小説「バイバイ、ブラックバード」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

この物語は、伊坂幸太郎さんならではの、どこか奇妙で、それでいて切なく、心に残る「別れ」の物語です。主人公の星野一彦は、どういうわけか5人もの女性と同時にお付き合いをしている、ちょっと困った男性。しかし、彼には抗えない事情があり、「あのバス」に乗ってどこかへ連れて行かれる運命が迫っています。その前に、彼は愛した女性たち一人ひとりに、きちんと別れを告げることを決意します。

その「お別れ行脚」に同行するのが、身長190センチ、体重は…とにかく規格外の巨体を持つ謎の女性、繭美。彼女は星野の監視役であり、その破天荒で毒舌な言動は、星野の切ない別れの旅に、奇妙な彩りを与えます。本記事では、この物語の結末にも触れながら、その魅力や登場人物たちのこと、そして私が感じたことを詳しくお伝えしていきます。

小説「バイバイ、ブラックバード」のあらすじ

物語の中心人物は、星野一彦。彼は特別な魅力があるわけではないのに、なぜか5人の女性と同時に交際しています。しかし、彼には「あのバス」と呼ばれる存在に連れ去られる運命が待っていました。その期日が迫る中、星野は自らの状況を清算するため、そしてけじめをつけるため、5人の恋人たちに別れを告げる旅に出ることを決意します。

その旅には、繭美という非常に大柄で風変わりな女性が同行します。彼女は組織から派遣された星野の監視役であり、常に黒いスーツを身にまとっています。繭美は非常に口が悪く、常識にとらわれない行動で星野や彼の恋人たちを翻弄しますが、時折、核心を突くような言葉を口にすることもあります。星野は、この奇妙な監視役に見守られ(あるいは見張られ)ながら、一人、また一人と恋人の元を訪れます。

星野が訪れる恋人たちは、個性豊かです。普通の会社員の廣瀬あかり、シングルマザーの霜月りさ子、実は泥棒という裏の顔を持つ如月ユミ、病気の疑いを抱える神田那美子、そして売れっ子女優の有須睦子。星野はそれぞれの女性との思い出を胸に、繭美とともに別れを切り出していきます。別れの理由は「繭美と一緒になる」という嘘。それぞれの女性は驚き、悲しみ、あるいは呆れながらも、最終的には星野との別れを受け入れていきます。

旅が進むにつれて、星野と繭美の間には、単なる監視する側とされる側というだけではない、不思議な絆のようなものが芽生え始めます。そして、ついに「あのバス」がやってくる日。星野は、これまで出会った女性たちに迷惑はかけられないと、一人で運命を受け入れようとします。しかし、最後の最後で、星野は繭美にある賭けを提案します。それは、繭美が持つ、多くの言葉が塗りつぶされた辞書に関するものでした。果たして、星野の運命は?そして、繭美が取った行動とは…?物語は、切なくもどこか温かい結末へと向かっていきます。

小説「バイバイ、ブラックバード」の長文感想(ネタバレあり)

伊坂幸太郎さんの作品を読むたびに、その独特の世界観と巧みな物語の運び方に引き込まれます。「バイバイ、ブラックバード」もまた、一度読み始めたら止まらなくなる、そんな魅力に満ちた一作でした。この物語は、太宰治の未完の遺作「グッド・バイ」を原案としているそうですが、伊坂さんならではの味付けが施され、まったく新しい物語として昇華されていると感じます。

まず、何と言っても強烈な印象を残すのが、主人公・星野一彦と、その監視役である繭美のコンビです。星野は、5股をかけているという、字面だけ見ればとんでもない男性なのですが、物語を読み進めるうちに、彼が決して計算高いプレイボーイではないことが分かってきます。むしろ、優柔不断で、流されやすく、困っている人を見ると放っておけないような、ある種の「人の好さ」が、結果的に複数の女性を引きつけてしまったのではないかと思えてきます。彼が背負うことになった「あのバス」に乗る運命。その具体的な内容は最後まで明かされませんが、それが抗いがたい「死」や「消失」を暗示していることは想像に難くありません。その運命を前に、彼は逃げるのではなく、愛した女性たち一人ひとりに、誠実に別れを告げようとします。その姿は、滑稽でありながらも、切実で、どこか応援したくなるような気持ちにさせられました。

