小説「佳日」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。太宰治といえば、「人間失格」や「斜陽」といった、どこか暗く、人間の弱さや苦悩を描いた作品を思い浮かべる方が多いかもしれません。私も、正直に言うと、彼のいくつかの代表作には少し苦手意識を持っていました。
しかし、この「佳日」という短編は、そんな私の太宰治に対するイメージを良い意味で裏切ってくれた作品です。読んでいると、心がじんわりと温かくなるような、そんな優しい気持ちにさせてくれる物語なんです。友人の結婚のために奔走する「私」の姿を通して、当時の人々の温かさや、困難な時代の中にある確かな希望が描かれています。
この記事では、そんな「佳日」の物語の詳しい流れ、結末に触れながら、私が感じたこと、考えたことを詳しくお話ししていきたいと思います。太宰治のまた違った一面に触れることができる、素敵な作品ですので、ぜひ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
この記事を読むことで、「佳日」がどのような物語なのか、そして読後にどのような気持ちになるのか、深く知っていただけるはずです。特に、結末に関わる部分にも触れていきますので、まだ読んでいないけれど内容を詳しく知りたい、という方にもおすすめです。
小説「佳日」のあらすじ
物語は、語り手である「私」が、大学時代の友人、大隅忠太郎の結婚の世話を引き受けるところから始まります。大隅君は博識ではあるものの、それを鼻にかけるような態度をとるため、周りからは少し敬遠されがちな人物でした。大学卒業後、雑誌社に勤めるも、その性格が災いしてか思うようにいかず、新天地を求めて北京へ渡ります。
北京での生活は彼に合っていたようで、大きな会社で活躍しているとのこと。そんな彼が北京に渡って五年が経ったある日、「私」のもとに結納を頼むという電報が届きます。もともとは別の友人が世話をしていたのですが、その友人が病気になってしまったため、「私」に白羽の矢が立ったのです。
「私」は戸惑いながらも、友人である大隅君のために、結納の使者として相手方の小坂家を訪れます。小坂家は士族の家柄でしたが、それを感じさせない非常に穏やかで温かい家族でした。厳格でありながらも優しい父親と、美しい三人の姉妹。「私」は、この素晴らしい家族との縁談をまとめることができた幸運を感じます。
大隅君の花嫁となるのは、三女の正子さん。彼女の姉二人のうち、長女の夫は戦死、二女の夫は出征中という状況でした。家柄、人柄、容姿、どれをとっても申し分のない正子さんと、少し癖のある大隅君との縁談。「私」は、この縁談がうまくいくように心を尽くします。
いよいよ結婚式のために大隅君が日本に帰国します。「私」は小坂家の素晴らしさを伝えますが、大隅君は素っ気ない態度。「私」は少し不満を感じます。そして結婚式当日、見栄を張って礼服を用意しなかった大隅君が、式場に着いてから急に不安になり、「私」に礼服の手配を頼んできます。
急な申し出に困った「私」は、小坂氏に相談します。小坂氏は二女に夫の礼服を貸すように言いますが、二女は笑顔で、しかしきっぱりと断ります。出征中の夫のものを、帰る日まで大切に保管しておきたいという強い意志の表れでした。その姿に、かえって「私」は感銘を受けます。すると、長女が静かに申し出て、戦死した夫の礼服を貸してくれることになったのです。その優しさと覚悟に、「私」も、そして礼服を受け取った大隅君も、深く心を動かされるのでした。
小説「佳日」の長文感想(ネタバレあり)
太宰治の「佳日」を読み終えたとき、私の心には、まるで春の陽だまりのような、穏やかで温かい感情が満ちていました。彼の他の作品、例えば「人間失格」や「斜陽」が持つ、人間の内面の暗部や苦悩を深くえぐるような鋭さとは対照的に、この「佳日」は、人間の持つ優しさや誠実さ、そして困難な時代にあっても失われない希望の光を、そっと照らし出してくれるような作品だと感じました。
