小説『ののはな通信』のあらすじをネタバレ込みでご紹介いたします。読み応えのある長文の感想も書いていますので、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。
三浦しをんさんの手がけた『ののはな通信』は、女子校で出会った二人の少女が、約27年もの歳月をかけて紡ぎ出す、深い関係性を描いた書簡体の物語です。手紙やメールのやり取りだけで物語が進むという独特の形式が、登場人物たちの内面をじっくりと掘り下げ、読んでいる私たちがまるで彼女たちの「秘密」を覗き見しているかのような、甘美で禁断の感覚に引き込みます。
この作品は、単なる恋愛小説という枠にはとても収まらない、二人の女性がそれぞれの人生を歩み、自立していく過程、そして広がる世界とどう向き合うかを描いています。ののと、はなの個人的な関係性の変化を通して、女性がどう生きるか、人が他者とどう向き合い、成長していくかという普遍的な問いに、深く触れることができるでしょう。
時代はグリコ・森永事件が起きた1984年の昭和の終わりから始まり、2011年の東日本大震災の時期までが描かれています。時代の大きな流れが二人の人生にどう影響を与えたのかも丹念に描かれ、読後には心に深く残るものがあるに違いありません。
小説『ののはな通信』のあらすじ
物語は1984年、横浜にあるミッション系の女子校「聖フランチェスカ」で、野々原茜(のの)と牧田はな(はな)が出会うところから始まります。対照的な性格の二人は、当時完結したばかりの山岸凉子の漫画『日出処の天子』の話題で意気投合し、学校での会話だけでは物足りず、手紙のやり取りを始めます。
手紙の中では、漫画の感想はもちろんのこと、家庭の内情や教師と生徒の噂話など、面と向かっては話せないような個人的な話題が赤裸々に綴られ、二人の絆は急速に深まっていきます。ののは次第に、はなに友情以上の気持ちを抱くようになり、その強い感情を自覚すると、玉砕覚悟ではなに告白します。
この衝動的な告白は、はなに受け入れられ、二人の間には密やかで甘美な恋が芽生えます。ののは初めて身体に触れた日、「友だちの形や要素を濃厚にとどめつつ、私たちは新しい姿の生き物に生まれ変わったのよ」と手紙に記し、二人の関係性の変容を宣言するのです。
しかし、この楽園は長くは続きません。半年後、ある「裏切り」によって、少女たちの世界は音を立てて崩れ始めます。その内容は、ののがはなと恋人関係になる以前に、学校の男性教師である与田先生と関係を持っていたことがはなに露見したことでした。ののは与田先生との関係を「10代特有の好奇心と浅はかさゆえ」と弁解しますが、はなにとっては許しがたい行為でした。
はなは、これまでのののに宛てた手紙すべてをののに送りつけ、二人の関係を「埋葬」することで、この関係は一度完全に断絶してしまいます。高校卒業後、ののと、はなは別々の大学に進学し、それぞれの道を歩み始めます。この時期、ののは叔母の悦子と同居を始め、はなは彼氏を作り、女子大生としての生活を満喫します。
物理的な距離が離れ、それぞれが異なる人間関係や経験を積む中で、二人の間での直接的な交流は途絶えますが、年賀状をきっかけに断続的に手紙のやり取りが再開されていくのでした。
小説『ののはな通信』の長文感想(ネタバレあり)
三浦しをんさんの『ののはな通信』を読み終えて、まず感じたのは、人間の関係性というものの奥深さと、時間の流れがもたらす変化の美しさでした。この物語は、女子高時代に出会ったののと、はな、二人の女性が、手紙とメールという「通信」を通じて、27年という長い時間をかけて互いの存在を確かめ合い、成長していく軌跡を描いています。書簡体という形式が、彼女たちの内面をまるで覗き見しているかのような錯覚を起こさせ、読者である私たちの心を強く揺さぶります。
物語の冒頭で描かれる女子高時代の二人の関係は、まさに「甘美」という言葉がぴったりです。山岸凉子の『日出処の天子』という漫画の感想を共有することから始まる二人の手紙のやり取りは、瑞々しい感性に溢れています。当時の少女たちにとって、手紙は単なる連絡手段ではなく、秘密を共有し、互いの存在を特別だと認識するための「聖域」のようなものだったのでしょう。ののがはなに友情以上の感情を抱き、告白する場面は、その純粋さと切実さに胸を打たれます。互いの身体に触れることの戸惑いと喜び、そして「友だちの形や要素を濃厚にとどめつつ、私たちは新しい姿の生き物に生まれ変わったのよ」というののの言葉は、二人の関係が、一般的な定義では括れない、より深く特別なものへと変容したことを示しています。
しかし、物語は単なる甘い青春の思い出では終わりません。はなとの恋人関係になる以前に、ののが男性教師と関係を持っていたという「裏切り」が露見する場面は、まさに「残酷」という言葉が相応しい転換点です。はなは、ののからの手紙をすべて送りつけ、関係を「埋葬」することで、その絆を断ち切ろうとします。この出来事は、思春期特有の純粋さや潔癖さ、そして「性」への好奇心と倫理観の葛藤を浮き彫りにします。はなにとって、ののの行動は、二人の間に築かれた「秘密」の聖域を侵すものであり、その衝撃は計り知れません。この「裏切り」は、作品全体を貫く「甘美さ」と「残酷さ」というテーマを象徴する重要な出来事として、読者の心に深く刻まれます。