対照的に、繭美はまさに規格外の存在です。身長190センチ、体重は「関取並み」と表現されるほどの巨体。ブロンドの髪(おそらく染めているのでしょうが)に黒いスーツという異様な出で立ち。そして、何よりもその言動が破天荒です。毒舌、暴力、非常識。彼女の辞書には「遠慮」や「常識」といった言葉は存在しないかのようです。実際に、彼女は持ち歩いている分厚い辞書の「常識」などの単語を黒く塗りつぶして見せたりもします。最初は、この繭美というキャラクターの突飛さに戸惑い、星野に対してあまりにも理不尽な態度をとる彼女に反発を覚える読者もいるかもしれません。しかし、物語が進むにつれて、彼女の存在が、この「別れの旅」において、なくてはならないスパイスになっていることに気づかされます。彼女の存在感は、まるで静かな湖面に突如投げ込まれた巨大な岩のようで、波紋を広げ、物語に予測不能な動きと、奇妙な温かみを与えているのです。

太宰治の「グッド・バイ」では、主人公の田島が、やはり複数の愛人と別れるために、絶世の美女であるキヌ子を雇い、妻だと偽って連れ回します。「バイバイ、ブラックバード」はこの設定を反転させ、主人公の星野は優しく流されやすいタイプ、そして連れ歩く繭美は美女とは程遠い(失礼!)異形の女性として描かれています。この対比が非常に面白い。太宰作品の田島は、もっと利己的で計算高い印象ですが、星野はどこまでも受け身で、運命に翻弄されているように見えます。繭美も、キヌ子のように雇われたわけではなく、「組織」の命令で星野を監視しているという設定。この設定の違いが、物語のトーンを大きく変えています。「グッド・バイ」がどこか乾いた、皮肉めいた空気を持っているのに対し、「バイバイ、ブラックバード」は、奇妙な設定の中にも、切なさや優しさ、そして人と人との間に生まれる不思議な繋がりを描き出そうとしているように感じられます。

物語は、星野が5人の恋人たちに別れを告げていく、いわばロードムービーのような形式で進みます。それぞれの章で、異なるタイプの女性との別れが描かれます。

最初の恋人、廣瀬あかり。彼女との出会いのエピソードや、「紅葉狩り」という言葉の是非についての会話など、日常的でありながらも、二人の関係性を感じさせる描写が印象的です。星野は、繭美が提案した無茶な賭け(ラーメン大食い)に挑み、あと一歩のところで、隣で苦しむ他人を助けるために失敗してしまいます。この行動に、星野の人の好さ、悪く言えばお人好しさが端的に表れています。あかりは、そんな星野の「どうしようもなさ」を理解し、別れを受け入れます。去り際に星野が「いつかこの子と、紅葉狩りに行ければいいのにな」と思ったけれど叶わなかった、と回想するシーンは、言いようのない寂寥感を誘います。

二人目の霜月りさ子は、しっかり者のシングルマザー。息子・海斗との関係性も含めて、彼女の現実的な生活ぶりが描かれます。星野が、サンタクロースに扮した(させられた?)繭美を通じてクリスマスプレゼントを渡すエピソードは、少し歪んでいながらも、星野なりの優しさの表現であり、心温まる場面です。彼女との別れの場面では、星野の罪悪感や、りさ子の気丈さが描かれます。

三人目の如月ユミは、これまでの二人とは毛色が違い、なんと泥棒でした。あっさりと別れを受け入れる彼女の態度に拍子抜けする星野ですが、その裏には彼女自身の秘密があったわけです。夜の闇に消えていくユミの後ろ姿を見送る場面は、どこか幻想的ですらあります。この章では、繭美の「人間の最大の娯楽は、他人に精神的なダメージを与えることなんだよ」というドキリとするようなセリフも登場します。彼女自身の過去に何かがあったのか、それとも単なる人間観察の結果なのか、考えさせられます。

