小説「仮面山荘殺人事件」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。東野圭吾氏がまだ若かりし頃に放った、今なお語り継がれる一作。山荘という閉鎖空間、侵入者、そして殺人。どこかで聞いたような舞台設定? フフ、そう思うのは早計というものです。

この物語が単なるクローズド・サークルもので終わらないことは、読み進めればすぐに理解できるでしょう。むしろ、その定石を逆手に取った仕掛けこそが、本作の真骨頂。用意された悲劇の裏には、人間の業と計算が渦巻いています。果たして、仮面の裏に隠された真実とは何なのか。まあ、焦らずともじきに明らかになりますよ。

ここでは、物語の顛末から、その構造に対する私なりの解釈まで、余すところなくお話ししましょう。もちろん、結末を知りたくない方は、ここで引き返すのが賢明というものでしょう。ですが、真実を知る覚悟がおありなら、どうぞこの先へお進みください。少々長い語りになりますが、退屈はさせませんよ。

小説「仮面山荘殺人事件」のあらすじ

樫間高之は、結婚を目前に控えた婚約者、森崎朋美を不慮の事故で失いました。資産家令嬢であった朋美。その死から三ヶ月後、高之は亡き婚約者を偲ぶため、彼女の両親が所有する山荘での集まりに招かれます。参加者は、朋美の両親、兄、従妹、秘書、主治医、そして親友。親しい者たちだけの、静かな追悼の場となるはずでした。

しかし、その夜、山荘の静寂は破られます。逃亡中の銀行強盗二人組が侵入し、集まっていた八人を人質に取ったのです。外部との連絡は絶たれ、山荘は完全な密室と化します。強盗犯は仲間との合流を待つと言い、人質たちは絶望的な状況下で脱出の機会を窺いますが、計画はことごとく失敗に終わります。まるで、強盗以外の「誰か」が妨害しているかのように。

疑念が渦巻く中、八人のうちの一人、朋美の従妹である雪絵が無残な姿で発見されます。状況から見て、犯人は強盗ではなく、残された七人の中にいるとしか考えられません。さらに、朋美の死が本当に事故だったのかという疑惑まで浮上し、人々は互いを疑い、恐怖と不信に苛まれていきます。閉ざされた山荘で、真犯人は誰なのか。そして、この惨劇の目的とは?

緊張が極限に達したとき、事態は誰も予想しなかった方向へと転がり始めます。強盗犯の存在、雪絵の死、そして朋美の事故死の真相。絡み合った謎が解き明かされるにつれ、驚くべき真実が姿を現すのです。果たして、高之たちがたどり着く結末とは、一体どのようなものなのでしょうか。

小説「仮面山荘殺人事件」の長文感想(ネタバレあり)

さて、この「仮面山荘殺人事件」。東野圭吾氏の初期作品でありながら、その大胆な仕掛けは今読んでも色褪せませんな。クローズド・サークルに強盗犯の侵入という、二重のサスペンス。一見、お得なパックのように思えますが、まあ、話はそう単純ではありません。むしろ、この組み合わせ自体が、読者を欺くための壮大な罠なのですから。

物語は、婚約者を失った悲劇の主人公、樫間高之の視点で進みます。山荘に集う人々、突然の闖入者、そして起こるべくして起こる殺人。読者は高之と共に、この異常事態の渦中に放り込まれるわけです。誰が味方で、誰が敵なのか。強盗犯の目的は? 雪絵を殺したのは誰か? そして、朋美の死の真相は? ページをめくる手が止まらない、というのはお約束でしょう。

しかし、読み進めるうちに、妙な違和感を覚えるはずです。銀行強盗にしては、人質の扱いが甘すぎるのではないか? 監禁されている状況下で、過去の事故死について議論するなど、不自然ではないか? そう、物語の随所に散りばめられた「不自然さ」。これこそが、作者が仕掛けた巧妙なサインなのです。ですが、多くの読者は、サスペンスの定石という「思い込み」によって、そのサインを見逃してしまう。実に皮肉なものです。

そして、クライマックス。秘書・下条玲子の推理によって、朋美の父・伸彦が雪絵殺しの犯人として名指しされ、彼は湖に身を投げて自決…したかに見えました。強盗犯も立ち去る気配を見せ、事件は一応の解決を見たかのように思えます。しかし、これはまだ序章に過ぎません。死んだはずの伸彦が高之の前に現れ、事態は急転します。

