小説「ネコソギラジカル(上)十三階段」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。西尾維新さんの代表作「戯言シリーズ」が、いよいよ最終章「ネコソギラジカル」として幕を開けましたね。本作「ネコソギラジカル(上)十三階段」は、その三部作の第一巻にあたり、シリーズ全体では第六作目となります。「全ての終わりは――まだ始まったばかりだ」という、なんとも逆説的なキャッチコピーが、この壮大な物語の始まりを告げているかのようです。

この物語は、終わりという概念そのものを問い直すような、複雑で深遠なテーマを内包しているように感じられます。単なる解決や終息ではなく、ある種の変容、あるいは最初から結末が準備されていたことの暴露を示唆しているのかもしれません。この独特な枠組みが、読み進めるほどに私たちの期待を揺さぶり、物語の世界へと深く引き込んでいくのですね。

主人公である「ぼく」は、自らを「誠実な正直者」と称しながらも、真実をあえて語らず、沈黙の美徳を心得ていると述べる、非常に特異な人物です。彼の語りは主観的で、私たち読み手による積極的な解釈を誘います。そんな彼が「九月、ある階段を昇ることになる」と決意するところから、物語は大きく動き出します。この階段こそが、象徴的な「《十三階段》」なのです。

この「ネコソギラジカル(上)十三階段」は、戯言シリーズが持つ知的で内省的な雰囲気を色濃く残しつつ、シリーズのクライマックスに向けて物語を加速させていく、まさに序曲と呼ぶにふさわしい一冊と言えるでしょう。果たして「ぼく」を待ち受ける運命とは、そして「《十三階段》」の先に何があるのか、一緒に見ていきましょう。

小説「ネコソギラジカル(上)十三階段」のあらすじ

物語の語り手である「ぼく」、通称「いーちゃん」は、深い自己否定感を抱えながらも、なぜか周囲の人々を引きつけてしまう不思議な青年です。彼は自らを「誰かを不幸にして狂わせるしか能がない」とまで思い詰めていますが、その一方で、「戯言遣い」として多くの奇妙な事件に関わってきました。そんな彼の前に、かつてない強大な敵が現れます。「人類最悪」と称される「狐面の男」です。狐面の男は「ぼく」を「俺の敵」と明確に指名し、「“世界”を、そして“物語”を終わらせる」と宣言します。

狐面の男が提示した挑戦、それが「《十三階段》」です。これは物理的な階段ではなく、「ぼく」が対峙しなければならない十三人の敵対者たちを象徴しています。彼らを一人ずつ打ち破っていくことが、「ぼく」に課せられた使命となるのです。この戦いは、単なる力と力のぶつかり合いではなく、「ぼく」自身の存在意義を問う戦いでもあります。

絶望的な状況に思えましたが、「ぼく」の周りには心強い仲間たちが集います。人類最強の請負人・哀川潤が衝撃的な復活を遂げ、彼女の強さは新たな局面を迎えます。さらに、闇口崩子や隼荒ホータといった面々も加わり、「戯言パーティー」が結成されます。また、過去のシリーズで関わった人物たちも、「ぼく」を助けるために現れるのです。例えば、出夢くんは「ぼく」に避難場所と助けを提供し、その面倒見の良さを見せます。

上巻では、「《十三階段》」を構成する人物として、奇野頼知、ノイズ、絵本園樹、そして澪標高海と澪標深空といった名前が明かされます。彼らとの遭遇は、「ぼく」にとって過酷な試練の連続となります。特に「殺し名」と呼ばれる特殊な能力を持つ者たちとの戦いは熾烈を極め、物語はこれまでのシリーズとは一線を画す「異能バトル」の様相を強く帯びていきます。「橙なる種」と呼ばれる謎の存在や、「オルタナティブ」という概念も登場し、物語はさらに複雑さと深みを増していきます。

各幕のタイトル、例えば「休息の傷跡」「密談」「思い出の回復」「十三階段」「人肌のぬくもり」「検索と置換」「宣戦布告」「医者の憂鬱」そして「続かない終わり」は、物語の展開を暗示しています。いーちゃんが過去の傷と向き合い、仲間たちと絆を深め、強大な敵との戦いに身を投じていく過程が、緊張感と哲学的な思索を交えながら描かれます。

最終章「続かない終わり」が示すように、上巻は決定的な解決を見ないまま、読者の心を掴んで離さないクリフハンガーで幕を閉じます。狐面の男の真の目的、「《十三階段》」の全貌、そして「ぼく」の運命は、まだ謎に包まれたままです。この終わりは、次なる物語への始まりを強く予感させ、読者を中巻、下巻へと誘うのです。

