小説「ぼく、いたくない」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
虐待をテーマにした「ぼく、いたくない」は、読み手の心に重くのしかかる絵物語です。かわいらしい装丁とは裏腹に、内容は決して子ども向けのやさしい物語ではなく、大人が真正面から受け止めるべき一冊だと感じます。
物語の中心にいるのは「ぼく」と呼ばれる少年です。「ぼく、いたくない」というタイトルには、「痛くない」と「ここに居たくない」という二つの意味が重ねられていて、暴力と孤独の中で揺れる子どもの心をそのまま言葉にしたような響きがあります。絵と短い文章が呼応しながら、「ぼく」の世界を静かに、しかし鋭く切り取っていきます。
「ぼく、いたくない」は、大人のための童話として書きおろされた作品であり、切り絵のようなペーパー・イラストが特徴的です。紙を切り抜いたような図像が幾層にも重なり、現実と空想、心の内側と外側が入り混じる感覚を視覚的に表現しています。このビジュアルが、虐待という重たい題材をただ生々しく描くだけでなく、子どもの心の内側に沈んだ声として伝えてくるのが印象的です。
この記事では、まず「ぼく、いたくない」のあらすじを整理したうえで、後半では結末に触れるネタバレを交えながら長文の感想を書いていきます。「ぼく、いたくない」の世界にこれから入っていきたい方にも、すでに読んで余韻が抜けない方にも、作品をもう一度考え直す一助になれば幸いです。
「ぼく、いたくない」のあらすじ
虐待される子どもの視点から語られる「ぼく、いたくない」は、名もなき「ぼく」の独白で進んでいきます。物語の舞台はごく普通の家のはずなのに、その内部は安心とはほど遠い場所です。母親からの暴力や心ない言葉が日常になっていて、「ぼく」の世界は家の中とその恐怖にきわめて限定されています。
「ぼく」は殴られたり、怒鳴られたりしながら、「いたい、いたい、でもいたくない」と自分に言い聞かせます。身体は痛いのに、心を守るために痛みを感じないふりをする、その必死な自己防衛が、繰り返される内面の声として表現されています。痛みを否定することでしか立っていられない、小さな存在の危うさがここでじわじわと浮かび上がります。
やがて「ぼく」は、ドアを閉めて自分だけの空間に逃げ込みます。外では母親の足音や怒声が聞こえるかもしれないのに、閉じた扉の内側だけが、かろうじて自分を保てる場所です。その閉ざされた空間の中で、「ぼく」は痛みをやり過ごしながら、「ここに居たい」のか「ここに居たくない」のか、自分でも分からない揺れの中に立たされています。
物語は、母親のいない静かな場面へと向かっていきますが、そのとき「ぼく」がどこにいるのか、何を選んだのかは明確には示されません。読者は、断片的なイメージと独白をたどりながら、「ぼく」の身に起きたことを自分なりに想像するしかないところで、ページを閉じることになります。
「ぼく、いたくない」の長文感想(ネタバレあり)
読み終えたあと、しばらく言葉が出なくなる作品でした。「ぼく、いたくない」は、ページ数こそ多くないものの、ひとつひとつの場面があまりに重く、読み進める速度を自然と落とさざるを得ません。絵本の体裁を取っていながら、そこで扱われているのは、子ども時代のもっとも暗い闇であり、「子どもの本」として安易に勧められるものではないと感じます。
タイトルの「ぼく、いたくない」という言葉がまず秀逸です。「痛くない」と「ここに居たくない」が折り重なり、身体の苦痛と、存在そのものを消したくなるほどの絶望が同時に示されています。「ぼく」は殴られ、拒絶されてもなお、「いたくない」と唱えることで心のどこかを麻痺させようとする。そのフレーズが何度も胸の中で反響し、読み手自身の過去の不安や傷まで呼び覚ましてくるような感覚がありました。
物語が徹底して「ぼく」の視点だけで描かれていることも、「ぼく、いたくない」の重要な特徴です。第三者の解説や社会的な語りは一切挿入されず、保護者や福祉の手も表舞台には現れません。ただ「ぼく」の感じていることだけが、言葉とイラストを通じて淡々と示されていく。そのために、読者は安全な観察者にはなれず、いつのまにか「ぼく」の隣に座り込んで、一緒に息を潜めているような位置へと追い込まれていきます。
虐待の描写も、過剰にショックを狙ったものではなく、日常の延長として描かれているところに怖さがあります。特別な事件としてではなく、「ご飯をもらえない」「叩かれる」「怒鳴られる」といった出来事が当たり前の風景として配置されている。その「当たり前」こそが本当は異常である、というねじれを、作品は声高な説明抜きに浮かび上がらせています。
イラストの存在も、「ぼく、いたくない」を語るうえで欠かせません。すがま りえこによるペーパー・イラストは、紙を切り抜いたような質感が強く、ところどころに大きな余白が残されています。色と形がシンプルに絞られた画面は、子どもの視界の狭さと、世界から切り離されたような孤立感をそのまま視覚化しているように感じられました。ページをめくるたびに、言葉以上にイラストが「ぼく」の心の温度を伝えてきます。
