小説「トーキョー・バビロン」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。
長文感想も書いていますのでどうぞ。馳星周さんといえば、デビュー作『不夜城』に代表されるような、眠らない街・新宿歌舞伎町を舞台にした、血と硝煙の匂いが立ち込める物語を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。私もその一人でした。しかし、この『トーキョー・バビロン』は、そのイメージを良い意味で裏切ってくれる一冊です。
もちろん、暴力、金、裏切りといった、私たちが馳作品に期待する要素は健在です。ページをめくる手が止まらなくなるような、ヒリヒリとした緊張感も間違いなくあります。ただ、本作の舞台は歌舞伎町という限定された空間から、より広い東京全体へと移っています。そして、物語の中心にいるのは、彼の代名詞ともいえる中国マフィアではありません。
そこにいるのは、かつて時代の寵児ともてはやされたIT長者、元アスリートのチンピラ、ごく平凡な中間管理職、そして先が見えないホステスといった、どこか私たちの日常と地続きの世界にいるような人々です。彼らが一攫千金を夢見て企てた計画が、少しずつ、しかし確実に崩壊していく様を描いた群像劇。それが『トーキョー・バビロン』なのです。
この記事では、そんな彼らの計画の概要から、それがどのような結末を迎えるのか、そして私がこの物語から何を感じ取ったのかを、詳しくお話ししていきたいと思います。物語の核心に触れる部分も多々ありますので、まだ未読で内容を知りたくないという方はご注意ください。それでは、欲望渦巻く都市・東京で繰り広げられる、救いのない物語の世界へご案内します。
「トーキョー・バビロン」のあらすじ
かつてITバブルの波に乗り時代の寵児とまで呼ばれた宮前佳史は、今や見る影もなく、莫大な借金を背負い暴力団のフロント企業を運営させられる日々に喘いでいました。失った栄光を取り戻し、隷属から抜け出すため、彼は起死回生の一大計画を立案します。その標的は、不正にまみれた大手消費者金融「ハピネス」。株式上場を間近に控えたこの会社が隠し持つ、裏帳簿を強奪するという壮大なものでした。
計画の実行には、協力者が不可欠でした。宮前は、自身のお目付け役であり、元大学サッカー界のスター選手という過去を持つチンピラ、稗田睦樹を腕力担当として引き入れます。そして、計画の鍵を握る内部情報提供者として、消費者金融「ハピネス」に勤務する総務課長の小久保に白羽の矢を立てました。彼は非合法カジノにのめり込み、巨額の借金を抱えていたのです。
宮前は小久保を計画に引きずり込むため、巧妙な罠を仕掛けます。それは、六本木のホステスである美和を彼に接近させる、いわゆる「ハニートラップ」でした。美和は自身のキャリアに翳りが見え始めた状況であり、この危険な話に乗ることを決意します。こうして、社会的にも個人的にも「敗者」の烙印を押された4人の男女による、危険なチームが結成されたのです。
それぞれの思惑と絶望を胸に秘め、彼らは緻密に思われた強奪計画を実行に移していきます。しかし、欲望と不信が渦巻く中で、彼らの足並みは少しずつ乱れ始めます。一筋縄ではいかない登場人物たちの関係は、やがて誰も予測しなかった方向へと物語を導いていくのでした。ひとつの綻びが、やがて計画全体を崩壊させる巨大な亀裂となっていくことを、この時の彼らはまだ知る由もありません。
「トーキョー・バビロン」の長文感想(ネタバレあり)
『トーキョー・バビロン』を読み終えた時、心に残ったのはずっしりと重い、鉛のような読後感でした。それは不快なものでは決してなく、むしろ質の高い物語に触れた時特有の、深い充足感を伴うものでした。馳星周作品の魅力である、暴力と裏切りが渦巻く世界観はそのままに、本作はこれまでの作品とは一線を画す、特別な何かを内包しているように感じます。その「何か」の正体を、登場人物たちの姿を追いながら、じっくりと考えていきたいと思います。
本作が従来の馳作品と大きく異なる点、それは物語の中心にいる「悪役」の不在です。『不夜城』シリーズのような、圧倒的な力を持つ中国マフィアは登場しません。代わりに描かれるのは、ITバブルの崩壊や消費者金融問題といった、私たちがニュースで目にしてきたような、より身近な社会の歪みです。その歪みの中から生まれたのが、宮前、稗田、小久保、そして美和という4人の登場人物たちなのです。
