小説「ダイイング・アイ」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。東野圭吾氏が描く世界は、時に温かく、時に鋭利な刃物のようです。本作「ダイイング・アイ」は、その後者に属する、人間の心の闇と交通事故という重いテーマを扱った作品と言えるでしょう。記憶の一部を失ったバーテンダーが、自らが起こしたとされる事故の真相を探るうちに、妖しい魅力を持つ女と出会い、破滅的な運命に引きずり込まれていくのです。

物語の筋書きを追うだけでは、この作品の真価は見えてこないかもしれませんね。なぜ主人公は記憶を失ったのか、謎の女の正体は何なのか。そして、タイトルが示す「死に際の目」が意味するものとは。これらの謎が、ページをめくる手を止めさせなくするのです。単なるミステリとして片付けるには、あまりにも深く、そして救いのない人間の業が描かれているように思えてなりません。

この記事では、まず「ダイイング・アイ」の物語の顛末を、核心に触れる部分も含めてお伝えします。その後、この物語が私にどのような感情を抱かせたのか、その詳細な思いを綴っていきましょう。読む人を選ぶ作品であることは間違いありません。それでもなお、この物語が放つ昏い魅力に触れてみたいという奇特な方は、しばしお付き合い願いますか。

小説「ダイイング・アイ」のあらすじ

西麻布のバー「茗荷」で働くバーテンダー、雨村慎介。彼はある夜、仕事帰りに何者かに襲われ、頭部に重傷を負います。病院で目覚めた慎介は、過去一年半の記憶の一部、特に自らが起こしたとされる交通事故に関する記憶を失っていることに気づきます。その事故とは、自転車に乗っていた岸中美菜絵という女性をはねて死なせてしまったというもの。慎介は執行猶予中の身だったのです。

慎介を襲ったのは、事故の被害者・美菜絵の夫である岸中玲二だと判明します。玲二はマネキン制作会社に勤めていましたが、警察が彼の行方を突き止めた時には、すでに自宅で服毒自殺を遂げていました。退院した慎介は、事故の断片的な記憶は蘇るものの、肝心な事故の瞬間の記憶がどうしても思い出せません。自分が本当に事故を起こしたのか、その状況はどうだったのか。疑問を抱いた慎介は、独自に事故の関係者を訪ね、真相を探り始めます。

しかし、慎介の周囲の人々――店のオーナーである江島、同僚の木内、そして献身的に慎介を支える恋人の成美――は、彼が事故の記憶を取り戻そうとすることに、なぜか否定的な態度を示します。そんな中、慎介の前に喪服をまとった妖艶な美女が現れます。瑠璃子と名乗るその女は、事故で亡くなった美菜絵に瓜二つの顔立ちをしていました。それは玲二が生前に、妻に似せて作ったマネキンの顔でもあったのです。

慎介は瑠璃子の抗いがたい魅力に溺れていきますが、彼女の存在は慎介を更なる謎と危険へと誘います。瑠璃子の目的は何なのか。なぜ彼女は美菜絵と同じ顔をしているのか。そして、慎介が失った記憶の奥底に隠された、交通事故の本当の真相とは何だったのか。慎介が真実に近づくにつれて、関係者たちの隠された思惑と、逃れることのできない過去の呪縛が明らかになっていくのです。

小説「ダイイング・アイ」の長文感想(ネタバレあり)

さて、「ダイイング・アイ」という作品について、もう少し踏み込んだ話をしましょうか。ネタバレを大いに含みますから、未読の方は自己責任で。もっとも、結末を知ったからといって、この作品の持つ陰鬱な魅力が損なわれるわけでもないでしょうがね。むしろ、真相を知った上で再読することで、登場人物たちの言動の裏に隠された意図や、伏線の巧妙さに気づかされる。それもまた一興というものでしょう。

