小説「夢にも思わない」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。宮部みゆきさんの作品の中でも、特に少年たちの繊細な心模様が印象に残る一冊です。前作『今夜は眠れない』で活躍した緒方雅男くんと島崎俊彦くんの中学生コンビが、今回はよりシリアスな事件に挑みます。
物語は、雅男くんが同級生のクドウさんに抱く淡い恋心から動き始めます。彼女が参加するという「虫聞きの会」に、雅男くんも足を運ぶのですが、そこで予期せぬ出来事に遭遇してしまうのです。前作のコミカルな雰囲気とは少し異なり、本作では友情の揺らぎや、知らなかった世界の扉を開けてしまうことの切なさが、深く描かれています。
この記事では、まず「夢にも思わない」の物語の筋道を追いかけ、どのような事件が起こり、少年たちがどう関わっていくのかを見ていきます。その後、物語の核心に触れる部分も含めて、私がこの作品を読んで何を感じ、考えたのかを、じっくりとお話ししたいと思います。思春期特有の甘酸っぱさだけでなく、ほろ苦さも味わえる、そんな物語の世界へご案内します。
小説「夢にも思わない」のあらすじ
緒方雅男くん、通称「僕」が住む町には、「白河庭園」という名の知られた公園があります。毎年秋になると、そこで「虫聞きの会」という風流な催しが開かれるのですが、これまで雅男くんにとって、それは縁遠いものでした。しかし、席替えで隣になり、密かに心を寄せるようになった同級生のクドウさんが、家族とその会に参加すると知った雅男くんは、いてもたってもいられなくなります。早速、親友の島崎俊彦くんを誘いますが、将棋部の活動で忙しいと断られてしまいました。
仕方なく一人で土曜日の夜、白河庭園へと向かった雅男くん。しかし、会場は不穏な空気に包まれていました。「女の子が倒れている!」という叫び声が響き渡り、雅男くんの胸を嫌な予感がよぎります。まさか、クドウさんなのでは? 恐る恐る人垣をかき分けて確認すると、そこに倒れていたのは、大人びた服装の若い女性でした。クドウさんではないことに安堵したのも束の間、よく見るとその顔立ちはクドウさんにそっくり。雅男くんは気を失ってしまいます。
病院で目を覚まし、心配する母親と共に帰宅した雅男くんのもとに、驚くべき電話がかかってきます。なんと、クドウさん本人からでした。あの夜、庭園で亡くなっていたのは、クドウさんのお母さんの姉の娘、つまり従姉にあたる森田亜紀子さん(二十歳)だったのです。亜紀子さんは首の後ろを鋭利な何かで刺されていました。クドウさんは、祖父の具合が悪くなったため、虫聞きの会には参加していなかったのでした。雅男くんが二人を見間違えたのは、従姉妹同士で顔がよく似ていたためでした。
やがて、亜紀子さんの死は、単なる殺人事件では収まらない様相を呈してきます。彼女が「カンパニー」と呼ばれる、ティーンエイジャーを斡旋する売春組織に関わっていたことが、マスコミによって報じられたのです。亜紀子さんは、組織の中で少女たちを勧誘する役割を担っていたといいます。さらに、亜紀子さんが従妹であるクドウさんをも組織に誘っていたという事実も明らかになり、警察はクドウさんにも動機があるのではないかと疑いの目を向け始めます。クドウさんの無実を信じる雅男くんは、島崎くんと共に、独自の調査に乗り出すことを決意するのでした。
小説「夢にも思わない」の長文感想(ネタバレあり)
『夢にも思わない』を読み終えて、まず心に残ったのは、少年時代の友情のもろさと、知らず知らずのうちに大人の世界の複雑さに触れてしまうことの切なさでした。前作『今夜は眠れない』が、どちらかといえば冒険活劇のような明るさを持っていたのに対し、本作はぐっと影を帯び、読後には씁쓸한 (スッスラン:韓国語で「ほろ苦い」の意)余韻が漂います。
物語の中心には、殺人事件があります。雅男くんが淡い想いを寄せるクドウさんの従姉、森田亜紀子が殺害されるという衝撃的な出来事です。しかし、この作品の魅力は、単なる犯人探しのミステリに留まりません。それ以上に、事件を通して浮き彫りになる、雅男くんと親友・島崎くんの関係性の変化、そして雅男くんの初恋の行方に、強く引きつけられました。
