サラバ!小説『サラバ!』のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

西加奈子さんの長編小説『サラバ!』は、2014年に発表され、その年の直木三十五賞を受賞した傑作です。発表から時間が経った現在でも、多くの読者の心に深く刻まれています。この物語は、主人公・圷歩(あくつ あゆむ)の誕生から成人するまでの壮大な半生を描きながら、家族の形、信仰、そして「自分」という存在について深く問いかける作品となっています。時に鮮烈な色彩で、時に淡い陰影で描かれるその世界は、ページをめくるごとに私たちを物語の奥深くへと誘います。

本作は、イラン、エジプト、そして日本という三つの国を舞台に、異文化の中で成長していく歩の姿を追います。多感な少年期を異国で過ごし、様々な出会いや別れを経験する中で、彼は自身の中に「サラバ」という、ある種の神様のような存在を見出していきます。それは単なる友情の合言葉に留まらず、彼が生きていく上で拠り所となる、かけがえのない精神的な支柱となっていくのです。

歩の周りには、個性的で生命力あふれる家族がいます。特に、自己主張が強く奔放な母と、強烈な個性を持つ姉・貴子との関係性は、この物語の大きな核の一つです。彼女たちの存在は、穏やかで周囲に合わせようとする歩にとって、時に安らぎであり、時に大きな葛藤の種となります。それぞれの登場人物が抱える葛藤や成長の物語が、緻密に絡み合いながら紡がれていく様は、まさに圧巻の一言です。

この物語は、単なる成長譚ではありません。「自分は何を信じて生きるべきか」という根源的な問いを、宗教や文化、そして家族というレンズを通して深く掘り下げています。読み進めるうちに、読者自身の心にも、自分にとっての「サラバ」とは何か、という問いが静かに、しかし確実に響いてくることでしょう。さて、この壮大な物語がどのように展開し、歩が何を見出すのか、その詳細に迫っていきましょう。

『サラバ!』のあらすじ

物語は1977年5月、主人公である圷歩(あくつ あゆむ)が、父・憲太郎の赴任先であるイランの病院で誕生するところから始まります。家族は父と母・尚子、そして気性の強い姉・貴子の4人。歩と父は穏やかな性格で波風を立てないことを旨とする一方、母と姉は自己主張が強く、衝突が絶えない家庭環境でした。幼い歩は、常に周囲の目を気にし、目立たないように空気に溶け込むことを美徳とする性格で、「私を見て!」とアピールする母や姉を軽蔑する気持ちを抱いていました。しかし、「僕はこの世界に左足から登場した――」という彼自身の言葉が示すように、生まれた時から既に、この世界に自分の居場所を見つけなければならないという諦念と、同時に「自分には自分の道をつくるしかない」という強い意志が彼の中に宿っていたのです。

イラン革命が勃発し、家族は日本へ帰国して大阪での新生活を始めます。幼稚園や小学校では、歩はすぐに周囲に馴染みましたが、姉の貴子は「ご神木」というあだ名をつけられるほど孤立を深めていきました。やがて、父の次の赴任先がエジプト・カイロに決まり、一家はメイド付きの豪華なマンションで暮らすことになります。乾いた大気、砂埃、街を徘徊する犬や人懐っこい子供たち、そして初めて見るピラミッドといった異国の風景は、歩の感受性に鮮烈な印象を刻みつけました。日本人学校に通い始めた歩は、そこで心優しいエジプト人少年ヤコブと出会い、言葉の壁を越えた不思議な友情を育んでいきます。

歩とヤコブは、互いに「サラバ(=さようなら)」という言葉に様々な思いを込め、合言葉のように交わすようになります。ナイル河で遊んだ後、別れ際に河面から姿を現した白い化け物に「サラバ」と名付け、お互いの間に「何の隔たりもない」と信じ合った体験は、歩にとって忘れられない〈神話〉となりました。この特別な言葉は、彼の心の中で深く、大切な意味を持つようになります。

中学生になる頃、一家は日本へ帰国しますが、その直前に両親は離婚。歩は母と姉との3人で、母方の実家近くに転居します。母親は次々と恋人を作り家を飛び出し、愛情に飢えた母親を歩は「私を見て!」というタイプと見なし、距離を置くようになります。一方、歩自身は高校でサッカーに熱中し、才気あふれる同級生・須玖に影響を受けて行動範囲を広げていきます。姉の貴子は、近所の矢田おばちゃんが信仰する新興宗教に傾倒し、頻繁にその集まりに出入りするようになっていきました。このように、家族それぞれが、言葉や文化の違いに苦しみながらも、各々の道を進むことを選択していきます。