まず、この物語の核心にあるのは、交通事故という、ありふれた、しかし当事者にとっては悲劇以外の何物でもない出来事です。東野圭吾氏は、加害者側の心理、特にその責任感の欠如や自己正当化といった、決して心地よくはない人間の側面を容赦なく描き出しています。主人公の雨村慎介は、当初、自分が事故を起こしたと思い込み、罪悪感に苛まれているかに見えます。しかし、記憶を取り戻そうと躍起になる彼の動機は、贖罪というよりは、失われた記憶への個人的なこだわり、あるいは自身の潔白を証明したいという欲求に近いように感じられます。彼自身、三千万円という大金と引き換えに身代わりを引き受けた、共犯者の一人に過ぎないのですから。

もう一人の身代わり犯、木内春彦も同様です。彼は飲酒運転していた婚約者、上原ミドリを庇うために罪を被ります。彼らの行動原理は保身であり、そこには被害者である岸中美菜絵への真摯な謝罪の念は希薄です。そして、実際の運転者であった江島光一に至っては、「運が悪かっただけ」「こっちだって被害者だ」と嘯く始末。年間一万人が交通事故で亡くなるという統計を引き合いに出し、自らの行為を矮小化しようとする。このあたりの描写は、交通事故の加害者が陥りがちな心理を的確に捉えていると言えるでしょう。被害者の無念や遺族の悲しみは、加害者側の「忘れたい」という願望によって、いとも簡単に踏みにじられてしまう。この非対称性こそが、物語全体を覆う重苦しさの根源となっているのです。

物語のタイトルにもなっている「ダイイング・アイ」。これは、死にゆく者、すなわち岸中美菜絵が、事故の瞬間に加害者に向けた怨嗟の眼差しを指します。プロローグにおける美菜絵の視点での描写は、凄惨でありながらも、彼女の生への渇望と、理不尽に命を奪われることへの強い怒り、そして加害者への消えることのない憎しみを読者に強く印象付けます。美菜絵の身体が砕け、内臓が破裂する様、走馬灯のように駆け巡る幸福だったはずの未来。これらの克明な描写は、単なる事故の描写を超え、読者に被害者の絶望を追体験させる力を持っています。そして、その最後の眼差しが、物語の超常的な要素へと繋がっていくわけです。

問題の女、瑠璃子。彼女の正体は、事故のもう一人の真犯人である上原ミドリです。美菜絵の「ダイイング・アイ」を真正面から受け止めてしまったミドリは、精神に変調をきたし、あるいは美菜絵の怨念そのものに取り憑かれたかのように、自らの顔を整形手術で美菜絵に似せ、「瑠璃子」として慎介の前に現れます。彼女の目的は復讐。しかし、その方法は単純な殺害ではありません。

瑠璃子(ミドリ)は、慎介を誘惑し、肉体関係を重ね、一時は彼を自身のマンションに監禁します。彼女の言動は支離滅裂に見え、時に慎介に妊娠を仄めかすかと思えば、「私を殺して」と迫る。これは一体何を意味するのか。読んでいる間は、彼女の行動の真意を図りかね、ただただ不気味さと恐怖を感じるばかりでしょう。しかし、物語の終盤、彼女が江島に向けて放つ言葉に、その歪んだ復讐の形が見えてきます。「そうして今度こそ忘れないで。あなたがわたしを殺したということを。あなたが殺した女の顔を、女の目を」。

彼女が望んだのは、加害者に「忘れさせない」こと。美菜絵が奪われた命の重みを、加害者の記憶に永遠に刻みつけることだったのではないでしょうか。慎介を殺さなかったのも、彼に自分(瑠璃子=ミドリ)を殺させることで、彼にもまた「人を殺した」という記憶を背負わせ、美菜絵(あるいはミドリ自身)の苦しみを追体験させようとしたのかもしれません。妊娠を仄めかしたのも、より強烈な記憶として、忘れられない楔を打ち込むための、悪魔的な企みだった可能性すら考えられます。結果的に、江島は瑠璃子(ミドリ)を殺害し、逮捕後、彼女の「目」の幻影に苛まれ、自ら両目を潰してしまいます。まさに「ダイイング・アイ」の呪いが成就した瞬間と言えるでしょう。この結末は、物理的な復讐よりも遥かに陰湿で、救いのない後味を残します。まるで、底なし沼に引きずり込まれるような感覚、とでも言いましょうか。

