小説「ネコソギラジカル(中)赤き征裁vs橙なる種」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。西尾維新先生が紡ぎ出す戯言シリーズのクライマックス三部作、その中巻にあたる本作は、物語が加速度的に破滅へと突き進む、まさに息もつかせぬ展開の連続でございます。
前作「ネコソギラジカル(上)十三階段」で提示された世界の危機、そして主人公「ぼく」こといーちゃんを取り巻く不穏な状況は、この「ネコソギラジカル(中)赤き征裁vs橙なる種」で一気に臨界点へと達します。あまりにも多くの血が流れ、多くのものが失われていく様は、読んでいて胸が締め付けられる思いがいたします。しかし、その絶望的な状況の中だからこそ見えてくる、登場人物たちの剥き出しの魂の叫び、あるいは静かな決意に、心が揺さぶられずにはいられません。
この記事では、そんな「ネコソギラジカル(中)赤き征裁vs橙なる種」の物語の核心に触れながら、その衝撃的な出来事の数々を振り返り、そしてそこから感じ取ったこと、考えさせられたことを、できる限り丁寧にお伝えしていきたいと考えております。いーちゃんが、そして彼を取り巻く人々が直面する過酷な運命の先に何が待つのか、一緒に見届けていきましょう。
戯言シリーズを追いかけてきた方にとっては、これまでの物語で積み重ねられてきた多くの要素が、怒涛のように絡み合い、そして破綻していく様に圧倒されることでしょう。初めてこのシリーズに触れる方には、少々刺激が強いかもしれませんが、西尾維新先生の描く世界の深淵を垣間見る、強烈な体験となるはずです。それでは、心して読み進めていただければ幸いです。
小説「ネコソギラジカル(中)赤き征裁vs橙なる種」のあらすじ
物語は、「狐面の男」西東天が、「ぼく」を明確に敵として認識したという衝撃的な事実から始まります。世界の終焉すら目論む西東天と、彼が率いる組織「十三階段」の脅威は、「ぼく」を否応なく戦いの渦中へと引きずり込みます。その矢先、「ぼく」の前に、死んだはずの旧友、想影真心が姿を現します。彼女は《人類最終》「橙なる種」という恐るべき力を持つ存在として西東天と共にあり、「ぼく」にとって事態はより一層複雑なものとなっていきました。
最初の激突の舞台は、澄百合学園跡の第二体育館。ここで想影真心は、その圧倒的な力を見せつけます。名うての殺し屋である匂宮出夢を一瞬で葬り去り、その場は戦慄に包まれます。そして、副題にもなっている「赤き征裁」哀川潤と「橙なる種」想影真心が対峙することになります。哀川潤には石凪萌太と闇口崩子が加勢しますが、「人類最強」と謳われる哀川潤でさえも、想影真心の前に敗北を喫し、仲間たちも次々と倒れていくという、シリーズのファンにとっては信じがたい光景が繰り広げられます。
哀川潤は生死不明となり、石凪萌太は壮絶な最期を遂げ、その光景を目の当たりにした闇口崩子は戦意を喪失してしまいます。この絶望的な戦いの後、想影真心は突如として「十三階段」から離反し、「ぼく」のもとへ身を寄せるという不可解な行動に出ます。一方で、西東天もまた、「ぼく」との対立を放棄すると宣言。しかし、その言葉とは裏腹に、脅威が去ったわけではありませんでした。
「ぼく」は、西東天の配下組織「十三階段」のメンバーを、戦闘ではなく対話によって無力化していくという、彼らしい戦術を試みます。意外にも西東天自身がこの「ぼく」の説得工作を助けるかのような動きを見せ、十三階段の医師、絵本園樹を味方に引き入れることにも成功します。しかし、平和的な解決への道筋が見えたかに思えたのも束の間、十三階段のメンバーである澪標高海と澪標深空の姉妹が「ぼく」を奇襲します。
絶体絶命の窮地に陥った「ぼく」を救ったのは、予期せぬ人物、零崎人識の登場でした。彼の助太刀により澪標姉妹の脅威は退けられますが、この巻を通して、敵味方を問わず多くの登場人物が命を落としていく悲劇的な展開は止まりません。物語は容赦なく進行し、喪失感が積み重なっていきます。
そして、この混沌とした状況の中で、「ぼく」は玖渚友に対してプロポーズという、極めて個人的で重大な決断をします。しかし、その束の間の希望も、玖渚友が深刻な病に侵されており、余命幾ばくもないという残酷な事実によって打ち砕かれます。「ぼく」にとって、世界の危機にも匹敵する、あるいはそれ以上の個人的な悲劇が訪れ、物語は最終巻に向けて、より一層暗く、切実な様相を呈していくのでした。
小説「ネコソギラジカル(中)赤き征裁vs橙なる種」の長文感想(ネタバレあり)
