
小説「あの家に暮らす四人の女」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
三浦しをんさんの長編「あの家に暮らす四人の女」は、谷崎潤一郎の「細雪」を現代版として下敷きにした、非常に個性豊かな作品です。東京都杉並区の古びた洋館を舞台に、血縁のない女性たちが共同生活を送るという設定は、従来の家族の形にとらわれない、新しい「繋がり」の可能性を鮮やかに描き出しています。
物語は、ユーモラスな日常の中に、時に奇妙で不思議な要素を織り交ぜながら展開していきます。ストーカー事件や、あるはずのない「河童のミイラ」の出現など、予測不能な出来事が読者を「しをんワールド」へと引き込みます。
この作品は、単なる女性たちの共同生活を描いた物語ではありません。現代社会における孤独や不安、そして「家族」とは何かという深遠なテーマを、軽やかでありながらも深く掘り下げています。読後には、温かく、そしてどこか希望に満ちた気持ちにさせてくれる一冊です。
小説「あの家に暮らす四人の女」のあらすじ
物語の舞台は、東京都杉並区にひっそりと佇む、広々とした庭付きの古い洋館、牧田家です。この家には、刺繍作家として自宅で教室を開いている娘の牧田佐知(37歳)と、気まぐれで自由奔放な母の牧田鶴代(70歳近く)が暮らしています。
ある日、佐知の友人である谷山雪乃(37歳)がひょんなことから同居することになります。そして、雪乃の会社の後輩である上野多恵美(27歳)が、元彼からのストーカー被害に遭い、身の安全のために牧田家に避難する形で転がり込んできます。こうして、血縁関係のある母娘と、血縁のない友人たちが一つ屋根の下で暮らす、不思議で賑やかな共同生活が幕を開けます。
彼女たちの日常は、一見すると大きな事件が起こるわけではありませんが、ささやかな笑いと珍事に満ちています。庭の菜園の世話を巡る鶴代の自由奔放な言動や、佐知の奥手な恋心など、人間味あふれる描写が読者の共感を呼びます。
そんな穏やかな共同生活の中に、多恵美のストーカー男の本条宗一が闖入してくるなど、非日常の波紋が広がります。牧田家の敷地内に住む謎の老人、山田一郎(80歳)も、この騒動に「お守り役」として奔走します。
物語はさらに奇妙な展開を見せます。牧田家の「開かずの間」から、なんと「河童のミイラ」が発見されるのです。この突拍子もない出来事をきっかけに、物語はファンタジーの色彩を強めていきます。
そして、物語の語り手もまた、ユニークな形で変化していきます。主に佐知の視点で進む物語に、途中から善福寺川大ケヤキをねぐらとするカラスの善福丸、さらには佐知の父である牧田幸夫の魂が語り手として登場し、物語に深みと奥行きを与えていきます。
小説「あの家に暮らす四人の女」の長文感想(ネタバレあり)
三浦しをんさんの「あの家に暮らす四人の女」を読み終えて、まず感じたのは、その読後感の清々しさと、心に残る温かさでした。読み始める前は、タイトルからどこかミステリアスな雰囲気を感じていましたが、実際にページをめくると、そこに広がっていたのは、温かさと時に不思議な出来事に満ちた共同生活の物語でした。
この作品の大きな魅力は、何と言っても牧田家という舞台設定と、そこに暮らす四人の女性たちの個性にあります。気まぐれでマイペース、それでいて強靭な精神力を持つ鶴代さん。彼女の伊勢丹への偏愛や、畑仕事に対する独特の哲学は、読者に多くの笑いを提供してくれました。佐知さんの、どこか気概に欠けるように見えながらも、内には漠然とした不安や恋心を抱える等身大の姿もまた、多くの女性が共感できるものではないでしょうか。物静かな毒舌家である雪乃さん、そしてダメ男に甘い一面を持つ多恵美さん。彼女たちがそれぞれの個性と悩みを持ち寄り、一つの屋根の下で織りなす日常は、まるで自分もその空間にいるかのような心地よさを与えてくれました。
物語を読み進める中で、強く感じたのは、この作品が描く**「女性連帯」**の温かさです。血縁関係のない女性たちが、互いに支え合い、時にぶつかり合いながらも、それぞれの孤独を癒し、新しい「家族」の形を築いていく姿は、現代社会における人々の繋がり方について深く考えさせられます。彼女たちは、老後介護、孤独死、ストーカー被害といった現代的な問題に直面していますが、牧田家という安全な場所で、互いにケアし合うことで、社会からの「解放」と「安寧」を得ています。これは、新自由主義社会において希薄になりがちな「連帯」という概念を、生活様式として具体的に提示しているように感じられます。
特に印象的だったのは、この作品が提示する**「家族」の多様な形**です。「経済的に自立し、一人で生きられることは、べつに大人の証ではない。本当の意味で一人で生きられる人間などいないのだし、お金なんて所詮は天下のまわりもの。譲りあったりぶつかりあったりしながら、それでもだれかとともに生きていける能力の保持者こそを、大人というのかもしれない」という言葉は、従来の血縁や婚姻に囚われた家族観を軽やかに超え、現代における「繋がり」の重要性を教えてくれます。牧田家は、まさにそのような「ゆるい繋がり」や「仲間感」が、いかに心の拠り所となり得るかを体現している場所です。