小説「ネコソギラジカル(上)十三階段」の長文感想(ネタバレあり)

ついに始まった戯言シリーズ最終章、「ネコソギラジカル(上)十三階段」。この作品を読むということは、長年親しんできた一つの「物語」の終焉に立ち会うことなのだなと、感慨深い気持ちでページをめくり始めました。冒頭の「全ての終わりは――まだ始まったばかりだ」という一文からして、西尾維新さんらしい、一筋縄ではいかない展開を予感させますね。この言葉は、物語全体を貫くテーマであり、読み終えた後も深く心に残ります。

まず、主人公である「ぼく」の存在について触れないわけにはいきません。彼は相変わらずの「戯言遣い」であり、その内面は自己否定と諦観に満ちています。「産まれる前から終わっていたような、ぼく」という自己認識は痛々しいほどですが、それにもかかわらず、彼は常に物語の中心に引きずり込まれていきます。彼自身が望むと望まざるとにかかわらず、人々を引きつけ、事件を呼び寄せる。この受動的なカリスマ性は、彼の大きな特徴であり、魅力でもあると感じます。彼が「《十三階段》」を昇るという行為は、単に敵を倒すということだけでなく、彼自身の内面との戦い、存在意義を巡る葛藤そのものなのでしょう。

そして、今作における最大の敵として登場する「狐面の男」。彼が「人類最悪」と称され、「ぼく」を名指しで敵認定する場面は、物語のスケールを一気に拡大させます。「“世界”を、そして“物語”を終わらせる」という彼の目的は壮大で、どこか抽象的でありながらも、読者に強烈なインパクトを与えます。この狐面の男との対決が、シリーズ全体のクライマックスになることは間違いないでしょう。彼が「橙なる種・想影真心」を伴って現れるシーンは、その力の強大さと不気味さを際立たせていました。

物語の中核をなす「《十三階段》」という存在も非常に興味深いです。これは物理的な建造物ではなく、十三人の強敵たちを指すという設定。彼らを一人ずつ倒していくという展開は、少年漫画的な王道でありながら、そこに西尾維新さん特有のひねりが加えられています。「あまりに荒唐無稽で、あまりに懐かしく」と表現されるこの戦いは、単なるバトルではなく、過去の出来事やテーマと深く結びついていることを示唆していますね。上巻で名前が明かされた奇野頼知、ノイズ、絵本園樹、澪標姉妹といった面々が、今後どのように「ぼく」の前に立ちはだかるのか、期待が高まります。特に絵本園樹の不気味さは、オーディオブックの感想でも触れられていたように、声優さんの演技も相まって際立っているようですね。

この「《十三階段》」という設定は、一部で「厨二病心」をくすぐると評されていますが、それこそが西尾維新作品の魅力の一つだと私は思います。様式化された悪役、大仰な能力、そして「殺し名」というシステム。これらは物語をエンターテインメントとして盛り上げる重要な要素です。「呪い名」とも読めるこの「殺し名」は、単なるネーミングセンスだけでなく、キャラクターの背景や能力を暗示する深みも持っています。「零崎一賊」が第三位にランク付けされているという情報も、シリーズファンにとってはニヤリとするところでしょう。

今作で特筆すべきは、哀川潤の復活と、彼女に訪れた変化でしょう。「人類最強の請負人」として、これまで数々の困難を乗り越えてきた彼女が、「初めての『恋』」に直面するという展開には驚かされました。世界が彼女の強さに「降伏」し、倒すべき敵も応えるべき依頼も失った彼女にとって、この「恋」は新たな生きる意味となるのか、それとも…。ノイズに対して車で突っ込むという衝撃的な行動も、彼女らしいと言えば彼女らしいですが、その内面の変化が今後の物語にどう影響するのか、目が離せません。

そして、「ぼく」の周りに集う「戯言パーティー」の面々。闇口崩子ちゃん、隼荒ホータくん、そして哀川潤。これまで孤独を好んできた(あるいは、そうならざるを得なかった)「ぼく」が、仲間たちと共に戦うという構図は新鮮です。特に崩子ちゃんの「闇口の誓い」を立てるシーンは印象的で、彼女の健気さと覚悟が伝わってきました。一部で彼女の行く末を暗示するような不穏な声も聞こえてきますが、どうか無事でいてほしいと願わずにはいられません。出夢くんのサポートも心強く、彼のような存在が「ぼく」の精神的な支えになっている部分もあるのでしょう。

