小説「モダンタイムス」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。伊坂幸太郎さんの作品の中でも、特に現代社会とのリンクを感じさせる一冊ですよね。物語の舞台は、前作にあたる『魔王』から時を経た未来。インターネットが隅々まで浸透し、一見便利になったように見える社会の裏側で、静かに、しかし確実に進行する不穏な動きを描いています。
主人公の渡辺拓海は、どこにでもいそうなシステムエンジニア。しかし、彼の日常は、あるウェブサイトの改修作業を引き継いだことから、思いもよらない方向へと転がり始めます。特定の言葉を調べた同僚たちが次々と不幸に見舞われるのを目撃し、彼は巨大な何かの存在に気づいていくのです。恐妻家でありながら、どこか頼りない彼が、友人の作家や謎めいた協力者と共に、見えない敵に立ち向かう姿は、読む者を惹きつけます。
この記事では、そんな「モダンタイムス」の世界観、物語の詳しい流れ、そして物語の核心に触れる部分まで、深く掘り下げていきます。単なる物語紹介に留まらず、私がこの作品を読んで何を感じ、考えたのか、個人的な思いもたっぷりとお伝えできればと思います。読み応えのある内容を目指しましたので、ぜひ最後までお付き合いください。
小説「モダンタイムス」のあらすじ
物語は、システムエンジニアの渡辺拓海が、妻・佳代子に雇われた謎の男・岡本猛から、浮気を疑われ拷問を受けるという衝撃的な場面から始まります。拓海は恐妻家で、職業不詳の妻には頭が上がりません。そんな中、職場の先輩である五反田正臣が、あるサイトの仕様変更の仕事を残して突然失踪してしまいます。優秀なエンジニアだった五反田の仕事を引き継ぐことになった拓海は、後輩の大石倉之助と共に作業に取り掛かります。
プログラムを解析する中で、拓海たちは奇妙な点に気づきます。「播磨崎中学校」といった特定の言葉が、インターネット上で監視されているのではないか、という疑念です。試しにその言葉で情報を探ろうとした大石は痴漢の冤罪で逮捕され、上司の加藤課長は謎の死を遂げます。身の回りで起こる不穏な出来事に、拓海は得体の知れない恐怖を感じ始めます。このままでは自分も危ないと感じた拓海は、小学校からの友人である作家の井坂好太郎に相談を持ちかけます。
井坂や、最初は敵対していたはずの岡本も巻き込みながら、拓海は真相の解明に乗り出します。彼らが追うのは、単なる偶然の不幸ではありませんでした。それは、社会全体を覆う巨大な監視システム、そしてそのシステムを操る存在の影でした。五反田の失踪、大石の逮捕、加藤課長の死、そして岡本の家が燃やされたこと。これらの出来事はすべて、ある一点へと繋がっていたのです。
拓海たちは、やがて「安藤商会」という組織、そしてその創設者である故・安藤潤也の存在に行き着きます。岩手の山奥にある安藤の別荘地へと向かった拓海を待ち受けていたのは、安藤の妻・詩織や、予言能力を持つペンションの管理人・愛原キラリでした。そこで拓海は、50年前の『魔王』の物語とも繋がる驚愕の事実、そして自らに秘められた力と、立ち向かうべきシステムの巨大さを知ることになります。
小説「モダンタイムス」の長文感想(ネタバレあり)
伊坂幸太郎さんの「モダンタイムス」、読み終えた後の余韻が、なかなか頭から離れませんでした。これは単なるエンターテイメント小説ではなく、現代社会に生きる私たちへの、鋭い問いかけを含んだ作品だと感じています。
まず、物語の導入が鮮烈ですよね。「実家に忘れてきました。何を?勇気を。」この一文から始まる冒頭。主人公の渡辺拓海がいきなり妻に雇われた男に拷問されているという、日常とかけ離れた、しかしどこか間の抜けた状況。この掴みで、一気に物語の世界に引き込まれました。恐妻家のシステムエンジニアという設定も絶妙で、彼の頼りなさや、それでも必死に状況に対応しようとする姿に、思わず感情移入してしまいます。
物語の中核を成すのは、インターネット検索という、現代人なら誰もが行う日常的な行為が、いかに危険と隣り合わせであるか、という点です。特定の言葉を調べただけで、人生が破滅に追い込まれるかもしれない。この設定は、2007年から2008年に書かれたとは思えないほど、現代のネット社会の危うさを予見しているように感じます。SNSでの炎上や、個人情報の流出といった問題が身近になった今だからこそ、この物語の持つリアリティは、より一層重みを増しているのではないでしょうか。情報が瞬時に拡散し、見えない誰かによって監視され、コントロールされるかもしれない社会。その恐怖が、サスペンスフルな展開を通してひしひしと伝わってきます。
登場人物たちの魅力も、この作品を語る上で欠かせません。主人公の拓海はもちろん、彼の友人である作家の井坂好太郎、後輩の大石倉之助、そして敵か味方かわからない暴力業の岡本猛。彼らの会話は、シリアスな状況の中にも軽妙さがあり、読んでいて飽きさせません。特に、拓海と井坂の学生時代からの友人らしい気のおけないやり取りや、拓海と岡本の奇妙な共闘関係は、物語の良いアクセントになっています。個人的には、序盤で退場してしまう加藤課長のキャラクターも好きでした。彼の死は、物語が本格的に危険な領域へと踏み込んでいく合図であり、読者に緊張感を与えます。
