小説「桜ほうさら」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

宮部みゆきさんが紡ぐ江戸の物語は、いつも私たちを温かく、そして時に切ない気持ちにさせてくれますね。この「桜ほうさら」も、まさにそんな作品です。2013年に刊行され、その後テレビドラマにもなった人気の時代小説なんですよ。

物語の舞台は、後の作品「きたきた捕物帖」と同じ、江戸の富勘長屋。実は、「きたきた捕物帖」の主人公・北一が住むことになる部屋の、前の住人がこの「桜ほうさら」の主人公・古橋笙之介(ふるはし しょうのすけ)なんです。その繋がりを知って、ますます読みたくなった方もいらっしゃるのではないでしょうか。この記事では、そんな笙之介の物語を、私の心に残った部分を交えながら、詳しくお伝えしていきたいと思います。

無実の罪を着せられた父の汚名をそそぐため、そして自身の生きる道を探すため、江戸に出てきた若き武士・笙之介。彼が富勘長屋で出会う人々との交流や、降りかかる事件、そして淡い恋模様が描かれます。少し重たい過去を背負いながらも、誠実に懸命に生きる笙之介の姿に、きっと心を動かされるはずです。それでは、物語の世界へご案内しましょう。

小説「桜ほうさら」のあらすじ

物語の主人公は、心優しい青年武士、古橋笙之介、二十二歳。彼は国許の小さな藩で、穏やかな父と、武芸に秀でた兄、そして少し気の強い母と共に暮らしていました。しかし、ある日突然、父に藩の道具屋「波野千」から賄賂を受け取ったという濡れ衣が着せられてしまいます。父は身に覚えのないことでしたが、母と兄を守るため、無実の罪を一身に背負い、切腹して果てました。これにより古橋家は取り潰しとなってしまいます。

兄は母の実家の力添えで道場へ、そして笙之介は、彼の才を見込んでいた佐伯老師のもとへ書生として引き取られます。しかし、母は古橋家再興(という名目で、実際は兄のため)を願い、笙之介に江戸行きを命じます。母の最初の夫の叔父であり、江戸で藩の留守居役を務める坂崎重秀、通称「東谷(とうこく)」を頼れ、と言うのです。東谷は笙之介の母の性格を理解しつつも、笙之介の父が無実であること、そして笙之介の将来を案じ、江戸へ呼び寄せたのでした。

東谷は、父を陥れたのは藩内の権力争いであり、その鍵を握るのが、他人の筆跡を完璧に真似る「手跡改竄(しゅせきかいざん)」の技を持つ人物だと告げます。その人物が江戸にいる可能性が高く、見つけ出すことが笙之介に託された密命でした。父の仇でもあるその人物を探すため、笙之介は東谷の紹介で写本の仕事を得て、富勘長屋での暮らしを始めます。世話焼きの版元「村田屋」の治兵衛や、個性豊かな長屋の住人たちに囲まれ、笙之介の江戸での新たな生活が幕を開けるのです。

そんな中、笙之介は早朝の川べりで、桜の木の下に佇む美しい少女を見かけ、心を奪われます。後に彼女が、顔の左半分に痣を持つ和香(わか)という娘だと知ります。痣を気にして人前に出ることをためらう和香でしたが、笙之介は彼女の痣に気づかず、その知性や勝気な性格に惹かれていきます。一方で、父を陥れた手跡改竄の犯人探しも進めなければなりません。様々な事件や人々との出会いを通して、笙之介は成長し、父の事件の真相へと近づいていくことになります。

小説「桜ほうさら」の長文感想(ネタバレあり)

いやあ、読み終えた後のこの気持ち、どう表現したらいいんでしょうか。胸がいっぱいになる、というのはこういう感覚なのかもしれませんね。「桜ほうさら」、本当に素晴らしい物語でした。特に後半は、もう涙が止まらなくて…。