正直なところ、私は太宰治の作品に対して、どこか構えてしまう部分がありました。彼の描く破滅的な生き方や、自己憐憫にも似た感情の吐露に、共感しきれない自分がいたからです。しかし、この「佳日」は、そんな私の先入観を心地よく解きほぐしてくれました。語り手である「私」の視点を通して描かれる物語は、非常に素直で、読み手の心にすっと染み入ってくるようです。
物語の中心となるのは、語り手「私」と、その友人である大隅忠太郎の関係性です。大隅君は、博識であることを自負しているものの、それをうまく表現できず、しばしば尊大な態度をとってしまう不器用な人物として描かれています。周囲からの評判も芳しくなく、「私」自身も彼のそうした面に少なからず苛立ちを感じています。しかし、「私」は決して彼を見捨てません。むしろ、彼の本質を理解しようと努め、彼の人生の大きな節目である結婚のために、誠心誠意、力を尽くそうとします。
この「私」の姿勢には、深い共感を覚えます。友人だからといって、すべてを肯定するわけではない。欠点も理解した上で、それでも相手を思いやり、大切な場面では全力でサポートする。それは、理想的な友人関係の一つの形ではないでしょうか。太宰治自身の友人に対する誠実さが、この「私」の姿に投影されているのかもしれません。山岸外史が指摘するように、この作品は太宰自身の体験が色濃く反映されており、登場人物も実在のモデルがいるとのこと。その事実が、物語に一層のリアリティと温かみを与えているように感じられます。
物語のもう一つの軸は、大隅君の結婚相手となる小坂家の描写です。士族の家柄でありながら、それを少しも鼻にかけることなく、穏やかで慎ましい生活を送る家族。特に、三人の姉妹の姿は印象的です。長女は夫を戦争で亡くし、二女は夫が出征中。そして三女の正子さんが、大隅君と結ばれることになります。彼女たちの佇まいには、当時の日本の女性が持っていたであろう、凛とした強さと、奥ゆかしい優しさが感じられます。
結納のために「私」が小坂家を訪れる場面は、作品の中でも特に心に残るシーンの一つです。厳格な父親、そして美しく聡明な娘たち。「私」は、この家庭の持つ清らかな雰囲気に触れ、大隅君のために素晴らしい縁談をまとめることができた、という安堵と喜びを感じます。読んでいるこちらも、まるでその場に居合わせているかのような、清々しい気持ちにさせられます。
そして、物語のクライマックス、結婚式当日の礼服騒動。見栄を張って礼服を用意しなかった大隅君が、土壇場になって不安に駆られ、「私」に助けを求める場面は、彼の人間的な弱さや滑稽さがよく表れています。しかし、ここでの「私」の対応がまた素晴らしい。慌てふためく大隅君をなだめつつ、なんとかしようと奔走します。このあたりの描写は、太宰治らしい、少しコミカルでありながらも、登場人物への愛情が感じられる筆致です。
小坂氏に相談し、二女に夫の礼服を借りようとするも、彼女は笑顔で、しかし断固として拒否します。「男の人にはわからない。お帰りの日まで、どんなに親しい人にだって手をふれさせず、なんでもそのまま置かなければなりません。」この言葉には、出征した夫を待ち続ける妻の、切実で深い愛情が込められています。それは、単なる感傷ではなく、困難な状況にあっても夫への貞節を守り抜こうとする強い意志の表れです。この二女の態度は、彼女の潔さ、そして夫への深い思いやりを物語っており、胸を打たれます。
その一方で、長女が、戦死した夫の礼服を「こんな晴れの日に役立つのなら、きっとゆるしてくださるでしょう」と言って貸し出す場面。ここには、亡き夫への変わらぬ愛情とともに、目の前の困難を乗り越えようとする他者への優しさ、そして未来への希望のようなものが感じられます。二女の「守る」愛と、長女の「差し出す」愛。どちらが良い悪いではなく、それぞれの形で夫を思い、今を生きる女性たちの姿が、鮮やかに対比されています。この対比によって、物語はより一層深みを増しているように思います。
この長女の行動を受けて、大隅君が涙を流しながら笑う、という最後の場面は、非常に感動的です。彼が流した涙は、単なる安堵や感謝だけではないでしょう。小坂家の、特に姉妹の深い情愛に触れたことによる感動、そして自身の浅はかさへの反省、さらにはこれから始まる新しい生活への決意といった、様々な感情が入り混じった涙だったのではないでしょうか。彼の不器用な心の殻が、人の温かさによって溶かされていく瞬間が描かれており、読者の心にも温かいものが込み上げてきます。