ここで明かされる第一のどんでん返し。朋美のピルケースの中身を睡眠薬に入れ替えたのは、他の誰でもない、この物語の語り手である高之自身だったという事実。彼は婚約者でありながら、その従妹である雪絵に心惹かれ、邪魔になった朋美を事故に見せかけて殺そうとした。フフ、なんとも浅ましい男ではありませんか。伸彦に真相を悟られそうになり、彼を殺害しようとする高之。人間の業の深さを感じさせますね。

だが、これで終わりではありません。高之が伸彦に手をかけた瞬間、事態は再び、そして決定的に反転します。死んだはずの雪絵、自決したはずの伸彦、立ち去ったはずの強盗犯、果ては途中で現れた警察官まで、全員が高之の前に姿を現すのです。そして告げられる真実。「これはすべて芝居だった」と。

強盗も、殺人事件も、すべては高之の罪――朋美に対する殺意――を暴き、彼に自覚させるために仕組まれた壮大な「劇」だったのです。強盗犯も、警察官も、伸彦が顧問を務める劇団の役者。脚本を書いたのは、朋美の親友だった作家の阿川桂子。山荘に集った人々は皆、それぞれの役を演じ、高之ただ一人を騙し続けていた。この「仮面山荘殺人事件」というタイトル、そして章立てが「幕」で構成されていること。これらがあからさまなヒントだったわけですが、物語に没入している最中には、なかなか気づけないものでしょう。まさに、してやられた、というわけです。

この「すべてが劇だった」という結末。これをアンフェアだと憤る向きもあるでしょう。ミステリとしての伏線が作中にもっと散りばめられて然るべきだ、と。まあ、その言い分も理解できなくはありません。しかし、私はこの大胆不敵な構成を評価したい。これは、単なる犯人当てのミステリではなく、人間の心理と罪の意識を炙り出すための、計算され尽くした舞台装置なのです。

朋美は、高之がピルケースの中身をすり替えたことに気づいていました。彼が自分を殺そうとしている事実に絶望し、自ら崖に車ごと突っ込んだのです。しかも、高之を庇うために、睡眠薬を捨て、本来の鎮痛剤を入れ直して。…なんという、痛ましい自己犠牲でしょうか。法では裁けぬ高之の「殺意」を証明し、彼に罪の重さを骨身に沁みて理解させること。それが、残された者たちの復讐だったのです。

打ちのめされた高之が、最後に雪絵に言い放つ「もう幕だろ」。これは、芝居の終わりを告げると同時に、彼の人生そのものが一つの幕切れを迎えたことを意味するのでしょう。すべてを失った彼の背中に、憐憫の情を覚えるか、それとも自業自得と切り捨てるか。それは読者次第、というわけですな。

この作品の評価が分かれるのは当然でしょう。あまりに突飛な仕掛け、ご都合主義とも取れる展開。しかし、その大胆さ、既存の枠組みを破壊しようとする試みは、後の多くの作品に影響を与えたと言われています。初期作品ならではの荒削りな部分も含めて、読む価値のある一作だと断言できます。読者を手のひらで転がすような、作者の不遜な笑みが目に浮かぶようです。まるで、精巧に作られた操り人形のように、我々は物語の糸に引かれて踊らされていたのかもしれませんな。

まとめ

さて、「仮面山荘殺人事件」について語ってきましたが、いかがでしたかな? この物語は、単なる山荘ミステリの皮を被った、巧妙な心理劇と言えるでしょう。読者は語り手である高之と共に翻弄され、最後の最後に突きつけられる真実に愕然とする。その構造自体が、本作最大の魅力であり、同時に賛否を呼ぶ点でもあります。

「すべてが芝居だった」という結末は、確かに荒唐無稽に感じるかもしれません。しかし、その仕掛けによって、法では裁けない人間の「殺意」という罪を断罪しようとした試みは、非常に興味深い。登場人物たちが被っていた「仮面」が剥がれ落ちる瞬間、そしてタイトルと構成に込められた意味に気づいた時の衝撃は、忘れがたい読書体験となるはずです。

東野圭吾氏の初期の野心作として、また、どんでん返しミステリの系譜を知る上で、一度は触れてみるべき作品でしょう。まあ、好みは分かれるでしょうが、少なくとも退屈な時間を過ごすことにはならないはずです。フフ、騙される快感というものも、また一興ではありませんか。