小説「ブラザー・サン シスター・ムーン」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。恩田陸さんが描く、少しほろ苦くて、でもどこか懐かしい青春の一コマを追体験してみませんか。

物語の中心となるのは、同じ地方の高校から、偶然にも東京の同じ私立大学に進学した三人組、楡崎綾音、戸崎衛、箱崎一です。高校時代は「ザキザキトリオ」として、なんとなくつるんでいた彼ら。しかし、大学という新しい環境は、彼らの関係性にも少しずつ変化をもたらします。

本、ジャズ、映画。それぞれが夢中になるものを見つけ、ひたむきに、あるいは不器用に、大学生活という限られた時間を駆け抜けていきます。この記事では、そんな彼らの四年間を、物語の結末にも触れながら詳しくお伝えしていきます。

そして、私がこの「ブラザー・サン シスター・ムーン」を読んで何を感じ、考えたのか、ネタバレを気にせずに率直な気持ちを綴ってみました。あの頃の空気感を、一緒に味わっていただけたら嬉しいです。

小説「ブラザー・サン シスター・ムーン」のあらすじ

物語は、関東近郊の地方都市にある進学校の同級生、楡崎綾音、戸崎衛、箱崎一の三人が、東京の同じ私立大学(W大学、おそらく早稲田大学がモデルでしょう)に進学するところから始まります。高校時代、苗字に「崎」がつくことから「ザキザキトリオ」と呼ばれ、行動を共にすることもあった三人。しかし、大学では学部も異なり、それぞれの興味の対象も違うことから、次第に顔を合わせる機会は減っていきます。

文学部で日本文学を専攻する綾音は、読書に明け暮れる日々を送ります。ミステリ研究会に所属し、同じく本好きの友人アキコと語り合いながら、「小説家になりたい」という思いを心の内に秘めて、静かに、しかし確実に自分自身と向き合っていきます。彼女の大学生活は、派手さはないものの、内面的な成長を遂げる重要な時間となります。

一方、高校時代からベースの腕前で知られていた衛は、名門ジャズ研究会に入部。そこで出会った仲間たちとバンド「オズマバンド」を結成し、音楽に没頭します。プロ並みの実力を持ちながらも、彼は冷静に将来を見据え、音楽で生きていく道は選びません。大学生活を謳歌しつつも、着実に単位を取得し、大手企業への就職を決めます。綾音とは高校時代から付き合っていましたが、互いの多忙さから自然消滅してしまいます。

箱崎一は、映画研究会に所属するものの、自ら作品を作ることはなく、もっぱら鑑賞専門。飄々とした大学生活を送り、卒業後は証券会社に就職します。しかし、社会人になってから、突如として映画制作への情熱に目覚め、中年期に差し掛かる頃には、映画監督として国際的な評価を得るまでに至ります。彼の人生は、遅咲きの才能が開花する意外な展開を見せます。

物語は、三人それぞれの視点から、1980年代中頃、バブル前夜のどこか浮足立った、それでいてまだアナログな時代の空気を背景に、彼らの四年間を描き出します。大学というモラトリアム期間特有の自由さ、不確かさ、そして過ぎ去ってみればあっという間だった時間の流れが、淡々とした筆致で綴られます。

高校時代は一緒にいた三人が、大学ではそれぞれの道を進み、ほとんど交流することなく卒業していく。その少し切ない距離感と、それぞれの選択が、読者に深い余韻を残します。物語の結末では、監督となった一が、高校時代の三人で体験した不思議な出来事(空から三匹の蛇が降ってきたこと)を思い出し、それが彼の創作の原点にあるかのように示唆されます。

小説「ブラザー・サン シスター・ムーン」の長文感想(ネタバレあり)

さて、ここからは小説「ブラザー・サン シスター・ムーン」を読んで、私が感じたことや考えたことを、物語の内容に深く触れながらお話ししていきたいと思います。読み終えてまず感じたのは、言いようのない懐かしさと、少しばかりの切なさでした。

この物語は、いわゆるドラマティックな事件が起こるわけではありません。どちらかというと、「何も起こらなかった」日々の積み重ねを描いているように感じます。でも、その「何もなさ」が、妙にリアルで、自分の過ぎ去った学生時代のある部分をくすぐるような感覚がありました。

舞台は1980年代半ば。携帯電話もインターネットもない時代。待ち合わせは駅の伝言板、連絡は固定電話が主流。そんな時代背景が、物語全体に独特の空気感を与えています。情報が溢れかえっていないからこその、人との繋がり方、時間の流れ方。それがとても丁寧に描かれていて、その時代を知らない私でも、どこかノスタルジックな気持ちになりました。

主人公は三人。本に没頭する楡崎綾音、ジャズに打ち込む戸崎衛、そして映画を愛する箱崎一。彼らは同じ高校出身で、高校時代は「ザキザキトリオ」として、それなりに親しい関係でした。でも、大学に入ると、不思議なくらい疎遠になってしまう。この距離感が、この物語のひとつの核になっているように思います。

参照文章にもありましたが、「高校時代の友人というのは、気が置けないのと同時に、どこか気恥ずかしいものでもある。それぞれが背負っている郷里の風景を、互いの肩越しに見てしまうのだ。」という一文には、ハッとさせられました。新しい環境で、新しい自分になろうとするとき、過去の自分を知る存在は、少しだけ邪魔に感じてしまうのかもしれません。特に、多感な大学時代ならなおさら。

