瀬尾まいこ おしまいのデート小説「おしまいのデート」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

「おしまいのデート」は、恋人同士に限らない、さまざまな“待ち合わせ”を描いた短編集です。文庫版は五つの物語を収録し、表題作では中学三年生の彗子と祖父の月に一度の外出が軸になります。

この本の面白さは、「デート」という言葉の射程を広げてくれるところにあります。元不良と教師、バツイチのOLと大学生、園児と保育士など、関係性の形が違うからこそ、会う前の高鳴りや別れ際の寂しさが、すっと胸に入ってきます。

読み終えるころには、「おしまい」という言葉が、ただの終点ではなく、次へ進むための区切りとして残るはずです。最後の場面で祖父が残す一言が、この本の体温を決めているように感じられます。

「おしまいのデート」のあらすじ

両親の離婚後、彗子は月に一度、父の代わりに祖父と会うようになります。公園でソフトクリームを食べ、軽トラックで海の見える岬へ向かうのが、お決まりの“デート”コースです。けれど家の事情が変わり、二人は会い方そのものを見直すことになります。

「ランクアップ丼」では、若いころに荒れていた三好が、ある教師と食堂で玉子丼を囲む習慣を続けます。説教よりも先に、腹を満たす時間があり、その積み重ねが三好の働き方や考え方を少しずつ整えていきます。

「ファーストラブ」は、特別に親しかったわけでもない男子同士が、一日だけ連れ立って出かける話です。誘う側・誘われる側の小さな勘違い、気まずさ、笑い、そして帰り道に残る名残惜しさが、静かに描かれます。

「ドッグシェア」は捨て犬をきっかけに、OLと学生が“世話を分け合う”関係になります。「デートまでの道のり」では、保育の現場を舞台に、ある大人と子どもと保育士の距離が、少しずつ近づいていきます。ここでは、それぞれの結論の着地は伏せておきますね。

「おしまいのデート」の長文感想(内容に触れます)

ここから先はネタバレを含みます。「おしまいのデート」という題名は、別れの痛みだけを約束しません。むしろ、会えなくなる瞬間にこそ、その人の中で何が残り、何が変わるのかを丁寧に見せてくれる一冊です。

「おしまいのデート」の表題作で心に残るのは、彗子と祖父が“最後だから特別”を演じないところです。海の見える岬へ行く、その日常の繰り返しが、実はどれほどの優しさで出来ていたかが、後から効いてきます。会う相手が父ではなく祖父になった事情も、彗子の心を複雑にしています。

終わりが近い関係ほど、言葉は増えるより減っていくのかもしれません。祖父の「またな。生きてればどんなことにも次はある」という一言は、慰めというより生活の知恵で、だからこそ強いです。

しかも表題作は、別れの場面で視界を閉じず、次の家族の輪郭へ視線をつなぎます。読み手の胸を締めつけながらも、将来が暗いほうへ転ばない設計がある。そういう“手当て”が、この短編集全体の基調になっています。

「ランクアップ丼」は、関係の名前がつかないまま続く時間の尊さを描きます。三好にとって上じいは、親でも友人でも上司でもないのに、人生の軸を作ってくれた人です。最後に意外な事実が明かされることで、読後の温度が変わっていきます。

三好が玉子丼にこだわるのは、食べ物の好みというより、あの席に座る自分を守るためです。給料日という区切りに会うこと、奢る側と奢られる側が入れ替わること、その反復が“更生”の物語を大げさにしません。

そして、この話は別れを突き放しません。ある日、予定していた席にいつもの相手が現れない、その不在が、三好の中に残っていた言葉を引き出します。黙って飲み込んできたものが、遅れて形になる瞬間が、静かに胸を刺します。

「ファーストラブ」は、恋愛の話ではないのに、初恋のような熱が立ち上がる不思議な作品です。広田が宝田に誘われ、映画を観て、弁当を食べ、銭湯まで行く一日が、ただの出来事ではなく“その人の記憶になる一日”として描かれます。