四人目の神田那美子は、病気の疑いを抱えています。自分のことよりも彼女の検査結果を心配し、無茶な方法で結果を知ろうとする星野。彼の行動は空回りしますが、那美子への深い想いが伝わってきます。那美子が待合室で持っていた整理番号「115」が、星野の名前「カズヒコ」とも読める、という細やかな描写は、伊坂さんらしい遊び心であり、二人の間の見えない繋がりを示唆しているようで、切なくなります。この章で、星野が繭美の悪態を「蟻の大群が蛙に襲い掛かる」ような、生存本能に近いものだと捉えようとする描写がありますが、これは星野が繭美という存在を、理解はできなくても、受け入れ始めている兆候なのかもしれません。

そして最後の恋人、有須睦子は売れっ子女優。多忙な彼女との時間は限られており、星野は撮影現場にまで押しかけます。ここで語られる、睦子が女優を目指すきっかけとなった「パンになりたい」と言った幼稚園児の話。そして、その幼稚園児が実は幼い頃の星野自身だったことが明かされる場面は、本作屈指の感動的なシーンでしょう。星野の子供の頃の純粋な夢と、それを覚えていてくれた睦子の涙。二人の間には、単なる恋人というだけではない、もっと深い、運命的な繋がりがあったのかもしれません。また、この章では、繭美がひょんなことから映画にエキストラ出演し、彼女自身のささやかな夢(?)が叶うという、思わぬ展開もあります。

これらの5つの別れのエピソードは、それぞれ独立しているようでいて、星野一彦という人物像を多角的に描き出し、また、彼と繭美の関係性の変化を緩やかに示唆しています。最初はただただ傍若無人な監視役だった繭美が、星野の優しさや不器用さに触れるうちに、あるいは星野が彼女の孤独や不器用さ(?)に気づくうちに、単なる監視対象としてではない感情を抱き始める様子が、言葉少なながらも伝わってきます。特に、繭美が星野と別れる女性たちに対して、形式的に「あのさ、お前にも同情はするんだよ」と言いながらも、その口調や態度に微妙な変化が見られるような気がするのは、私の深読みでしょうか。

物語の核心に迫る「あのバス」の正体。これは最後まで明確には語られません。借金のカタに臓器売買組織に連れて行かれる、という現実的な解釈もできなくはないですが、物語全体のファンタジックな雰囲気を考えると、もっと超常的な、「死」や「運命」そのものを象徴していると考えるのが自然かもしれません。繭美たちは、その運命の執行人、あるいは死神のような存在なのでしょうか。繭美自身はそれを否定しますが、彼女たちの組織や目的は謎に包まれたままです。この「分からなさ」が、かえって物語に深みを与えているようにも思います。すべてが明らかにならないからこそ、読者は想像力を掻き立てられ、様々な解釈を楽しむことができるのです。

そして、クライマックス。ついに「あのバス」に乗る時が来た星野。彼は、5人の恋人たちに助けを求めることもできたかもしれないのに、彼女たちを巻き込むことを良しとせず、一人で運命を受け入れようとします。その潔さ、あるいは諦念。しかし、彼は最後の悪あがきのように、繭美に賭けを持ちかけます。「もしも辞書に『人助け』や『助ける』という単語が残っていたら、バスを追いかけて僕を助けてくれ」。これは、ほとんど勝ち目のない賭けです。繭美はこれまで、都合の悪い言葉を徹底的に辞書から消してきたのですから。

バスが走り去り、繭美が辞書を開く場面。やはり、「助ける」も「救う」も、関連する言葉は見当たりません。賭けには負けた。しかし、繭美は諦めなかった。たまたま通りかかった大学生のバイクを半ば強引に借り受け、「もし10回ペダルを蹴ってエンジンがかからなかったら星野を見捨てる」と、新たな「賭け」を自分自身に課します。そして、必死にペダルを蹴り続ける。エンジンがかかるかどうかは描かれずに物語は終わりますが、私は、きっとエンジンはかかったのだと、そして繭美はバスを追いかけたのだと信じたい気持ちになります。あれほど他人のことなど歯牙にもかけないように見えた繭美が、最後の最後に見せた人間的な、あまりにも人間的な行動。それは、星野との短い旅の中で、彼女の中に確かに生まれた「何か」の証しなのではないでしょうか。常識も、組織のルールも超えて、ただ一人の人間を助けたいと願う衝動。それは、塗りつぶされた辞書の言葉とは関係なく、彼女自身の心から湧き上がってきたものだと感じられます。