物語の構成も巧みで、各幕のタイトルがその内容を的確に示唆しています。「休息の傷跡」から始まり、「密談」、「思い出の回復」と、徐々に物語が動き出し、「十三階段」で本格的な戦いが開始。中盤の「人肌のぬくもり」では束の間の安らぎや人間関係の深化が描かれ、「検索と置換」で新たな局面へ。そして「宣戦布告」で事態は一気に緊迫し、「医者の憂鬱」で戦いの代償や苦悩が垣間見え、最後の「続かない終わり」で強烈な引きを作る。この流れは、読者を飽きさせず、常に先を読みたいという気持ちにさせます。

特に印象的だったのは、「始まりがあれば終わりがある、それは確かに真理ではあるのだろうが、しかしとは言え、終わりがあるから始まりもあったはずだなどと考えるのはあまりに短絡的だ。どころか事実はまるで逆で、大抵の事象は始まる前から既に終了し切っていて、開かれずともお開きだ」という「ぼく」の省察です。これは戯言シリーズ全体を貫く虚無感や諦観を表していると同時に、この「ネコソギラジカル」という物語の核心に触れる言葉のようにも思えます。

また、本作から「完全に異能バトル物に移行してる」という評価も納得できます。これまでのシリーズでも特殊な能力を持つキャラクターは登場しましたが、今作では「殺し名」や「橙なる種」といった概念が明確に提示され、よりシステム化された能力バトルが展開されています。この変化は、シリーズのフィナーレに向けて物語をダイナミックに動かし、エンターテインメント性を高める効果があると感じました。

そして、やはり西尾維新さんの言葉遊びのセンスは健在ですね。「橙なる種/代替なる朱」といった表現は、まさに「オシャレすぎる」の一言。こういった言葉の端々にも、作品世界の深みやキャラクターの個性が凝縮されているように感じます。「オルタナティブ」という概念も、今後の物語を読み解く上で重要な鍵となりそうです。浅野みいこや七々見奈波といったキャラクターが「ラスボスとの会話」でそう特定されるという情報は、過去作との繋がりや、物語の裏に隠された構造を示唆しているのかもしれません。

「ぼく」の存在意義を巡る苦悩、狐面の男との対立、哀川潤の恋の行方、「十三階段」との戦い、そして「戯言パーティー」の絆。これらの要素が複雑に絡み合いながら、物語は加速していきます。上巻は、あくまで序章。多くの謎や伏線が提示され、読者の期待を最大限に高めたところで幕を閉じます。特にラストの引きは強烈で、「どうなっているの!?」と続きが気になって仕方ありません。

この「ネコソギラジカル(上)十三階段」は、戯言シリーズの集大成であり、同時に新たな物語の始まりでもあります。シリーズを通して散りばめられてきた伏線が、この最終章でどのように収束していくのか。「伏線の楽譜(スコア)は絡まり合い、一気に奔流(クレッシェンド)をはじめる!」という言葉通り、物語はここからさらに加速していくのでしょう。

読み終えた今、早く中巻、下巻を読みたいという気持ちでいっぱいです。果たして「ぼく」は、この「終わり」の物語をどのように紡いでいくのか。そして、その先に待つ「終わりの終わり」とは何なのか。期待と少しの寂しさを胸に、次巻を待ちたいと思います。この壮大な物語の結末を、最後まで見届けたいですね。

まとめ

小説「ネコソギラジカル(上)十三階段」は、西尾維新さんの人気シリーズ「戯言シリーズ」の最終章三部作の幕開けを飾るにふさわしい、濃密な一冊でした。主人公「ぼく」が、最強の敵「狐面の男」と、彼が率いる「《十三階段》」に立ち向かうという、壮大なスケールの物語が展開されます。

哀川潤の衝撃的な復活と彼女に訪れた新たな感情、そして「戯言パーティー」の結成など、これまでのシリーズファンにとって見逃せない要素が満載です。また、「殺し名」や「橙なる種」といった新概念の登場により、物語はより深みを増し、シリーズ特有の哲学的な問いかけはそのままに、エンターテインメント性の高い異能バトルが繰り広げられます。

上巻は、多くの謎と伏線を提示し、読者の興味を最大限に引きつけたところで幕を閉じます。まさに「全ての終わりは――まだ始まったばかりだ」という言葉を体現するかのような終わり方で、次巻への期待感を否応なく高めてくれます。シリーズを追いかけてきた方にとっては、これまでの物語が収束していく様を見届ける興奮と、終わってしまうかもしれないという寂しさが交錯する、特別な読書体験となるでしょう。

この作品は、単なる始まりや終わりを超えた、物語そのものの在り方を問いかけるような深遠さも秘めています。「ネコソギラジカル(上)十三階段」を読み解くことは、西尾維新さんが仕掛けた壮大な「戯言」の迷宮に、再び足を踏み入れることに他なりません。その先に待つ真実がどのようなものなのか、目が離せません。