「ぼく」は、どれほど傷つけられても、母親を憎みきることができません。暴力を受け、拒絶されてもなお、「ママのことが好き」という感情が静かににじんでいる。その姿は、読者にとってはやりきれないほど痛ましく映りますが、現実の被虐待児にもよく見られる心理でもあります。作品は、その残酷な事実をドラマティックに脚色するのではなく、淡々とした調子で提示してくるため、かえって胸に刺さります。
そして、「いたい、いたくない」という反復は、単なる口癖ではなく、自己保存のための呪文のようにも読めます。痛みを否定することで、かろうじて自我をつなぎとめる。しかし、感じないふりを続ければ続けるほど、「ぼく」は自分自身からも遠ざかっていく。そのねじれが、タイトルに込められた「居たい」と「居たくない」の二重の意味と結びつき、読後になってからじわじわと理解が追いついてくる構造になっています。
物語の終盤、「母親がいなくなるまでじっと耐え続ける『ぼく』」という読み方ができる構成になっていることが、とても重く感じられました。部屋に残される静けさは、必ずしも救いを意味しません。母親が消えたからといって、「ぼく」の傷が癒えるわけではない。むしろ、その不在の静寂の中で、これまで抑え込んできた痛みが一気に押し寄せてくる可能性さえあります。作品があえて明確な結末を示さないのは、その後に続く長い時間を読者に想像させるためではないかと感じました。
この物語には、救いと呼べるような場面がほとんどありません。「ぼく、いたくない」は、どこかで第三者が手を差し伸べてくれることを期待して読むと、裏切られたような暗さだけが残るかもしれません。しかし、それこそが現実の多くのケースで起こっていることなのだ、と気づかされます。誰にも見つけられないまま、家庭という密室で静かに傷つき続けている子どもたちがいる。その事実を、読み手に直視させるための作品だと考えると、この徹底した暗さにも必然性が見えてきます。
読み手の立場によっても、この作品の受け取り方は変わってきます。子どものいない若い読者にとっては、「世界にはこんな現実がある」という告発として胸に響くでしょうし、親世代にとっては、自らの言動を振り返らずにはいられない鏡のような役割を果たすはずです。教育や福祉の現場にいる人にとっては、虐待の教本というよりも、「子どもの心の声を想像するための入り口」として読むことで、現場の感覚をもう一段深める助けになるかもしれません。
同じ作者の他の作品には、家族や親子を題材にしたものが少なくありませんが、「ぼく、いたくない」はその中でも特に、子どもの側に徹底的に寄り添った一冊だと感じます。明るく希望を語る家族像ではなく、壊れた関係の中にうめき声のように残る愛情を描き出すことで、「親子」という関係そのものの複雑さを照らし出しているように思えるからです。さまざまなジャンルを手がけてきた作者の活動歴を踏まえて読むと、この絵物語が決して一過性の題材選びではないことも伝わってきます。
作品の内容から考えると、読むタイミングや心の状態には注意が必要です。過去に似た経験を持っている人や、現在進行形で苦しい家庭環境にある人が読めば、たちまち当時の感覚に引き戻されてしまう危険があります。一方で、自分の内側に眠っていた痛みを言語化してくれた、と感じて救われる読み手もいるでしょう。読む人を選ぶ一冊であることは間違いありませんが、だからこそ、必要としている誰かにきちんと届いてほしい作品だとも思います。
最終的に、「ぼく、いたくない」は「かわいそう」「ひどい」といった単純な感想だけで片づけることを拒む物語です。かわいそうと言って涙を流して終わりにしてしまうのではなく、じゃあ自分はこの現実に対して何ができるのか、日々のまなざしをどう変えられるのか、という問いを静かに突きつけてきます。物語そのものは短くても、問いの余韻は長く続く。その意味で、この本は読み終えたあとからが本番の作品だ、と言いたくなります。ここまでの感想も含めて、結末に触れるネタバレを踏まえたうえでなお、「それでも読んでよかった」と思わせる力を持った一冊でした。
まとめ:「ぼく、いたくない」のあらすじ・ネタバレ・長文感想
- 「ぼく、いたくない」は、虐待される子どもの視点に徹した、大人向けの絵物語である。
- タイトルの「いたくない」には、痛みの否定と「ここに居たくない」という存在の不安が重ねられている。
- 物語は家庭の中だけで展開し、第三者の救いの手がほとんど登場しない構成になっている。
- あらすじ部分では具体的な事件よりも、「ぼく」の心の揺れと自己防衛としての言葉の反復が中心に描かれる。
- ペーパー・イラストの質感と余白が、子どもの孤立感や世界の狭さを視覚的に強調している。
- 母親を憎みきれない「ぼく」の姿が、虐待の現実の残酷さと、子どもの愛情のしぶとさを同時に浮かび上がらせている。
- 結末は明確に説明されず、「母親の不在」と静寂だけが提示されることで、読者にその後を想像させる余白が残されている。
- 救いの少ない展開だからこそ、現実に見過ごされている痛みの存在を強く意識させる作品になっている。
- 同じ作者の他作との連続性から見ても、家族や親子をめぐるテーマの一端を極端な形で担う重要な一冊だと言える。
- 読む人を選ぶ重たい内容だが、「ぼく、いたくない」を通じて、子どもの心の声を想像しようとする姿勢そのものが、私たちに求められていると感じさせられる。