綾音のパート「あいつと私」は、特に共感する部分が多かったです。女子大生ブームに乗り切れない、ごく普通の女子学生。ひたすら本を読み、物語の世界に浸る。特別なことは何もないけれど、「小説家になりたい」という静かな情熱を内に秘めている。この「何者でもない」時間、猶予期間のような感覚は、多くの人が大学時代に経験するのではないでしょうか。恩田陸さん自身の経験が色濃く反映されているというのも頷けます。居酒屋での「いいえ、まだです」事件(おそらく、小説家になったのかと聞かれて答えた場面でしょう)のエピソードは、創作への道を歩む人のリアルな葛藤を感じさせます。

衛のパート「青い花」では、音楽に打ち込む熱量が伝わってきます。名門ジャズ研でレギュラーになるほどの実力を持ちながら、彼はプロの道を選ばない。音楽を愛しつつも、冷静に現実を見据え、就職活動もきっちりこなす。この醒めた視線は、彼の個性であり、ある種の才能とも言えるかもしれません。才能がありながらも、あっさりと別の道を選ぶ。そういう選択もあるのだと、改めて考えさせられました。恩田さん自身が音楽サークルにいた経験があるからこそ、ジャズシーンの描写にはリアリティと熱がありました。

そして、一のパート「陽のあたる場所」。彼の人生は、三人の中で最も意外な展開を見せます。大学時代は映画を作らず、鑑賞するだけ。卒業後は金融業界へ。しかし、中年になってから突如として映画監督として成功する。若い頃に何もしていなかったように見えても、心の奥底で燻っていた情熱が、時間を経て形になる。人生は何が起こるかわからない、ということを体現しているようです。衛とは対照的に、時間をかけて創作の道にたどり着く彼の姿は、また別の才能の形を示唆しているように感じました。

この三人の対比が、非常に興味深い。「才能」とは何か、「表現」とはどういうことか。若いうちから情熱を燃やし、そのまま突き進む人もいれば、冷静に別の道を選ぶ人もいる。そして、時間をかけて、回り道をして、ようやく自分の道を見つける人もいる。どれが正解というわけではなく、それぞれの生き方がある。そんなメッセージを受け取りました。

物語全体を覆うのは、「大学時代はあっという間に終わってしまう」という感覚です。「大学生というのは、あまり停車駅のない長距離列車に乗っているようなものである」という表現は、まさにその通りだと感じます。渦中にいるときは、永遠に続くかのように思える時間も、過ぎ去ってしまえば一瞬。その限られた時間の中で、何かを成し遂げられる人は少ないのかもしれません。だからこそ、この物語で描かれる「何もなかった」時間は、多くの読者にとって、どこか共感できる原風景となるのではないでしょうか。

文庫版に収録されている「糾える縄のごとく」は、三人の高校時代、「三匹の蛇」のエピソードを描いた前日譚です。これを読むと、彼らの関係性の始まりがより深く理解できます。単行本になぜ収録されなかったのか不思議ですが、このエピソードがあることで、物語全体の奥行きが増しているように感じます。タイトルの「糾える縄のごとく」は、「禍福は糾える縄の如し」ということわざを連想させ、彼らの人生が、良いことも悪いことも織り交ぜながら続いていくことを暗示しているのかもしれません。

そして、物語のタイトル『ブラザー・サン シスター・ムーン』。これは、フランコ・ゼフィレッリ監督の同名映画から取られています。作中でも三人が高校時代にこの映画を観たことが語られます。アッシジのフランチェスコを描いたこの映画が、彼らの青春にどのような影響を与えたのか、直接的には描かれていませんが、どこか清貧で理想を求めるような若者の姿と、三人の姿が重なる部分もあるのかもしれません。

読み終えて、爽快感があるわけではありません。むしろ、少しモヤモヤとした、それでいて温かい気持ちが残ります。青春の輝きだけでなく、その中にある焦りや、不器用さ、そして過ぎ去った時間への愛おしさ。そういったものが詰まった作品だと感じました。特別なドラマを求める人には物足りないかもしれませんが、学生時代という時間に思いを馳せたい人、恩田陸さんの描く繊細な心理描写や空気感を楽しみたい人には、ぜひ手に取ってみてほしい一冊です。あの頃の自分と、少しだけ再会できるような、そんな感覚を味わえるかもしれません。

まとめ

小説「ブラザー・サン シスター・ムーン」は、恩田陸さんが自身の大学時代を色濃く反映させながら描いた、1980年代半ばを舞台にした青春物語です。同じ地方の高校から東京の大学に進学した楡崎綾音、戸崎衛、箱崎一の三人が、それぞれの興味を追求しながら、不器用で、かけがえのない大学時代を過ごす様子が描かれています。

物語には、劇的な出来事や明確な結末があるわけではありません。むしろ、本、ジャズ、映画といったそれぞれの世界に没頭し、特別な「何か」があったわけではない、淡々とした日々の積み重ねが中心となっています。しかし、その「何もなさ」が、大学というモラトリアム期間のリアルな空気感を醸し出し、読者に深い共感とノスタルジーを呼び起こします。

才能との向き合い方、友人との微妙な距離感、あっという間に過ぎ去っていく時間。そういった青春期特有の感覚が、繊細な筆致で丁寧に掬い取られています。特に、文庫版に収録された前日譚「糾える縄のごとく」は、三人の関係性の原点を知る上で重要なエピソードとなっています。

読後には、爽やかさというよりも、少し切なく、それでいて温かい余韻が残ります。自分の学生時代をふと思い返したり、登場人物たちの選択に思いを巡らせたり。派手さはないけれど、心に静かに響く、そんな魅力を持った作品です。