「ネコソギラジカル(中)赤き征裁vs橙なる種」は、戯言シリーズが持つ魅力と残酷さが、まさに凝縮された一冊と言えるでしょう。物語の序盤から、読者は西東天という底知れない悪意と、「ぼく」こといーちゃんの絶望的な対峙を突きつけられます。西東天が「ぼく」を敵と定めた、その一言が持つ重み。それは世界の終わりすら予感させるほどで、いーちゃんが否応なく巨大な運命の歯車に組み込まれてしまったことを痛感させられます。
そこに現れるのが、死んだはずの親友、想影真心。彼女が《人類最終》「橙なる種」という、途方もない肩書きと能力を携えての再登場は、衝撃という言葉では言い表せません。かつての友が、世界の危機を招く者と共にあるという状況は、いーちゃんにとってどれほどの精神的負荷となったことでしょう。西東天という絶対的な「悪」と、想影真心という個人的な「裏切り」。この二重の絶望が、物語のトーンを決定づけているように感じます。「橙なる種」という呼称と、副題の「赤き征裁」。この対比からして、既に避けられない激突が運命づけられていたかのようです。
そして、澄百合学園跡での惨劇。想影真心が匂宮出夢を、まるで赤子の手をひねるように葬り去る場面は、彼女の強さがいかに規格外であるかを読者に強烈に印象付けました。匂宮出夢といえば、あの「殺し名」の一角。彼が何の抵抗もできずに散っていく様は、これまでの戯言シリーズで描かれてきたパワーバランスを根底から覆すものでした。妹の名を呼びながら絶命するという、あまりにも人間的な最期が、この戦いの非情さを一層際立たせています。
続く、「赤き征裁」哀川潤と「橙なる種」想影真心の激突。これこそが、この中巻における最初のクライマックスと言えるでしょう。哀川潤は、シリーズを通して「人類最強」の看板を背負い、数々の危機を突破してきた、まさに切り札的存在でした。その彼女が、石凪萌太、闇口崩子という頼れる仲間と共にありながら、想影真心の前に為す術もなく敗れ去る。この展開は、多くの読者にとって信じがたいものだったのではないでしょうか。最強の敗北は、物語世界における「絶対」という概念の揺らぎを意味し、読者の安心感を根こそぎ奪い去ります。
石凪萌太の死もまた、強烈な印象を残しました。彼の「鮮烈な最期」は、闇口濡衣が関与し、そして闇口崩子の目の前で起こるという、あまりにも残酷なシチュエーションでした。この出来事が闇口崩子の心を砕き、彼女を戦闘不能に陥らせてしまうのも無理からぬことです。大切な人の死を目の当たりにすることの衝撃、そしてそれがもたらす無力感。西尾維新先生は、そうした感情の機微を容赦なく描き出します。この巻が「悲劇的な10月」と称されるのも、これらの出来事の積み重ねによるものでしょう。
しかし、この凄惨な戦いの後、想影真心が見せる行動は実に不可解です。あれほどの破壊を尽くしながら、西東天と袂を分かち、「ぼく」の側に付く。彼女の真意はどこにあるのか。それは計算された策略なのか、それとも「ぼく」との過去の絆――元ルームメイトであったという事実――が、彼女の中で何らかの変化を引き起こしたのでしょうか。彼女の存在は、物語の行方を左右する最大の不確定要素として、読者を翻弄します。
事態はさらに奇妙な方向へと進みます。西東天が「ぼく」との対立を放棄すると宣言するのです。しかし、その言葉を鵜呑みにできるはずもありません。彼の真意は依然として謎に包まれたままであり、その宣言自体が何らかの罠である可能性すら感じさせます。「全然手が引かれてなかったのがそれっぽい」という記述は、まさにその疑念を裏付けるものでしょう。一方で、「ぼく」は「十三階段」を武力ではなく「対話」によって解体しようと試みます。「戯言遣い」としてのいーちゃんの真骨頂が発揮される場面ですが、驚くべきことに、西東天自身がこのいーちゃんの行動を後押しするかのような動きを見せるのです。
西東天の行動は、一貫して理解を超えています。「ぼく」を敵と定めながら、その「ぼく」の組織解体を助ける。彼の目的は一体何なのか。単に世界の終わりを見たいという破滅願望だけでは説明がつかない、複雑な思惑が隠されているように思えてなりません。絵本園樹が「ぼく」の説得に応じて仲間になる展開は、一筋の光明のようにも見えましたが、それすらも西東天の掌の上であるかのような不気味さが漂います。「十三階段」のメンバー加入条件が「眼鏡をかけていること」だったという、どこか間の抜けたような情報も、この組織の歪な本質を暗示しているのかもしれません。