私がこの作品を読むきっかけになったのは、先に読んでいた「きたきた捕物帖」との繋がりを知ったからでした。北一くんが住むことになる富勘長屋のあの部屋、その前に笙之介さんが住んでいたなんて!しかも、「きたきた捕物帖」の中では、笙之介さんのことを「闇討ちで切り殺された若い浪人」みたいに語られる場面があったものですから、読む前から「え、笙之介さん、死んじゃうの…?」って、結末が気になって仕方がなかったんです。宮部さんの作品って、本当に魅力的な人物があっけなく…ということもあるので、どうか笙之介さんには幸せになってほしい、そう願いながらページをめくっていました。

物語は、笙之介さんが江戸の富勘長屋で暮らし始めるところから本格的に動き出します。国許での悲しい出来事、お父さんの無念の死、そして家族との複雑な関係…。正直、序盤はかなり重たい空気が漂っていましたよね。お父さんは本当に優しくて誠実な人だったのに、なぜあんなことに…。お母さんとお兄さんの勝之介さんは、ちょっと冷たいというか、武士としての体面や家柄を重んじるあまり、大切なものが見えなくなっていたのかな、と感じました。特にお母さん、笙之介さんが江戸に行くことになった経緯を聞くと、息子の将来を案じているというよりは、自分の見栄や勝之介さんのため、という気持ちが透けて見えてしまって、少し寂しい気持ちになりました。でも、そんな中でも、東谷様がお父さんの無実を信じてくれていたこと、そして笙之介さんのことを気にかけて江戸に呼んでくれたことは、本当に救いでした。東谷様、最初はどんな人かと思いましたが、すごく器が大きくて、頼りになる存在でしたね。

江戸での笙之介さんは、写本の仕事で生計を立てながら、父を陥れた手跡改竄の犯人を探すという密命を帯びています。武芸はからきしだけど、手先が器用で絵や書の才能がある、という設定がまた良いんですよね。この才能が、後の事件解決にも繋がっていくわけですが。

そして、富勘長屋での生活がまた魅力的!大家の勘右衛門さん、世話焼きの村田屋治兵衛さん、筆や墨を売る勝文堂の六助さん、強面だけど生徒思いの武部先生とその奥様、そして個性豊かな長屋の住人たち。みんな、それぞれの事情を抱えながらも、どこか温かくて、困っている人がいると放っておけない、そんな人情味あふれる人々ばかり。笙之介さんが、この長屋で少しずつ心を開いて、自分の居場所を見つけていく様子は、読んでいて本当に心が和みました。「きたきた捕物帖」でもこの長屋が舞台になっているのは、宮部さん自身もこの場所や人々が気に入っているからなのかな、なんて思ったりもしました。

そして、忘れてはいけないのが、和香さんとの出会いです。早朝の桜の下で笙之介さんが見かけた、まるで桜の精のような少女。その正体が、顔の半分に痣を持つ和香さんだったとは。治兵衛さんが最初は知らないふりをしていた理由も、和香さんの気持ちを慮ってのことだったんですね。治兵衛さん、本当に人が良い。

和香さんは、自分の痣のことをすごく気にしていて、人前に出るのもためらっていました。でも、笙之介さんは、最初に見た時も、花見の会で再会した時も、その痣に全く気づかなかった。ただただ「きれいなひとだ」と思っていた。そして、治兵衛さんから痣のことを聞かされても、彼女に会いたいという気持ちは変わりませんでした。この笙之介さんの曇りのない眼差しが、和香さんの心を少しずつ溶かしていくんですよね。

二人が初めてちゃんと話すのは、第二話「三八野愛郷録」の舞台となった鰻屋「とね以」の二階でした。和香さん、痣のことで引け目を感じてはいるけれど、実はすごく頭が良くて、勝ち気で、負けず嫌い。笙之介さんは、そんな彼女の内面にどんどん惹かれていきます。「おもしろい」と感じるようになる。この二人の関係性の変化が、とても丁寧に描かれていて、読んでいてキュンとしました。川扇の女将・梨枝さんが現れた時の、ちょっと意地になる和香さんも可愛らしかったですね。梨枝さんもまた、かっこいい大人の女性で、憧れてしまいます。どういう人生を送ってきたら、あんなに肝が据わって、周りへの気配りができる人になれるんでしょうか。