作品タイトル「バイバイ、ブラックバード」の意味についても、様々な解釈ができそうです。参考資料にもあったように、①ジャズの名曲とかけて「不幸な状況(ブラックバード)との別れ」、②渡り鳥(ブラックバード)のように去っていく星野、③スラングとしての「こっそり帰る人」という意味合いから「日常からの星野の静かな消失」。どれも一理あるように思えます。個人的には、②の「渡り鳥のように去っていく星野」という解釈がしっくりきますが、同時に、星野にとっての「ブラックバード」は、彼を縛る運命や、あるいは彼自身の優柔不断さのようなものだったのかもしれず、それらに別れを告げる物語、という意味合いも含まれているのかもしれません。また、もしかしたら、「ブラックバード」は、黒いスーツを着た繭美自身のことを指しているのかもしれない、とも考えられます。星野がバスに乗って去ることで、繭美との奇妙な関係にも終わりが来る。「バイバイ、ブラックバード(=繭美)」という、星野からの(あるいは読者からの)別れの言葉、という解釈も成り立つのではないでしょうか。

伊坂作品にしばしば見られる、軽妙洒脱な会話、魅力的な(そして少し風変わりな)登場人物たち、張り巡らされた伏線と鮮やかな回収(この作品では、物語の本筋に直接関わらない小さな伏線が多いですが、それもまた楽しいです)、そして、どこか切なくて温かい読後感。これら「伊坂幸太郎らしさ」は、本作でも健在です。特に、星野と繭美の間の、まるで夫婦漫才のような、それでいて緊張感も漂う会話は、物語の大きな魅力の一つです。

心に残ったセリフもたくさんありました。例えば、霜月りさ子の「わたしね、あんまり人生に期待していないんですよ。毎日、真面目に生きていても、そんなにいいことってないですし、大変なことはあるけど。」という言葉。これは、諦めとは違う、現実を受け入れた上での静かな強さを感じさせます。また、繭美の「人間ってのはな、死ぬ直前まで、自分が死ぬことなんて受け入れられねぇんだよ」という言葉も、乱暴な口調ながら、真実を突いているように思います。私たちは皆、いつか来る終わりから目をそらしながら生きているのかもしれません。

この物語は、派手なアクションや劇的な事件が起こるわけではありません。一人の男が、風変わりな女性とともに、かつての恋人たちに別れを告げて回る。ただそれだけの話、と言ってしまえばそれまでかもしれません。しかし、その淡々とした旅路の中に、人生のやるせなさ、人の心の温かさ、そして別れの中に宿るほのかな希望のようなものが、丁寧に、そして深く描かれていると感じました。読み終えた後、星野の行く末や繭美のその後を想像せずにはいられません。彼らの物語は、私たちの心の中で、静かに続いていくのかもしれません。

「バイバイ、ブラックバード」は、伊坂幸太郎ファンはもちろん、少し変わった設定の物語や、切ないけれど温かい気持ちになれる物語を読みたい人におすすめしたい一作です。読後、きっとあなたの心にも、星野と繭美の姿が、そしてブラックバードの歌声が、静かに響き続けることでしょう。

まとめ

小説「バイバイ、ブラックバード」は、5人の女性と付き合う男性・星野一彦が、謎の組織から派遣された大柄な女性・繭美に見張られながら、恋人たちに別れを告げていく物語です。星野には「あのバス」に乗せられてどこかへ連れて行かれる運命が迫っており、その前にけじめをつけようとします。

物語は、星野と繭美が各恋人の元を訪れるエピソードが連作短編のように綴られていきます。個性的な恋人たちとの別れの場面は、時にコミカルで、時に切なく、星野の人の好さや繭美の破天荒さが際立ちます。読み進めるうちに、最初は反発しあっていた星野と繭美の間に、奇妙な絆が芽生えていく様子も描かれます。

太宰治の「グッド・バイ」を原案としながらも、伊坂幸太郎さんらしい軽妙な会話、独特なキャラクター設定、そして人生の哀歓や人と人との繋がりを描く温かい視点によって、全く新しい魅力を持つ作品となっています。「あのバス」や繭美の組織の謎は残されたままですが、それがかえって物語に深みを与え、読後に様々な余韻を残します。最後の繭美の行動は、希望を感じさせる印象的な結びとなっています。