面白いのは、二人の距離が縮まるほど、関係の呼び名が追いつかないところです。友達と言うには軽くない、恋人と言うには当てはまらない。でも胸は動く。その揺れが、この短編集のテーマである「待ち合わせ」の核心を突いています。

この話の切なさは、翌日に訪れる“時間のズレ”にあります。昨日はあれほど近かったのに、今日の教室はもう同じ条件ではない。たった一日の出来事が、人生の中で妙に大きくなる感覚が、真っすぐに描かれます。

「ドッグシェア」は、恋愛に寄せずに、人が人を大事にし直す話です。久永が公園で犬を見つけ、内村と世話を分け合ううちに、離婚後の自分の振る舞いを振り返っていく筋立てが、淡々としているのに沁みます。

犬の命は短編集の中で、もっとも分かりやすい“おしまい”として置かれます。けれど、その後に残るのは喪失だけではありません。誰かと何かを分け合うことが、もう一度、生活の中で始まっていく気配が残ります。

だから「おしまいのデート」の世界は、別れを悲劇にしないかわりに、人生の現実感を濃くします。好意は言葉で確定しなくても伝わるし、次の約束は大げさでなくていい。小さな継続こそが救いになる、という読み味があります。

「デートまでの道のり」は、題名どおり“会う”までを描くことで、短編集の最後を始まりへ反転させます。保育の現場の空気、子どもの体温、そして大人の不器用さが重なって、読後にやさしい余韻を残してくれます。

最後に残るのは、「デート」は恋人の専売特許ではない、という感覚です。彗子と祖父の軽トラ、三好と上じいの食堂、広田と宝田の一日、久永と内村の世話、そして保育の現場の三人。会うことは生活を少し明るくし、別れは次の生活へ背中を押す。そういう短編集だと感じました。

「おしまいのデート」はこんな人にオススメ

「おしまいのデート」を勧めたくなるのは、人間関係に名前を付けることに疲れている人です。友達、恋人、家族、同僚、そのどれにも収まらない関係が、人生には案外たくさんありますよね。けれど「おしまいのデート」は、ラベルよりも“会っている時間”の手触りを大事にしてくれます。

「おしまいのデート」を読みたいのは、別れにまつわる記憶を、少しやわらかく包み直したい人です。特に表題作や「ランクアップ丼」は、関係が終わる瞬間を、必要以上にドラマにせず、それでもきちんと胸に届く形で描きます。寂しさと温かさが同居する読後感が好きな人に合います。

短い時間で読める作品を探している人にも向きます。短編集なので、生活の隙間に一編ずつ読んで、読み終えたところで少し呼吸が深くなる、そんな読み方が似合います。重たいテーマに触れていても、読み手を置き去りにしない設計があるので、読書の再開にもおすすめしやすいです。

それから、恋愛中心の物語ではない“デート”を読みたい人にもぴったりです。「おしまいのデート」は、男女の恋の駆け引きではなく、待ち合わせが生む高鳴りと、別れ際の寂しさを、関係性の違いで描き分けています。会うことの意味をもう一度確かめたいとき、そっと寄り添ってくれます。

まとめ:「おしまいのデート」のあらすじ・ネタバレ・長文感想

  • 「おしまいのデート」は恋人だけでなく、多様な関係の“待ち合わせ”を描く短編集です。
  • 収録は五編で、表題作は彗子と祖父の月に一度の外出が軸になります。
  • 表題作は別れを悲劇にせず、次の生活へ視線をつなぐ余韻が残ります。
  • 「ランクアップ丼」は玉子丼を挟んだ習慣が、人を立て直す物語として効いてきます。
  • 結末の“不在”が、関係の深さを逆に際立たせる構造になっています。
  • 「ファーストラブ」は男同士の一日が、名前の付かない親密さを生みます。
  • 翌日に訪れる状況の変化が、切なさを静かに強めます。
  • 「ドッグシェア」は世話を分け合う中で、自分の過去を見つめ直す話として読めます。
  • 犬を見送ったあとも“続いていく関係”の気配が残るのが印象的です。
  • 「デートまでの道のり」は短編集の終わりを始まりへ反転させ、読後を明るくします。