い一作であると言えるでしょう。