まず、計画の立案者である宮前佳史。彼はITバブルの寵児から「やくざの奴隷」へと転落した男です。失われた地位を取り戻すという彼の動機は、一見すると野心的で知的に見えます。しかし、物語を読み進めるにつれて、彼の知性が人間という不確定要素の前でいかに無力であるかが明らかになっていきます。彼は仲間たちの感情の揺れ動きを、特に美和と小久保の間に芽生える特別な関係を、計算に入れることができませんでした。
宮前は、すべてをコントロールできると信じ込んでいたテクノクラートの傲慢さの象徴なのかもしれません。彼の計画は、理論上は完璧だったのでしょう。しかし、人の心は数式通りには動きません。物語の終盤、彼が読者の目に「あまり頭の切れるイメージのないまま終わってしまった」と映るとすれば、それは彼のプライドが、生身の人間の感情という現実の前に、脆くも崩れ去ったからに他なりません。彼の転落は、現代社会の成功と失敗のあり方を象徴しているように思えてなりませんでした。
次に、計画の実行部隊である稗田睦樹。元アスリートという経歴を持つ彼は、宮前とは対照的に、より本能的で直情的な人物として描かれます。彼の動機は、泥沼の人生からの脱出という、非常にシンプルで原始的なものです。しかし、その感情の不安定さと短絡的な暴力性が、計画における最大のリスク要因となっていきます。彼はまさに、檻から解き放たれることを望む、鬱屈した獣のようでした。
稗田の存在は、物語に常に不穏な空気をもたらします。いつキレるか分からない危うさは、読んでいるこちらの背筋まで凍らせるほどです。さらに、彼の同棲相手である冴子が薬物依存に陥り、宮前と関係を持つというエピソードは、彼の怒りを増幅させ、チーム内の亀裂を決定的なものにします。結局、彼はより狡猾な者たちに出し抜かれてしまう。その姿は悲哀に満ちていますが、感情に振り回される人間の弱さを体現したキャラクターだったと言えるでしょう。
そして、この物語でおそらく最も大きな変貌を遂げるのが、小久保という男です。大手消費者金融に勤める平凡な中間管理職。しかし裏ではギャンブルに溺れ、借金に首が回らない。そんな彼が、内部協力者として計画に加わります。当初は臆病で、状況に流されるままの弱い人間として描かれる彼ですが、美和と出会うことで、その内面に大きな変化が訪れます。
彼の行動原理は、やがて美和への絶対的な忠誠心へと集約されていきます。金のため、自分のためではなく、「美和のため」に彼は行動するようになるのです。計画が崩壊し、誰も信じられなくなった状況下で、彼は最後まで美和を裏切ることはありませんでした。その一途な想いは、ある意味で純粋で、同情を誘うものです。しかし、その愛こそが、彼をさらなる破滅へと導くことになるのですから、これほど皮肉な話はありません。
馳星周作品において、愛や献身といった感情は、決して救いにはなりません。むしろ、それは致命的な弱点として描かれることが多いように思います。小久保の純愛は、美和という、より冷徹なプレイヤーが描く筋書きの中で、完璧な駒として利用されてしまいました。彼の悲劇は、本作の非情な世界観を最も色濃く反映しているのかもしれません。
最後に、この物語の真の主役であり、全ての歯車を狂わせる触媒となるのが、ホステスの美和です。彼女は、ノワール小説における「宿命の女(ファム・ファタール)」の役割を完璧に演じきっています。キャリアの終わりが見え、さらには重い病を患っていることが示唆される彼女の状況は、他の登場人物たちのそれとは絶望の質が根本的に異なります。
宮前の絶望は「失った地位」、稗田の絶望は「現状からの逃避」、小久保の絶望は「他者への依存」に向けられています。しかし、美和の絶望は「生命そのもの」に向けられた、実存的で絶対的なものです。残された時間が少ないと悟っている人間だけが持ちうる、冷徹で、一点の曇りもないほどの集中力。彼女はそれを持っているのです。
だからこそ、彼女は誰よりも冷酷になれる。男たちがそれぞれの欲望やプライド、感情に振り回されている中で、彼女だけがただひたすらに「生き延びるための金」という目的のために行動します。小久保の純愛さえも、彼女にとっては目的を達成するための道具に過ぎません。彼女がハニートラップの対象であった小久保と秘密裏に同盟を結び、宮前たちを裏切った瞬間、物語のベクトルは破滅へと大きく舵を切りました。