高校卒業後、二人は別々の大学に進学し、物理的な距離が離れることで、直接的な交流は途絶えます。ののは叔母の悦子さんと暮らし始め、はなは新たな恋愛を経験します。この時期の「断続的な通信」は、二人の関係性が「私とあなたが世界のすべて」という高校時代の閉鎖的な感覚から、「私もあなたも世界の一部」という、より広い視野へと変化していく過程を示唆しているように感じられました。かつては一心同体のように感じていた関係が、それぞれの人生を歩む中で、互いの存在が心のどこかにあり続け、それぞれの成長を間接的に支え合うという、より成熟した絆へと変容していくのです。この時期の二人の絆は、一見すると脆く途切れがちに見えますが、実は非常に強く、聖らかなものへと変わっていくのが感じられます。
二十年近い空白期間を経て、四十代になった二人がメールで再び連絡を取り合うようになる場面は、時の流れと通信手段の変化が、関係性にどう影響するかを鮮やかに示しています。はなは外交官の妻として、内紛が続くアフリカの架空の国「ゾンダ」に住むことになり、危険と隣り合わせの生活を送ります。一方、ののは独身でフリーのライターとして東京で暮らしています。この時期、ののははなに対して、叔母の悦子さんとの関係が、実は「恋人」であったことを告白します。少女時代、秘密は「キラキラと楽しんでいた」ものとして共有されていましたが、大人になるにつれて、それは「互いにだけそっと打ち明けたい過去や、心に秘めた決意や意思」へと性質を変えていきます。この変化は、二人の関係性が単なる感情的な繋がりから、互いの人生全体を深く受容し、理解し合う「同志愛」のようなものへと昇華したことを示唆しています。秘密の共有が、より個人的で内省的なものへと深まることで、二人の絆は、過去の恋愛感情を超えた「愛と信頼」の形へと進化を遂げます。
『ののはな通信』が深く問いかけるテーマの一つに、「大人になる」ことの意味があります。少女時代から四十代までの二人の成長を丁寧に描く中で、高校時代の激しい恋や「裏切り」による苦い後悔といった過去の経験も、切り捨てることなく、自己の一部として受け入れていく姿勢が示されます。かつて「私とあなたが世界のすべて」という閉鎖的な感覚に囚われていた二人が、大人になるにつれて「私もあなたも世界の一部」という認識へと視野を広げていく様子は、まさに成長の証です。過去の強烈な感情を伴う経験が、その後の自己形成といかに深く関わるかを示唆しています。大人になることは「過去と断絶することではなく、昨日までの自分と地続きである」という二人の手紙の言葉は、過去の出来事を単なる思い出として消費するのではなく、それを「糧」として咀嚼し、分析し、周囲の人や世界との関係に応用していくことで、人は真に成熟し、より豊かな人生を歩むことができるというメッセージが込められているように感じられました。また、「大人になる」とは、関係性に「名前」を求める必要がなくなり、相手を想う気持ちがより自由で本質的なものになることを示唆しているとも受け取れます。
そして、この作品が描く「他者理解と世界への眼差し」の重要性も見逃せません。ののと、はなは、性格も生い立ちも対照的でありながら、互いにとってかけがえのない存在となります。三浦しをんさんは、「人は、自分とは異なる人がいることを知って、世界が広がるのだと思います」と語っていますが、まさにその通りです。はなは「とにかく自由な野獣」と称されるような行動に出ることもありますが、ののははなの生き様を通して、「四十歳を過ぎても新しく世界を見たり感じたりする目を持つことができる」ようになるのです。この関係性は、単に二人の内的な世界に留まらず、それぞれの人生で直面する外部の世界、はなのゾンダでの経験やののの震災ボランティアへと、彼女たちの視野を広げる触媒となります。他者との深い関係性を通じて培われた理解力や共感力が、個人的な領域を超えて、社会的な問題や普遍的な人間の苦難に向き合う力へと転化していく過程が、この物語では描かれています。
物語の後半で描かれる「暴力と希望」の描写も、心に残るものです。はなが暮らすアフリカの架空の国ゾンダで「波のように抗いようもない暴力」が押し寄せ、はなは思いもよらない行動に出ます。また、東日本大震災の描写も含まれ、個人的な物語が社会的な文脈と交差する様が描かれています。この作品は、「女性ならではの正義感で世界に立ち向かっていく話」としても解釈できるでしょう。三浦しをんさん自身も、現在の#MeToo運動のような人権問題は、女性を守るだけでなく、恐怖から発生するすべての暴力を防ぎ、権力構造の中で弱者が苦しめられないための動きであると語っています。これは、二人の個人的な愛と絆が、単なる私的な感情に留まらず、より大きな社会的な不正や暴力に対して立ち向かう「正義感」の源となり得ることを示しています。個人の内面的な成長と関係性の深化が、最終的には世界をより良い方向へ導く力となりうるという、普遍的な希望のメッセージが提示されているのです。どんな絶望的な環境に置かれても、大切な誰かを思うことで希望を見いだせるというメッセージが、物語全体に強く込められていると感じました。
