まひる野小説「まひる野」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

本作は、決して結ばれてはならない運命を背負った男女の、あまりにも壮絶な愛の物語です。物語の根底に流れるのは、学生運動が激しかった時代の熱気と、それがもたらした悲劇。加害者の姉と、被害者の父。本来であれば憎み合うべき二人が、どうしようもなく惹かれ合ってしまうのです。

その愛は、社会的な常識や倫理観を根底から揺さぶる、危険で背徳的なものでした。古都・京都の美しい情景とは裏腹に、二人の関係はどこまでも深く、暗い闇へと堕ちていきます。この物語は、単なる恋愛小説の枠には収まりきりません。

この記事では、そんな『まひる野』の物語の核心に、結末まで触れながら迫っていきます。なぜ二人は愛し合わなければならなかったのか。そして、その愛の果てに何が待ち受けていたのか。読み進めることで、渡辺淳一が描いた愛と孤独の深淵を、共に旅することになるでしょう。

「まひる野」のあらすじ

物語の主人公は、古都・京都で京扇子の老舗「辻村」を若くして切り盛りする女性、辻村多紀です。伝統と格式を重んじる世界で、彼女は店の経営者として、そして一家の支柱として、自らの感情を抑え、気丈に日々を送っていました。彼女には放蕩を繰り返す弟・隆彦がおり、その存在が悩みの種でした。

そんな多紀の静かな日常は、東京で起きた一つの事件によって粉々に砕け散ります。弟の隆彦が、学生運動の対立グループとの抗争、いわゆる「内ゲバ」で相手を死に至らしめてしまったのです。隆彦は殺人犯として警察に追われる身となり、多紀は加害者の姉という重い十字架を背負うことになりました。

姉として、そして家族としての責任感に苛まれた多紀は、計り知れない恐怖と罪悪感を抱えながら、単身で東京の被害者宅へ弔問に訪れます。そこで彼女を待っていたのは、当然ながら参列者からの冷たい視線と、被害者の母親から浴びせられる憎悪の言葉でした。身も心も縮こまるような絶望的な状況です。

しかし、その場で多紀は、思いがけない人物と出会います。被害者の父親であり、医科大学の教授である柚木洋文です。激昂する妻とは対照的に、柚木は多紀を責めることなく、むしろ周囲の敵意から彼女を毅然と庇ってくれたのです。最も憎まれて然るべき相手から差し伸べられたその予期せぬ態度は、多紀の心に強く、そして不可解な印象を残すのでした。

「まひる野」の長文感想(ネタバレあり)

渡辺淳一が描く恋愛は、いつもどこか極限の状態にあります。その中でも、この『まひる野』が放つ緊張感と絶望感は、他の作品と一線を画しているように感じます。加害者の姉と被害者の父。この設定だけで、物語が穏やかに進むはずがないことは誰にでも想像がつくでしょう。

物語の主人公、辻村多紀は、京都の老舗を背負う若き女主人です。彼女の世界は、伝統と格式、そして責任というもので固められています。まるで感情を押し殺すことが美徳であるかのような、そんな息苦しい世界で彼女は生きています。28歳になるまで、本当の恋も知らずに。

その静かで張り詰めた世界を破壊するのが、弟・隆彦の存在です。彼は学生運動の渦中で、対立する学生を殺害してしまいます。この「内ゲバ」という事件は、単なる殺人事件ではなく、1970年代という時代が持つ独特の熱と狂気が背景にあります。イデオロギーのためなら暴力も辞さない、そんな時代の空気が、一つの家族の運命を狂わせていくのです。

姉として、加害者の家族として、多紀は通夜の席に赴きます。想像を絶する屈辱と罪悪感の中、彼女は被害者の父、柚木洋文と出会います。柚木の妻が憎しみをぶつける一方で、彼は多紀をかばいます。この行為こそが、この物語のすべての始まりであり、すべての悲劇の引き金でした。

なぜ柚木は多紀をかばったのでしょうか。それは単なる優しさや同情心からではなかったはずです。彼は大学教授という知的な立場から、息子を巻き込んだイデオロギー闘争の不毛さや、若者たちの破壊的なエネルギーに対して、ある種の無力感と諦観を抱いていたのではないでしょうか。彼にとって多紀は、加害者の姉であると同時に、自分と同じように時代の理不尽な暴力に翻弄された、もう一人の被害者に見えたのかもしれません。

憎しみを覚悟していた多紀にとって、その予期せぬ理解は、あまりにも強烈な一撃でした。常識では説明のつかないその魅力が、彼女の心の奥深くに突き刺さります。そして、この禁断の出会いをきっかけに、二人の関係は京都の美しい風景の中で、秘密の逢瀬を重ねることで深まっていきます。

伝統的な寺社仏閣の静寂と、そこで育まれる背徳的な愛の対比は、鮮やかでありながらも恐ろしいほどの効果を上げています。これまで自分を律して生きてきた多紀にとって、柚木との恋は、人生で初めて経験する激しい感情の奔流でした。破滅的だとわかっていながらも、彼女はその流れに抗うことができません。