そして、この物語を唯一無二のものにしているのが、三浦しをんさんならではの独特の語り口と、散りばめられたファンタジー要素です。物語の途中でカラスの善福丸が語り手として登場した時には、「え、カラス?!」と驚きを隠せませんでした。しかし、そのカラスが鶴代さんの生い立ちを語り、地域の全てを知悉する「集合知」として描かれることで、物語の世界は一気に広がり、奥行きを増しました。さらに、佐知さんの父である牧田幸夫の魂が語り手となる展開は、奇想天外でありながらも、物語に深遠なテーマを投げかけています。
特に、河童のミイラが登場し、幸夫の魂がそれに取り憑いて佐知さんを救うという展開は、まさに「しをんワールド」の真骨頂と言えるでしょう。このファンタジー要素は、単なる奇抜な設定ではありません。善福丸も河童のミイラも「性別」という枠組みに囚われない存在として描かれている点が非常に示唆的です。これは、従来の「性別」による役割分担や権力構造を超えた、より普遍的な「助け合い」の形を示唆しているように感じられます。男性である幸夫の魂が、女性である佐知さんを救うという構図でありながら、それが「性別」という概念から解放された存在によって成し遂げられることで、従来のフェミニズム物語とは異なる、ポストフェミニズム的な視点が提示されていると解釈できます。女性による女性の連帯を肯定しながらも、制度の束縛から解放された男性もまた、女性を助けることができるという、より包括的な「連帯」の可能性が描かれているのです。
また、佐知さんの内装業者・梶さんへの淡い恋心も、物語に穏やかな彩りを加えています。日々のささやかな出来事の中で育まれる感情が丁寧に描かれており、読者は佐知さんの心の動きに優しく寄り添うことができます。
この作品は、谷崎潤一郎の「細雪」へのオマージュという側面も持っています。しかし、単なる模倣に留まらず、現代社会が抱える問題、特に「社会的な連帯の喪失」というテーマに鋭く切り込んでいます。昭和の「男は外で稼ぎ、女は家庭を守る」という価値観が、男性にも女性にも苦しみをもたらすという作中の言葉は、伝統的な価値観からの脱却と、より柔軟な生き方の重要性を強く訴えかけています。
「あの家に暮らす四人の女」は、私たちに「今この時のささやかな幸せを楽しんだ方がいい」というメッセージを伝えてくれます。先のことを考えて不安になったり、誰かに理解してもらえなかったりしても、日々の小さな喜びを大切にすること。そして、「夢をみない賢者よりは、夢見る馬鹿になって、信じたい。体現したい。おとぎ話が現実に変わる日を」という言葉は、たとえそれが世間から「ファンタジー」だと思われても、自分たちが信じる「新しい生き方」を肯定する、力強いエールのように響きます。
牧田家は、ただの古びた洋館ではありません。それは、そこに暮らす女性たちにとっての**「地上の楽園」**であり、孤独を癒し、互いにケアし合い、それぞれの人生を豊かにするための、かけがえのない「居場所」です。この作品は、現代社会で多くの人々が抱える孤独感や不安に対し、温かく寄り添い、血縁や性別を超えた多様な繋がりが、いかに個人の幸福と心の安寧をもたらし得るかを示唆する、示唆に富んだ一冊でした。読後、温かい気持ちに包まれ、自分自身の日常を少しだけ愛おしく感じられるような、そんな読書体験を与えてくれました。
まとめ
三浦しをんさんの「あの家に暮らす四人の女」は、現代社会における「家族」や「連帯」のあり方を深く問い直す、多層的な作品です。谷崎潤一郎「細雪」へのオマージュをベースにしつつも、現代の東京を舞台に、血縁を超えた女性たちの共同生活を通じて、新しい「シスターフッド」の形を提示しています。
物語は、多恵美さんを巡るストーカー事件や「開かずの間」からの河童のミイラ出現といった非日常的な出来事を織り交ぜながら、ユーモラスかつ温かい筆致で展開されます。カラスの善福丸や佐知さんの父・幸夫の魂といった非人間的な存在が語り手として登場する多角的な視点は、物語に深みと意外性をもたらし、読者を唯一無二の「しをんワールド」へと誘います。
これらのファンタジー要素は、単なる奇抜さだけでなく、「性別」という概念の脱構築や、従来の男性性からの変容といった、現代的な主題を象徴する役割を担っています。牧田家という古びた洋館は、そこに暮らす女性たちにとって、孤独を癒し、互いにケアし合う「地上の楽園」として機能しているのです。
最終的に、物語は希望に満ちた結末を迎え、読者に、今この瞬間のささやかな幸せを大切にし、夢見ることを恐れないことの価値を伝えます。三浦しをんさんの巧みな筆致と深い洞察が融合した本作は、現代を生きる私たちに、新しい家族のあり方と、温かい人間関係の可能性を提示する、示唆に富んだ一冊と言えるでしょう。