しかし、この瑠璃子の存在と行動には、ミステリとして腑に落ちない点があることも事実です。特に、彼女が見つめるだけで相手の動きを封じたり、行動を操ったりする能力。作中では「催眠術のようなもの」と説明されますが、その描写はもはや超能力の域に達しており、論理的な説明は放棄されています。東野圭吾作品に期待される緻密なトリックや科学的根拠を期待していた読者にとっては、肩透かしを食らったような気分になるかもしれません。「これはホラーなのだ」と割り切れば受け入れられるのかもしれませんが、ミステリとホラーの境界線が曖昧になっている点は、評価が分かれるところでしょう。個人的には、もう少し説得力のある説明が欲しかった、というのが正直なところです。

他の登場人物に目を向けても、疑問は残ります。慎介の恋人であったはずの成美。彼女は献身的に慎介を支える素振りを見せながら、最終的には慎介が江島から受け取った口止め料を持ち逃げし、さらに江島を強請ろうとして、おそらくは殺害されてしまいます。彼女の心変わりに至る心理描写は十分とは言えず、物語の都合のために動かされている印象を受けなくもありません。唯一の良心とも思えた刑事の小塚が、物語の核心とは直接関係のないところで殺害されてしまう展開も、やるせない気持ちにさせられます。この物語には、いわゆる「救い」の要素が極端に少ない。登場人物のほとんどが悪人か、あるいは弱さゆえに過ちを犯し、破滅していく。人間の持つ業の深さ、エゴイズム、そして罪の意識からの逃避を描くことに徹した結果なのでしょう。

「ダイイング・アイ」は、交通事故という現実的なテーマを扱いながら、怨念や呪いといったオカルト的な要素を大胆に導入した、異色のサスペンススリラーと言えます。東野圭吾氏の作品群の中でも、その暗さと救いのなさ、そして後味の悪さは際立っているのではないでしょうか。加害者側の無責任さに対する痛烈な批判精神と、人間の心の闇を抉り出す筆致はさすがですが、超常的な展開や一部キャラクターの行動原理には、やや強引さを感じる部分もあります。しかし、それらの点を差し引いても、読者を引き込み、最後までページをめくらせる力は確かです。特に、瑠璃子というキャラクターが放つ妖しい魅力と、彼女の行動がもたらす結末の衝撃は、忘れがたい読書体験となるでしょう。万人受けする作品ではないことは確かですが、人間の暗部を覗き込むような物語に惹かれる方にとっては、十分に読む価値のある一冊と言えるのではないでしょうか。まあ、読後の気分の落ち込みについては、保証致しかねますがね。

まとめ

さて、東野圭吾氏の「ダイイング・アイ」について語ってきましたが、いかがでしたでしょうか。記憶喪失のバーテンダー、彼が起こしたとされる交通事故、そして現れる謎の美女。これらの要素が絡み合い、人間の心の奥底に潜む闇と、加害者の無責任さという重いテーマを炙り出していきます。

物語の筋書き、特にネタバレを含む核心部分にも触れましたが、この作品の魅力は単なる謎解きに留まりません。登場人物たちの身勝手さ、罪悪感からの逃避、そして「ダイイング・アイ」という象徴的な眼差しがもたらす呪縛。これらが織りなす陰鬱な雰囲気と、やるせない結末は、読後に重い余韻を残すことでしょう。ホラー的な要素や、一部の展開に疑問を感じる向きもあるかもしれませんが、それも含めて本作の個性と言えます。

もしあなたが、ただ心地よいだけの物語ではなく、人間の暗部を覗き込み、考えさせられるような作品を求めているのであれば、「ダイイング・アイ」は手に取る価値があるかもしれません。ただし、読後感が爽快とは言い難いことは、あらかじめお伝えしておきましょう。それでもなお、この昏い魅力に触れてみたいという方は、ぜひご自身の目で確かめてみてください。