『サラバ!』の長文感想(ネタバレあり)

『サラバ!』という作品は、読み終えた後、深く静かな余韻を残します。それは、単に物語の面白さや緻密さだけではなく、「自分は何を信じて生きていくのか」という、誰もが抱えるであろう根源的な問いと、向き合うことの尊さを教えてくれるからです。主人公・圷歩の人生を追体験する中で、私たちは自己とは何か、家族とは何か、そして信仰とは何か、といった普遍的なテーマについて深く考えさせられます。

物語の冒頭、イランで生まれた歩が「僕は左足からこの世界に登場した――」と語る言葉は、彼の人生を象徴しています。彼は常に、他者とは異なる、自分だけの場所を探し求める旅を続けていくのです。幼少期のイラン、そしてエジプトでの生活は、日本の常識から離れた異文化の中で、彼の感受性を豊かに育んでいきます。特にエジプトでのヤコブとの出会いと「サラバ」という言葉は、物語全体を貫く重要な要素となります。彼らにとっての「サラバ」は、単なる別れの挨拶ではなく、互いの心に通じ合う「何の隔たりもない」状態、つまりは深い信頼と一体感を示す言葉でした。この純粋な体験こそが、歩が生きていく上で最も大切な「僕の神様」となるのです。

歩の家族関係は、この物語の大きな魅力の一つです。特に、奔放な母・尚子と、強烈な個性を持つ姉・貴子は、歩の人生に多大な影響を与えます。母は、常に愛情に飢え、それを外に求め続ける人物として描かれます。歩はそんな母を理解しようとしつつも、自身の内に秘める「周りに合わせたい」という欲求との間で葛藤します。一方で、姉の貴子は、歩とは対照的に、周囲の目を気にせず、自身の信念を貫き通す強さを持っています。彼女が新興宗教に傾倒していく姿は、歩にとって大きな衝撃であり、同時に「自分が信じるものは自分で決めなさい」という、彼自身の指針となる言葉を投げかけます。

この姉の言葉は、物語全体を通して歩の行動原理となり、彼が様々な宗教や価値観と向き合うきっかけを与えます。イスラム教、コプト教、そして日本の新興宗教や仏教など、多様な信仰が作中には登場します。歩はそれらを客観的に見つめ、決して安易に何かに帰依することはありません。彼は、「誰かに決められた信念」ではなく、「自分が信じるもの」を探し求め続けます。この探求の過程こそが、『サラバ!』が読者に問いかける最も重要なメッセージだと私は思います。

1995年に発生した阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件は、歩の心に大きな傷跡を残します。特に震災の経験は、彼を東京へと向かわせるきっかけとなります。震災後の混乱、そしてオウム真理教事件による社会の動揺は、既存の価値観が揺らぐ時代を象徴しています。そのような中で、歩は東京でフリーライターとして活動する中で、奇跡的な再会を果たします。それが、かつてエジプトで「サラバ」を交わしたヤコブとの再会でした。

数十年ぶりに再会した二人は、英語で会話を交わしながら、それぞれの歩んできた道のりや現在の境遇を語り合います。言葉は違えど、互いの胸に、あの日の「サラバ」が生き続けていたことを強く実感する歩。この再会は、彼にとっての「サラバ」が、単なる思い出ではなく、今もなお彼を支える「僕の神様」であることを再確認させる重要な出来事となります。それは、どんなに時間が経ち、どんなに環境が変わっても、決して色褪せることのない、純粋な心の繋がりを示すものでした。

そして、長年音信不絶だった姉・貴子からのメールが届きます。世界中を放浪していた彼女が、「今度こそ帰国する」という重大な知らせを携えて日本に現れるのです。再会した姉は、以前よりも美しく変貌していました。しかし、その一方で、歩の身には立て続けに不吉な出来事が起こります。この試練は、歩にとって大きな動揺をもたらしますが、同時に彼は、姉から繰り返し言われてきた「自分が信じるものは自分で決めなさい」という言葉を強く思い出すことになります。