さらに彼女は、その小久保さえも、最後にはあっさりと裏切ります。わずかな隙を見て、2億円の入ったバッグと共に姿を消すシーンは圧巻でした。ここに、彼女がこの物語における唯一絶対の自己利益追求者であることが確定します。彼女の行動を見ていると、「女は怖い」という陳腐な言葉では片付けられない、人間の生存本能の凄まじさのようなものを見せつけられる思いがしました。
この物語の構成も見事です。序盤は4人の視点が交錯し、それぞれの背景や人間関係が丹念に描かれるため、意図的にゆっくりと進んでいきます。この丁寧な下準備があるからこそ、計画が崩壊し始めた後半の展開が、凄まじい加速を生むのです。一度綻びが生じると、あとはドミノ倒しのようにすべてが崩れていく。裏切りが裏切りを呼び、悪徳刑事のような新たなハイエナまで引き寄せてしまう。
宮前たちが必死に美和たちの行方を追う追跡劇は、暴力と混沌に満ちています。誰が敵で誰が味方なのか、誰が本当のことを言っているのか。その疑心暗鬼がページをめくる手を加速させます。頭脳戦と逃走戦が入り乱れる展開は、まさに馳星周作品の真骨頂と言えるでしょう。読者は、登場人物たちと共に、出口のない迷宮をさまよっているかのような感覚に陥ります。
そして、物語は血なまぐさいクライマックスを迎えます。美和と小久保が、追ってきた悪徳刑事や稗田を排除するシーンは、本作の暴力性が頂点に達する場面です。特に、臆病なサラリーマンだった小久保が、愛する女のために殺人さえ厭わない人間に変貌を遂げる様は、衝撃的でした。彼は自らの行動によって、もはや後戻りのできない場所へと足を踏み入れてしまったのです。
さて、結末です。計画に加わった男たちは、全員が悲惨な最期を迎えます。宮前、稗田、そして小久保も、最終的にはヤクザ組織に捕まり、無残に処理されたことが示唆されます。彼らは敗者として、その人生の幕を閉じたのです。まさに、馳ノワールらしい、救いのない結末でした。
唯一、美和だけが2億円を手にして逃亡に成功します。表面的に見れば、彼女がこの狂騒劇の唯一の勝者です。しかし、物語はここで、最も残酷な一撃を読者に与えます。彼女は重い病を患っている。大金を手にしたところで、彼女に残された時間は、おそらくそう長くはないでしょう。彼女の勝利は、あまりにも空虚で、虚しい。結局、この物語に真の勝者はいなかったのです。これこそが、「全員バッドエンド」と評される所以であり、本作を単なる犯罪小説以上のものに高めている要因だと私は思います。
『トーキョー・バビロン』は、現代社会に潜む闇を鋭くえぐり出した作品です。誰もが少し足を踏み外しただけで、怪物になりうる。ごく平凡な人間が、絶望的な状況に追い込まれた時、いかに脆く、そして残酷になれるのか。この物語は、その事実を私たちに突きつけます。読み終えた後、私たちの住むこの東京という街が、少しだけ違って見えてくるかもしれません。それは、登場人物たちの絶望が、決して他人事ではないと感じられるからではないでしょうか。
まとめ
馳星周さんの小説『トーキョー・バビロン』は、単なる犯罪活劇の枠を超えた、重厚な人間ドラマでした。ITバブルの崩壊や多重債務問題といった、現代的なテーマを背景に、人生の崖っぷちに立たされた男女4人の転落劇が描かれています。彼らの企てた強奪計画は、人間の欲望、嫉妬、そして裏切りによって、いとも簡単に崩れ去っていきました。
物語の巧みな点は、登場人物の誰一人として単純な善悪では割り切れないところにあるでしょう。それぞれの正義と、それぞれの絶望が複雑に絡み合い、予測不能な展開を生み出していきます。特に、計画を内側から食い破っていくファム・ファタール・美和の存在感は圧倒的で、彼女の行動原理を考えることは、この物語の核心に触れることに他なりません。
そして、読者の心に深く刻まれるのは、その救いのない結末です。一見、勝利者に見えた人物でさえ、その手にしたものには何の価値もないかもしれない。この「全員バッドエンド」とも言える結末こそが、馳ノワールの真髄であり、本作が読者に突きつける冷徹な現実認識なのです。登場人物たちの末路は、現代社会に生きる私たちへの警鐘のようにも響きます。
馳星周さんのファンの方はもちろん、骨太で読み応えのある物語を求めている方には、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。読後、しばらくの間、物語の世界から抜け出せなくなるような、強烈な体験があなたを待っているはずです。