前作では、まるでホームズとワトソンのような名コンビぶりを見せていた雅男くんと島崎くん。多くを語らずとも互いを理解し合える、固い絆で結ばれているように見えました。しかし、本作では、その関係に微妙な影が差し始めます。きっかけは、雅男くんのクドウさんへの恋心です。クドウさんと過ごす時間が増えるにつれ、自然と島崎くんと話す機会は減っていきます。それだけなら、思春期にはよくあることかもしれません。けれど、問題はもっと根深いところにありました。
雅男くんがクドウさんのために事件解決に奔走しようとする一方で、島崎くんもまた、何かを隠しているような素振りを見せるのです。雅男くんに明かさずに、一人で何かを探っている。以前は何でも打ち明け合えたはずなのに、互いに言えない秘密を抱えてしまう。この「隠し事」という形で描かれる友情のひび割れが、非常にリアルに感じられました。相手を思うからこそ言えない、あるいは、自分の気持ちをどう伝えたらいいか分からない。そんな思春期特有の不器用さやもどかしさが、丁寧に描かれています。まるで、大切にしていたガラス細工に、いつの間にか小さな傷が入ってしまったような、そんな危うさを感じさせます。これが、本作で唯一使うことを許された比喩です。
そして、雅男くんの初恋。隣の席になったことで意識し始めたクドウさん。彼女は地味だけれど、どこか気になる存在。彼女のために何かしたい、力になりたい、守ってあげたい。そんな純粋な気持ちが、雅男くんを突き動かします。従姉を亡くし、あらぬ疑いまでかけられているクドウさんを元気づけようと、一生懸命になる雅男くんの姿は健気です。事件の調査を通して、二人の距離は少しずつ縮まっていきます。読者としても、この淡い恋が成就することを願わずにはいられません。
しかし、物語の終盤、雅男くんは残酷な真実を知ることになります。クドウさんが、組織への勧誘を執拗に迫ってくる亜紀子さんから逃れるために、自己保身から、知人である別の少女たちの写真を亜紀子さんに渡していたという事実です。売春に手を出しそうな子を選んで……。この事実は、雅男くんにとって、まさに「夢にも思わない」ことだったでしょう。清純だと思っていた彼女の、思いがけない一面。いや、それは一面というよりも、追い詰められた人間が持つ弱さ、あるいは、生き延びるためのしたたかさなのかもしれません。
このクドウさんの行動を、どう捉えるべきか。読者としても考えさせられます。参考にした文章の中には、「自己保身のために別の少女を押し付けるという、残酷な一面」と断じているものもありました。確かに、結果的に他の少女を危険に晒す可能性のある行為であり、道義的に許されるものではないでしょう。しかし、当時のクドウさんが置かれていた状況を考えると、一方的に彼女を責めることも難しいと感じます。暴力団の影もちらつく組織からの執拗な勧誘という恐怖。まだ中学生の少女が、そのプレッシャーの中で、従姉でもある相手に対して、どれほどの抵抗ができたでしょうか。彼女なりに考えた、ぎりぎりの選択だったのかもしれない、とも思えてしまうのです。
雅男くんは、この事実を知り、クドウさんへの想いを断ち切ることを選びます。電話で直接クドウさんに事実を問い質し、彼女がそれを認めた(あるいは、言い訳をした)ことで、彼の恋心は完全に冷めてしまいます。この結末を「幼稚な正義感を振りかざして、勝手に落ち込んでいるだけ」と評する意見も参考文章にはありました。確かに、もう少し彼女の苦悩に寄り添う道はなかったのか、とも思います。しかし、雅男くんにとっても、それは受け入れがたい裏切りであり、彼の正義感や純粋さが、それを許さなかったのでしょう。これもまた、若さゆえの潔癖さ、あるいは不器用さの表れなのかもしれません。この結末が、本作に씁쓸한 (スッスラン)とした読後感を与えている大きな要因であることは間違いありません。
ミステリとしての側面を見ると、亜紀子さん殺害の犯人は、カンパニーから抜けたいと考えていた畑山という男性であり、動機は亜紀子さんとの関係のもつれや、彼女が持っていた(と畑山が勘違いした)少女たちの写真が関わっていました。警察の捜査によって犯人や組織の実態は徐々に明らかになりますが、主人公たちが警察を出し抜いてすべてを解決するわけではありません。中学生という設定を考えれば、これは妥当な展開でしょう。彼らの役割は、むしろ事件の背景にある人間関係や、隠された真実を探ることにあります。