第二話「三八野愛郷録」は、一見、本筋とは少し離れたエピソードのようにも思えましたが、これもまた深かったですね。奥州の小さな藩から、同姓同名の「古橋笙之介」を探しに江戸までやってきた長堀金吾郎さん。お人好しの笙之介さんは、疲れ切った金吾郎さんを放っておけず、大殿が書き続ける謎の暗号文の解読を手伝うことになります。

この暗号解読の過程で、笙之介さんは長屋の人々や武部先生、治兵衛さんの店の老番頭・帚三さん、そして手習い所の子どもたちにまで助けを求めます。こういうところが、笙之介さんの素直で素敵なところですよね。そして、最終的に暗号解読の鍵を見つけるきっかけを与えてくれたのが、和香さんでした。

暗号の内容自体は、大殿の若き日の切ない思い出を綴ったもので、藩の機密とか陰謀とか、そういうものではなかった。けれど、このエピソードを通して描かれる、金吾郎さんの主君への忠誠心や、飢饉を乗り越えてきた人々の苦労話、そしてそれを聞く笙之介さんの心の動きには、ぐっとくるものがありました。金吾郎さんが、寂れた鰻屋「とね以」の主人夫婦を叱咤激励する場面も印象的でした。「そなたの父が真に望むことはどちらであろう」という金吾郎さんの言葉は、笙之介さんの心に深く刻まれ、物語の終盤で重要な意味を持つことになります。この第二話があったからこそ、物語全体の深みが増したように感じます。人情話としても、とても読み応えがありました。

第三話「拐かし」では、治兵衛さんの過去が明らかになります。いつも飄々としている治兵衛さんにも、辛い過去があったんですね。そして、彼がなぜそこまで人助けをするのか、その理由も少し見えてきた気がします。この話では、和香さんのお守り役、おつたさんも登場します。大きくて頼りがいがあって、チャーミングなおつたさん、大好きです!誘拐された娘さんを助けるために、笙之介さんが危険を顧みず用心棒役を引き受け、武部先生も助太刀し、川扇の人々も協力する。みんな、本当に良い人たちだなあと、改めて思いました。そして、東谷様のただ者ではない強さも垣間見えましたね。この事件を通して、笙之介さんと和香さんの絆も、さらに深まったように感じました。

そして、いよいよ最終話「桜ほうさら」。ここからはもう、怒涛の展開でした。今まで散りばめられてきた伏線が一気に回収されていきます。治兵衛さんが笙之介さんに隠していたこと、東谷様が隠していたこと、そして、ずっと謎だった「押込御免郎(おしこみごめんろう)」というふざけた名前の書き手の正体!まさかあの人が…!と驚きました。笙之介さんがずっと苦労していた、押込御免郎の小説の書き直し・加筆の仕事が、こんな形で繋がってくるとは思いませんでした。

そして、ついに明かされる、お父さんの事件の真相。やはり、裏には藩内の権力争いと、手跡改竄の技術を持つ人物が関わっていました。その黒幕と、実行犯。真相を知った時の笙之介さんの気持ちを思うと、本当に胸が痛みました。お父さんを陥れた直接の仇…。笙之介さんは、どうするんだろう、と。

ここで、第二話の金吾郎さんの言葉が響いてきます。「そなたの父が真に望むことはどちらであろう」。復讐か、それとも…。笙之介さんが出した答えは、彼らしい、とても誠実で、そして未来を見据えたものでした。憎しみにとらわれるのではなく、父が本当に望むであろう生き方を選ぶ。それは、とても難しい決断だったと思いますが、富勘長屋の人々や、和香さん、東谷様、治兵衛さんたちとの出会いを通して成長した笙之介さんだからこそ、できた選択だったのかもしれません。