この一連の出来事を通して、歩は、自分がこれまで探求し、見出してきた「サラバ」という信念に立ち返ることを決意します。物語の最終盤、彼は自身の出生地であるイランに降り立ちます。幼子だった自分が抱えていた諦念と信念を改めて噛みしめる場面は、読者の胸に深い感動を呼び起こします。左足からこの世界に生まれ、死ぬまで信じ続けるものを胸に旅を続ける――その強い意志が、「僕は『それ』を、僕の『サラバ』を信じている」という言葉に凝縮されています。

この小説が素晴らしいのは、単に登場人物の成長を描くだけに留まらない点です。家族という最も身近な集団の中でさえ、個々の人間がいかに「自分」を見つけていくかという普遍的なテーマを、丹念に、そして愛情深く描いているのです。歩と母、そして姉との複雑で多面的な関係性は、家族というものが常に安らぎの場所であるとは限らず、時に深い葛藤や痛みを伴うものであることを示唆します。しかし、それらの困難を乗り越えることで、真の絆や自己理解へと繋がっていく様子が描かれているのです。

特に、信仰というテーマが、物語全体に大きな深みを与えています。多様な宗教観が登場する中で、歩はどれにも安易に飛びつくことなく、自身の心の声に耳を傾け続けます。これは、現代社会において、情報過多の中で何が真実か、何を信じるべきかを見失いがちな私たちにとって、非常に重要なメッセージを投げかけています。外からの影響に流されることなく、内なる声に忠実に生きることの尊さを、歩の姿が教えてくれます。

西加奈子さんの文章は、時にリズミカルでユーモラスでありながら、感情の機微を繊細に捉え、読者の心に深く響きます。特に、登場人物たちの内面描写は秀逸で、彼らの喜びや悲しみ、葛藤が、まるで自分のことのように感じられます。異国の風景描写もまた、その土地の空気や匂いまでもが伝わってくるようで、物語の世界に没入させてくれます。

『サラバ!』は、「自分は何者か」という問いへの、壮大なる旅の物語です。そして、その旅路の果てに、歩が手に入れたものは、誰かに与えられたものではなく、彼自身が見出し、信じ抜いた「サラバ」という名の確固たる信念でした。それは、困難な時代を生きる私たち一人ひとりが、自身の内なる「神様」を見つけることの大切さを、静かに、しかし力強く語りかけてくるかのようです。

この作品は、一度読んだだけでは汲み取れないほどの多層的な意味を含んでいます。家族の絆、宗教の役割、異文化理解、そして何よりも「自己とは何か」という普遍的な問い。これらが複雑に絡み合い、読後も長く心に残り続けるでしょう。読み終えた後、きっとあなたの心にも、あなた自身の「サラバ」が問いかけてくるはずです。それは、人生の道しるべとなる、あなただけの光となるかもしれません。

まとめ

西加奈子さんの長編小説『サラバ!』は、主人公・圷歩の誕生から成人までの半生を、イラン、エジプト、そして日本という三つの国を舞台に壮大に描いた物語です。家族との関係、異文化での経験、そして様々な信仰との出会いを通して、歩が自身の拠り所となる「サラバ」という存在を見出す過程が描かれています。これは、単なる成長物語に留まらず、私たち自身の「信じるもの」を見つめ直すきっかけを与えてくれる作品です。

物語の大きな魅力は、個性的で生命力あふれる登場人物たち、特に奔放な母と強烈な個性を持つ姉・貴子との関係性にあります。歩は、彼女たちとの間で葛藤しながらも、自身の中に確固たる信念を育んでいきます。姉の「自分が信じるものは自分で決めなさい」という言葉は、歩の人生を導く重要な指針となり、多様な価値観が混在する現代において、私たち読者にも深く響くメッセージとなっています。

そして、歩がエジプトで出会った少年ヤコブとの友情と、そこで生まれた「サラバ」という言葉が、物語の核をなします。この言葉は、単なる別れの挨拶ではなく、歩にとって「何の隔たりもない」純粋な心の繋がり、そして「僕の神様」となる精神的な支柱を意味します。再会を経て「サラバ」が確固たるものとして歩の心に宿る過程は、読者に深い感動を与え、普遍的な「自己」の探求へと誘います。

この作品は、家族、信仰、そして自己同一性という重層的なテーマを扱いながらも、西加奈子さんらしい繊細かつ力強い筆致で描かれています。読み終えた後、きっとあなたも「自分にとっての『サラバ』とは何か」という問いと向き合うことになるでしょう。それは、人生の道を照らす光となる、あなただけの真実を見つけるための、かけがえのない旅路を始めるきっかけになるかもしれません。