一方の柚木にも、この恋に溺れていく理由がありました。彼は妻と娘を持つ家庭人ですが、息子の死によって家庭はすでに崩壊状態にありました。妻との間には癒しがたい悲しみと憎しみが横たわり、安らぎの場所はどこにもありません。彼にとって多紀との関係は、息の詰まる日常からの逃避であり、失われた生の感情を取り戻すための渇望だったのです。

しかし、二人がどれほど愛を深めても、決して消えない事実があります。それは、彼らが「息子を殺した男の姉」と「弟に息子を殺された男」であるという、おぞましいまでの関係性です。彼らの愛は、共有された絶望とトラウマの上に成り立つ、極めて脆いものでした。それは未来を築くためのものではなく、耐えがたい現実から目を逸らすための、麻薬のような時間だったのです。

つかの間の安らぎを求め、二人は山陰の小京都・津和野へと旅に出ます。普通の恋人同士のように過ごす、儚い幸福の時間。しかし、運命は彼らをどこまでも追い詰めます。その幸福の絶頂で、多紀は一本の電話を受けます。弟の隆彦が、報復攻撃を受けたという知らせでした。

ここからの展開に、作者・渡辺淳一の容赦のなさが表れています。隆彦は、死にませんでした。その代わりに、彼は二度と意識の戻ることのない「植物人間」となってしまうのです。彼が放った暴力の矢は、巡り巡って彼自身に返ってきましたが、それは死という終わりではなく、生きながらにして死んでいるという、永続的な地獄でした。

この事件は、多紀の立場を決定的に変えます。彼女は「殺人犯の姉」から、「生ける屍となった弟の、生涯にわたる介護者」となったのです。彼女の罪悪感は、日々の具体的な労働へと形を変え、柚木との未来の可能性を完全に断ち切りました。どうして、弟の体を拭きながら、その弟に息子を殺された男と一緒になれるというのでしょうか。

そして、その絶望の淵で、多紀は自らが柚木の子を身ごもっていることに気づきます。死と暴力の中から生まれた新しい命。それは希望の光ではなく、解決不可能な悲劇をさらに複雑にする、新たな宿命の始まりでした。この子は、生まれながらにして、伯父が犯した罪の記憶を背負うことになるのです。

事態を知った柚木は、大学教授の地位も家庭も、すべてを捨てて多紀と共に生きることを誓います。一見すると、それは愛と責任感に満ちた、力強い決断のように思えます。読者はこの時、もしかしたら二人は救われるのではないかと、一縷の望みを抱かされるかもしれません。しかし、彼の行動は、崩壊した家庭から逃げ出したいという動機と切り離すことはできないでしょう。

物語は、その儚い希望を、最も残酷な形で裏切ります。柚木は、突然、多紀の前から姿を消すのです。何の言葉もなく、理由も告げられずに。そのあまりに乱暴な別離によって、多紀は完全に一人取り残されます。社会的な圧力か、罪の意識か、それとも愛の限界か。理由は描かれませんが、結果は同じでした。

そして、私たちは小説のタイトルである『まひる野』の意味を、最終場面で思い知らされることになります。「まひる野」とは、真昼の野原。強い日差しにすべてが照らされ、身を隠す影も、寄りかかる木一本ない、広大な荒野です。多紀は今、まさにその荒野に一人で立っています。老舗の女主人として、植物状態の弟の介護者として、そして愛した男の子を宿した未婚の母として。

この結末に、一部では「女性の力強さ」を見出す向きもあるかもしれません。しかし、それは勝利や幸福の強さとは全く異なります。すべてを失い、希望を剥ぎ取られながらも、ただひたすらに生き続けるという「耐える力」。それは、生きることのできないような人生を受け入れ、それでもなお生きていくという、静かで、しかし戦慄を覚えるほどの強靭さなのです。愛は彼女を救いはしませんでした。それどころか、愛は彼女に、終わることのない孤独と責任をもたらしたのです。この非情なまでの現実こそが、『まひる野』を忘れがたい作品にしているのだと、私は思います。

まとめ

渡辺淳一の『まひる野』は、読む者の心を激しく揺さぶり、そして深い余韻を残す物語でした。加害者と被害者の家族という禁断の関係から始まる愛は、一時の安らぎと引き換えに、登場人物たちを逃れられない絶望の淵へと追い込んでいきます。

物語の結末で、主人公の多紀はすべてを失い、たった一人で荒野に立つことを余儀なくされます。しかし、そこには不思議なほどの静けさと、生きることそのものへの覚悟が感じられました。これは愛による救済の物語ではなく、愛がもたらした過酷な現実を、たった一人で引き受け、それでも生きていく人間の強さを描いた物語なのかもしれません。

単なる恋愛小説として片付けることのできない、人間の業や孤独、そして運命の非情さを見事に描き切っています。読後、ずっしりと重い問いを投げかけられるような、まさに骨太な一作であると言えるでしょう。

もしあなたが、人間の感情の深淵を覗き込むような、忘れがたい読書体験を求めているのであれば、この『まひる野』を手に取ってみることを強くお勧めします。きっと、その世界観に圧倒されるはずです。