そして、この「モダンタイムス」は、伊坂さんの別作品『魔王』と深く繋がっています。『魔王』から50年後の世界という設定で、当時の登場人物である安藤潤也や犬養元首相の名前が出てきます。特に、安藤潤也の存在は物語の核心に関わってきます。『魔王』の主人公・安藤(兄)が持っていた「腹話術(相手に思ったことを言わせる能力)」を、なんとこの「モダンタイムス」の主人公・渡辺拓海も持っていたことが判明するシーンは、最大のサプライズであり、最も興奮した場面の一つです。『魔王』を読んでいる読者にとっては、この繋がりはたまらないものがあるでしょう。逆に言えば、『魔王』を未読だと、この感動は半減してしまうかもしれません。もしこれから「モダンタイムス」を読む方がいれば、ぜひ『魔王』から読むことをお勧めしたいです。
物語の後半、拓海たちが岩手に向かい、安藤潤也の妻・詩織や予言能力者の愛原キラリと出会う展開は、少し雰囲気が変わって、どこか牧歌的な空気も流れます。しかし、それも束の間、岡本が拷問される映像が送られてくるところから、物語は再び加速します。失踪していた五反田が合流し、大石も加わり、システムの中枢である株式会社ゴッシュのサーバー破壊へと向かうクライマックスは、手に汗握る展開です。
ここで描かれる「システム」の恐ろしさは、特定の悪役がいるというよりも、社会全体を覆う巨大な仕組みそのものが敵である、という点にあります。「アリは賢くない。けれど、コロニーは賢い」という言葉が象徴するように、個々の人間は部品に過ぎず、システム全体が自己保存のために動き続ける。その中で、個人がいかに抗い、人間性を保つことができるのか。これが、作品全体を貫く重いテーマとなっています。
播磨崎中学校事件の真相も、物語の大きな謎として描かれます。文庫版で変更されたという真相は、国家による情報操作と、それに翻弄される人々の悲劇を描いており、非常に考えさせられるものでした。(単行本版の真相も、解説で触れられていますが、そちらは超能力者を集めた実験施設という、よりSF的な要素が強いものだったようですね。どちらが良いかは好みが分かれるかもしれませんが、文庫版の真相の方が、より現代社会の闇に通じる部分があるように感じました。)
ただ、正直に言うと、ラストの展開には少し物足りなさを感じた部分もあります。あれだけ苦労して辿り着いたゴッシュのサーバーを、結局破壊できずに終わるというのは、カタルシスとしては少し弱いかな、と。システムに立ち向かう意思を見せた五反田の方が、ある意味では主人公らしかったかもしれません。もちろん、巨大なシステムに対して個人ができることの限界を示す、という意図があったのかもしれませんが、もう少し爽快感が欲しかった、というのが本音です。最後の最後で岡本が再登場し、拓海を助けるシーンで、読後感は何とか救われた、という印象です。
また、作中で提示される「システムのために人間が道具として動く」というテーマは非常に深く、考えさせられるのですが、「播磨崎中学校の事件で英雄を仕立てあげた緒方すら部品である」という描写については、私には完全には腑に落ちなかった部分もあります。システムの構造が複雑で、誰が本当の意味で主体なのかが見えにくい。それこそがシステムの恐ろしさなのかもしれませんが、もう少し分かりやすさが欲しかった気もします。
それでも、この「モダンタイムス」という作品が持つ力は、決して小さくありません。情報化社会の功罪、監視社会の恐怖、システムと個人の対立、そして絶望的な状況の中でも失われない人間の繋がりや「勇気」。これらのテーマが、スリリングな物語の中に巧みに織り込まれています。システムはまるで巨大な蟻塚のように、個々のアリの意思とは関係なく、ただただ自己増殖していくかのようです。 その中で、私たちはどう生きるべきなのか。読み終えた後も、ずっと考えさせられる、そんな重層的な物語でした。
エンターテイメントとしての面白さと、社会に対する鋭い視点。その両方を高いレベルで両立させている点は、さすが伊坂幸太郎さんだと感じ入りました。『魔王』から続くテーマを受け継ぎつつ、より現代的な設定の中で、新たな物語を紡ぎ出した意欲作だと思います。爽快な結末とは言えないかもしれませんが、心に深く刻まれる、忘れられない一冊となりました。
まとめ
伊坂幸太郎さんの小説「モダンタイムス」は、現代社会への警鐘を鳴らす、読み応えのあるエンターテイメント作品でした。物語は、平凡なシステムエンジニアが、日常に潜むインターネットの罠から、巨大な社会システムとの対峙へと巻き込まれていく様をスリリングに描いています。
『魔王』の50年後という設定で、両作品を読むことでより深く物語世界を理解できます。特に、主人公が持つ能力の秘密や、過去の登場人物との繋がりが明らかになる場面は、シリーズファンにとって大きな魅力でしょう。個性的な登場人物たちの軽妙な会話も健在で、重いテーマを扱いながらも、読者を飽きさせません。
この物語が問いかけるのは、情報化が進み、見えないシステムによって社会がコントロールされかねない現代において、個人はどう生きるべきか、という普遍的なテーマです。結末には賛否があるかもしれませんが、読後も長く考えさせられる、深い余韻を残す作品であることは間違いありません。ぜひ手に取って、その世界を体験してみてほしいと思います。