西東天の撤退宣言も束の間、澪標姉妹による「ぼく」への奇襲は、やはり事態が好転などしていないことを明確に示します。西東天の言葉が、組織の末端まで浸透していないのか、あるいは姉妹が独自の判断で動いているのか。いずれにせよ、「ぼく」が常に危険と隣り合わせである状況に変わりはありません。この絶体絶命のピンチに颯爽と現れ、「ぼく」を救うのが零崎人識であるという展開は、実に劇的です。「殺し名」であり、敵とも味方ともつかない彼が、なぜかいつも絶妙のタイミングでいーちゃんの前に現れる。「零崎といーちゃんは相性が良いのか悪いのか、やっぱり似てるな」という言葉は、二人の奇妙な関係性を的確に表していると言えるでしょう。
この巻を通して、あまりにも多くのキャラクターが死んでいきます。匂宮出夢、石凪萌太といった、これまで物語を彩ってきた面々があっけなく散っていく様は、読者に深い喪失感を与えます。「零崎一賊が全滅した件」というさらりとした言及も、世界の広範囲で破壊と殺戮が進行していることを示唆しており、物語のスケールと悲壮感を増幅させています。これらの死は、単なる退場ではなく、生き残った者たちに癒えない傷と、行動の変化を促す転換点として機能しているのです。
そして、物語は最も個人的で、最も残酷な悲劇へと収束していきます。「ぼく」から玖渚友へのプロポーズ。混沌と絶望が渦巻く世界の中で、それでも未来を、繋がりを求めようとするいーちゃんの純粋な想いが込められた行動でした。しかし、その僅かな希望すらも、玖渚友が不治の病に侵され、余命宣告を受けるという、あまりにも無慈悲な現実によって打ち砕かれます。「上手くいかない予感」という不吉なフレーズが、これほど的確に現実のものとなる展開があるでしょうか。
世界の終わりという壮大な危機と並行して語られる、愛する人の死という個人的な世界の終わり。「ぼく」にとって、どちらがより深刻な問題であるかは明白でしょう。西東天が画策する世界の崩壊よりも、玖渚友の命の灯火が消えようとしていることの方が、彼にとってはるかに切実で、耐え難い苦痛であるはずです。この個人的な悲劇は、最終巻におけるいーちゃんの行動原理を大きく左右することになるに違いありません。
「赤き征裁 vs 橙なる種」という副題が示す、哀川潤と想影真心の対決。それは、単なる力の衝突ではなく、既存の「最強」という概念と、新たに出現した「最終」という概念のぶつかり合いでもありました。真心の勝利は、戯言シリーズの世界におけるパワーバランスの劇的な変化を意味し、「人類最強」の時代が終わりを告げ、「人類最終」が新たな秩序を、あるいは混沌をもたらす可能性を示唆しています。しかし、物語は哀川潤の完全な退場を許しません。彼女の復活と再戦を予感させる描写は、最終巻への大きな期待へと繋がります。
「ネコソギラジカル(中)赤き征裁vs橙なる種」は、まさに破滅へのプレリュードです。多くのキャラクターが倒れ、多くの謎が深まり、そして主人公は個人的な絶望の淵に立たされる。しかし、その暗闇の中で、それでもなお「ぼく」がどのような「戯言」を語り、どのような決断を下すのか。それを見届けずにはいられない、強烈な引力を持った一冊でした。この息詰まるような展開の先に待つフィナーレが、どのような形で我々の前に現れるのか、今はただ静かに待つしかありません。
まとめ
小説「ネコソギラジカル(中)赤き征裁vs橙なる種」は、戯言シリーズの最終章三部作のまさに中核を成し、物語を破滅的なクライマックスへと押し上げる、極めて重要な一冊であったと言えるでしょう。この巻では、息つく暇もないほどの衝撃的な出来事が連続し、読者を翻弄し続けました。
「赤き征裁」哀川潤と「橙なる種」想影真心という、二つの強大な力の激突は、物語世界のパワーバランスを根底から揺るがしました。特に、これまで無敵を誇ってきた哀川潤の敗北は、多くの読者に衝撃を与えたはずです。そして、主人公「ぼく」の周辺では、親友の裏切り、仲間たちの死、そして最も大切な人である玖渚友の余命宣告という、個人的な悲劇が立て続けに襲いかかります。
西東天の真の目的、想影真心の不可解な行動、「ぼく」による十三階段の解体工作の行方など、多くの謎が提示され、深まる一方で、物語は容赦なく多くのキャラクターの死を描き出します。そのあまりの過酷さに、ページをめくる手が何度も止まりそうになりました。しかし、それこそが西尾維新先生の描く世界のリアリティであり、登場人物たちが直面する絶望の深さなのだと感じます。
この「ネコソギラジカル(中)赤き征裁vs橙なる種」は、最終巻「ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言遣い」への期待を極限まで高める、まさに嵐の前の静けさならぬ、嵐そのもののような一冊でした。多くの伏線が張られ、多くのものが失われた今、「ぼく」がいかなる決断を下し、物語がどのような結末を迎えるのか、固唾を飲んで見守りたいと思います。