物語の終盤、はなが暮らすゾンダでの政情不安が極まり、はなは「母になれなかったはなが、妻であることも捨てて選んだ道」とも評される「非常に大きな決断」をします。彼女は「安全な場所で祈ることより、動かずにはいられない、心のままに」実践する人物として描かれ、その行動力と決断力が際立ちます。同じ頃、物語は2011年の東日本大震災が起きてすぐの手紙で終わります。この時期、ののもまた「見過ごしておけない人たちに力を注ぎつつ」、震災後の東北でボランティア活動に向かいます。最後の章では、通信手段が「ののの一方的な日記」となり、はなからの返信は途絶えます。これは、はなの安否が不明であることを示唆し、読者に深い想像の余地を残します。しかし、ののは「知り、考え、想像すること」を決意し、はなの存在を「標」として「私は今私がいる場所で淡々と暮らしを続けましょう」と宣言します。これは、たとえ直接的な交流が途絶えても、相手を思い続けること、そして自分の人生を歩み続けることの重要性を示しています。
この展開は、二人の個人的な「運命の恋」が、より大きな社会問題や人間の普遍的な苦難と結びつき、それを乗り越えるための「希望」の源となることを示唆しています。三浦しをんさんが「人にとって必要なのは自分とは異なる存在であり、それこそが希望である」と語るように、二人の絆は、たとえ物理的に離れても、互いを思い、それぞれの場所で世界と対峙していく力となるのです。個人的な愛が普遍的な人類愛へと広がる可能性を示唆し、読者自身の人生における「大切なもの」の存在意義を問いかけます。二人の絆は、性差や属性、生死さえも無関係であるかのような、普遍的な愛と信頼の形へと昇華されているのです。
『ののはな通信』は、女性同士の「愛と絆」の多様性と普遍性を深く描いています。友情から恋人へと発展し、最終的には「同志愛」のような形へと変化していく関係性は、既存の一般的な関係性の枠には収まらない、多様な「愛」の形を提示しています。恋愛の盛り上がりは長く続かないが、女性同士の絆は感性や思考を築き、人生を支える基盤となることの重要性が強調されています。特に、「女として生きていく大変さ」を共有できるという側面が、この絆をより強固で持続的なものにしていると指摘されています。この作品が示すのは、二人の関係が単なるロマンチックな愛に限定されず、人生の様々な局面において互いを支え、理解し合う「ソウルメイト」のような存在へと昇華したということです。このテーマは、現代社会における多様な人間関係のあり方を肯定し、特に女性が経験する固有の困難や連帯の重要性を浮き彫りにします。ののと、はなの絆は、時間や距離、そして社会的な枠組みを超えて持続する、普遍的な人間関係の理想形の一つとして提示されているのです。
三浦しをんさんの筆致は、時に甘く、時に容赦なく、二人の心の襞を丁寧に描き出しています。彼女たちの言葉一つ一つに、喜び、悲しみ、怒り、そして深い愛情が込められており、読み進めるうちに、まるで自分も彼女たちの人生の一部であるかのような感覚に陥ります。書簡体という形式だからこそ伝わる、言葉の持つ力、言葉にならない感情の行間が、この作品の魅力を一層高めているように感じます。物語全体を覆うのは、痛みや苦しみを乗り越え、それでも前を向いて生きていこうとする人間の強さ、そして他者との繋がりがもたらす希望です。
まとめ
三浦しをんさんの『ののはな通信』は、野々原茜と牧田はな、二人の女性の約27年間にわたる「通信」を通じて、友情、恋愛、そしてそれらを超越した「愛と絆」の多様な形を描き出した壮大な物語です。書簡体という独自の形式が、登場人物の繊細な内面や、時の流れによる関係性の変遷を極めて詳細に映し出し、私たち読者に深い共感と考察を促すものでした。
本作は、「大人になる」ことの意味、他者理解の重要性、そして個人的な関係性が社会的な問題へと繋がる可能性といった、多層的なテーマを織り込んでいます。高校時代の「裏切り」から、アフリカの紛争地帯や東日本大震災といった「抗いようもない暴力」との対峙に至るまで、物語は常に「甘美さ」と「残酷さ」を併せ持ちながら展開していくのが印象的です。
最終的に通信が一方通行となる結末は、二人の関係性の物理的な終わりを意味するのではなく、むしろ普遍的な「思い」の継続と、どんな困難な状況下でも「希望」を見出し、自らの人生を歩み続ける人間の強靭さを読者に問いかけるように感じられます。ののと、はなの物語は、私たち自身の人生における大切な人との関係性、そしてその関係性がもたらす成長と世界への眼差しを深く考えさせる、示唆に富んだ作品であると言えるでしょう。