「佳日」というタイトルは、昭和天皇の誕生日である4月29日を指しているとのこと。めでたい日、良き日という意味を持つこのタイトルは、作品全体の穏やかで希望に満ちた雰囲気を象徴しているかのようです。結婚という人生の晴れやかな出来事を描きながら、そこに関わる人々の心の機微や、時代背景を丁寧に織り込むことで、単なる美談にとどまらない、深みのある物語となっています。
作品が書かれたのは1944年、まさに戦争のただ中です。作中にも、長女の夫の戦死や二女の夫の出征といった形で、戦争の影が色濃く反映されています。しかし、物語の基調はあくまでも明るく、前向きです。「銃後を守る女性たちの健気な姿」という側面ももちろんありますが、それ以上に、困難な時代だからこそ際立つ、人間の優しさや誠実さ、人を思いやる心の尊さが描かれている点に、私は強く惹かれました。戦争という悲劇的な状況が、登場人物たちの美しい心根を引き立てているという側面は否定できませんが、太宰治は、それを声高に賞賛するのではなく、あくまで淡々と、しかし確かな筆致で描き出しています。
また、「私」が語る「物知り」に関する考察も興味深い点です。「博識な人は自分の知っていることの十分の一以上を発表すると、物知りぶっているとか思われてしまう」「むしろ相手に遠慮して、あるいはわかりやすく伝えるためにその知識のわずかなところしか話していないのに、その姿勢を偉そうだと非難されるのは正当な評価ではない」という指摘は、現代にも通じる人間関係の難しさを言い当てているように感じます。知識や才能を持つがゆえの誤解や孤独。大隅君の不器用さも、こうした側面から理解することができるのかもしれません。
太宰治の文体も、この作品の魅力の一つです。彼の他の作品に見られるような、自己の内面を深く掘り下げるような独白や、技巧的な表現は影を潜め、非常に平明で、流れるような美しい日本語で物語は綴られています。佐藤春夫がこの作品を読んで太宰の文才に驚嘆したというエピソードも、なるほどと頷けます。読みやすく、心地よいリズムがあり、読後には清々しい余韻が残ります。
「佳日」は、太宰治の作品の中でも、特に心が疲れているときや、優しい気持ちになりたいときに、そっと寄り添ってくれるような一編だと思います。友人への思いやり、家族の絆、困難な時代を生きる人々の強さと優しさ。現代社会で忘れられがちな、大切なものがここには描かれています。派手さはないかもしれませんが、読めば読むほど味わい深い、まさに「佳日」というタイトルにふさわしい、温かく、心に残る物語です。
まとめ
太宰治の「佳日」は、彼の他の代表作とは少し趣の異なる、心温まる短編小説です。物語は、語り手である「私」が、少々癖のある友人・大隅忠太郎の結婚の世話をする中で展開していきます。結納の使者として訪れた小坂家の温かい雰囲気や、結婚式当日の礼服を巡る騒動を通して、登場人物たちの人間味あふれる姿が描かれています。
特に印象的なのは、小坂家の姉妹の対照的な姿です。出征中の夫の礼服を貸すことを拒む二女の強い意志と、戦死した夫の礼服を晴れの日のためにと差し出す長女の深い優しさ。どちらも夫を思う気持ちの表れであり、戦争という厳しい時代背景の中で生きる女性たちの凛とした姿が胸を打ちます。この出来事を通して、不器用な大隅君の心にも変化が訪れます。
この作品は、太宰治自身の実体験が元になっていると言われており、そのリアリティが物語に温かみと深みを与えています。友人への誠実な思いやり、家族の絆、そして困難な状況にあっても失われない人の心の美しさが、平明で美しい文章で綴られています。読後には、穏やかで優しい気持ちになれる、そんな素敵な一編です。
太宰治の新たな一面に触れたい方、心が温まる物語を読みたい方には、ぜひ手に取っていただきたい作品です。きっと、あなたの心にも忘れられない「佳き日」の記憶として刻まれることでしょう。