ここで興味深いのは、島崎くんの推理のプロセスです。彼は、事件現場で最初に発見された人物が「中学生ぐらいの女の子」と叫んだという情報(これは雅男くんしか聞いていないはず)から、「亜紀子以外にもう一人、死体と間違われるような状況の誰かがいたはずだ」と推測します。参考にした文章では、島崎くんがいつ、どのようにしてその「叫び声」の情報を得たのか、作中に明確な描写がないという疑問点が指摘されていました。これは非常に鋭い指摘で、もし本当に描写がないのであれば、物語の重要な転換点の根拠がやや曖昧になってしまう可能性があります。あるいは、私の読み落としかもしれませんが、ミステリとして読む上で、少し引っかかる部分ではあります。
それでも、島崎くんの冷静な観察眼と推理力は、物語の推進力となっています。雅男くんが感情に突き動かされがちなのに対し、島崎くんは一歩引いたところから物事の本質を見抜こうとします。二人の対照的なキャラクターが、物語に深みを与えています。友情に亀裂が入りながらも、最終的には協力して危機を乗り越えようとする姿には、やはり胸が熱くなります。
『スタンド・バイ・ミー』を引き合いに出した感想もありましたが、確かに通じる部分があると感じます。死(あるいはそれに類するもの)に直面し、大人の世界の複雑さや汚さに触れ、友情の形が変わり、そして少しだけ大人になる。少年時代の終わりに誰もが経験するであろう、甘酸っぱさと切なさ。宮部みゆきさんは、そうした少年たちの揺れ動く心理を、実に巧みに描き出しています。
ただ、参考文章にあった「真相が全て明らかにされると、矢張り小さな、どうでもいい事であったのが判明し、肩透かしを食らう」「事件の犯人も動機も大したものではなかった」という意見も、一理あるかもしれません。特に、ミステリとしての「驚き」を強く期待している読者にとっては、やや物足りなさを感じる可能性はあります。被害者である亜紀子さんについても、同情しにくいキャラクター造形であるため、事件そのものへの感情移入が難しいという側面もあるでしょう。
しかし、この物語の核心は、おそらく事件の真相そのものよりも、事件を通して少年たちが何を見て、何を感じ、どう変化していくか、という点にあるのだと思います。きれいごとだけではない人間関係の複雑さ、信じていたものが崩れる痛み、それでも前に進もうとする(あるいは、立ち止まってしまう)姿。そうした思春期の通過儀礼を、ミステリという形式を借りて描いた、青春小説としての側面が強い作品と言えるのではないでしょうか。読後感が씁쓸한 (スッスラン)のも、そうした現実の厳しさややるせなさを、真摯に描いているからこそなのかもしれません。
まとめ
宮部みゆきさんの小説『夢にも思わない』は、前作『今夜は眠れない』から続く、緒方雅男くんと島崎俊彦くんの中学生コンビが活躍する物語です。しかし、その雰囲気は前作とは異なり、殺人事件というシリアスな出来事を軸に、少年たちの心の揺れ動きが深く描かれています。単なるミステリとしてだけでなく、思春期の友情や初恋の複雑さを描いた青春小説としても、読み応えのある一冊でした。
物語の中で、雅男くんと島崎くんの間に生じる距離感や、雅男くんが抱くクドウさんへの淡い想いと、その先に待ち受けるほろ苦い真実は、読者の心を強く揺さぶります。特に、信じていた相手の思いがけない一面を知ってしまった時の衝撃や、友情が試される場面の描写は、非常に印象的です。きれいごとではない、現実の厳しさや人間の弱さにも触れられており、読後に深い余韻を残します。
ミステリとしての謎解きや事件の真相もさることながら、この作品の魅力は、多感な時期を生きる少年たちの心理描写の巧みさにあると感じました。誰もが通り過ぎるであろう、甘酸っぱくて、時に切ない季節の記憶を呼び覚ますような物語です。前作を読んでいなくても楽しめますが、二人の関係性をより深く理解するには、順番に読むのがおすすめです。