そして、私が一番気になっていた笙之介さんの結末です。「きたきた捕物帖」での不穏な描写があったので、本当にドキドキしながら読み進めました。物語の中で、実際に浪人が切腹する事件が起こり、「まさか本当に…?」と不安は最高潮に。でも…よかった!本当によかった…!笙之介さんは、闇討ちに遭いはしましたが、命を落とすことはありませんでした。東谷様や治兵衛さん、そして和香さんたちの機転と助けによって、最悪の事態は免れたのです。この結末には、本当に心から安堵しました。涙が止まりませんでした。

最後に、お父さんの事件に関わった兄、勝之介さんのこと。彼は結局、最後まで自分の過ちを認めようとしませんでしたね…。父や母が同じでも、兄弟でこうも違うものか、と思ってしまいます。でも、東谷様が語った、最後の最後で「ためらった」という話が、せめてもの救いであってほしいと願わずにはいられません。彼がいつか、自分の犯したことの重さに気づく日が来るのでしょうか…。

笙之介さんと和香さんの未来も、とても気になるところです。和香さんは、笙之介さんとの出会いを通して、自分の痣を受け入れ、強く、前向きになりました。笙之介さんも、和香さんの存在によって、どれだけ救われ、支えられたことか。二人の関係は、まさに運命だったのかもしれませんね。ラストシーン、笙之介さんがそえさんの言葉「ささらほうさら」(=あれこれ大変だ)を思い出し、そして和香さんが言う「桜ほうさら」…これは、苦労もあるけれど、その先にはきっと桜の咲くような明るい未来が待っている、という意味なのかな、と解釈しました。このタイトルの意味合いが、最後にストンと心に落ちてきて、温かい気持ちになりました。まるで、厳しい冬を乗り越えて咲き誇る桜のように、二人の未来もきっと輝かしいものになるだろう、そう信じさせてくれる読後感でした。

笙之介さんは、江戸に出てきて、辛いこともたくさんあったけれど、それ以上にかけがえのない人々との出会いがありました。富勘長屋の人々、治兵衛さん、東谷様、そして何より和香さん。これらの出会いが、彼を成長させ、未来へと導いてくれたのですね。本当に、江戸に来て良かった。心からそう思える結末でした。

この後、笙之介さんと和香さんがどうなったのか、「きたきた捕物帖」シリーズの中で、また少しでも彼らのその後が語られる日が来たら嬉しいな、と思います。…でも、名前が変わっているかもしれないから、ちゃんと気づけるかな?(笑) しっかり覚えておかないといけませんね!

まとめ

宮部みゆきさんの時代小説「桜ほうさら」は、心温まる人情と、ほのかな恋、そして父の死の真相を追うミステリーが織り交ぜられた、読み応えのある物語でした。主人公・笙之介が、辛い過去を乗り越え、江戸の富勘長屋で出会う人々との交流を通して成長していく姿には、胸を打たれます。

特に、顔に痣を持つ和香との出会いと、二人の関係が深まっていく様子は、とても丁寧に描かれていて、応援したくなりました。また、東谷様や治兵衛さん、長屋の住人たちといった、脇を固める登場人物たちの魅力も光ります。彼らの言葉や行動の一つ一つが、物語に深みを与えています。「きたきた捕物帖」との繋がりを知っていると、さらに楽しめる要素もありますね。

「ささらほうさら」という言葉が示すように、人生には様々な困難がありますが、それを乗り越えた先にはきっと希望がある。そんなメッセージを、笙之介と和香の姿を通して伝えてくれる作品です。読後は、切なくも温かい気持ちに包まれ、優しい余韻が心に残りました。時代小説ファンはもちろん、心温まる物語を読みたい方におすすめしたい一冊です。